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カテゴリー「映画」の記事一覧

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バスキアの映画のこと

このブログ、実は、よく読まれている記事を知れる機能があって、それによると、一つズバ抜けてたくさんアクセスされてる記事があるのです。
映画の鑑賞記録で、「バスキアのすべて」というドキュメンタリー映画の感想。
2011年の2月に書いたものがいまだに毎日のように誰かの目にとまってるってちょっとなんかすごくないですか。
それほどバスキアという人は今も注目されてて、この映画について知りたい人が多いということなのかなと。
この映画を観たのは神戸の元町映画館。
今のコロナの波でこういう小さな映画館の今後がどうなってしまうかと勝手ながら少し心配している。
何もできないけれど、一番読まれているその記事をせめて再掲してみようかと。
なにかの足しになるとも思えないけど…ただ、こういう映画を観る機会がもしも無くなるなんてことがあったらそれはとても悲しいことなので。(そうならないと祈ってるけど)
2011.2.23
映画を観た。元町の小さな映画館で。
『バスキアのすべて』という映画。
バスキアという人の存在を、私はこの映画で初めて知った。
以下、某サイト(ぴあ映画生活)より引用。
「'88年に27歳の若さで他界し、今年が生誕50周年にあたる画家
ジャン=ミシェル・バスキアにまつわるドキュメンタリー。バスキアの友人だったタムラ・デイヴィス監督が20年以上も封印していた未公開インタビュー映像と、彼を支えた友人たちへの取材映像で構成。80年代のアート・シーンを駆け抜けた伝説的な芸術家の素顔を明らかにしていく。(中略)
まだ10代後半だった70年代のNYで、スプレー・ペインティングによる落書きからアーティストとしてのキャリアをスタートさせたバスキア。時代の寵児として脚光を浴びる一方、人種差別に苦しんでいた彼の光と影が、貴重なインタビューで浮き彫りになる。」



バスキアは、若き黒人の画家。
彼の絵はいつも黒人であるということと一緒に評価の対象になってきた。
彼はそのことを強烈に意識しながら、そういう社会の理不尽に抗うかのような反逆的作品を残した。
一方で、かの有名な“白人”の巨匠、アンディ・ウォーホルに寄り添い、合作を作ったりもした。
社会への苛立ちと、成功への渇望と。
彼は人種差別に苦しんだというよりは、自身の相反する感情の板挟みに苦しんだのだと思う。
差別には抵抗したい、でも、成功したい。
どうしても、成功したい。
認められたい。

彼は”実力”で画壇に認められようと、短い画家人生で2000点を超える作品を残した。
その結果、彼は”成功”した。
生前、いわゆる権威ある画壇で認められることはついぞ叶わなかったものの、若い彼には手に負えないほどのお金と名声を手にした。
そしてそれは実際、彼の手には負えなかった。
その代償として、かつての仲間は彼の周りから去り、彼は孤独になった。
アンディが死に、最愛の父からも冷たくあしらわれ、行き詰った末に手にしたのはドラッグ。
ヘロインに溺れた彼は、一人ひっそりと、27歳の若さで死んだ。
もし今も生きてたとしたら50歳なのだそうだ。


なんとも切ない映画だった。



バスキアはものすごくモテたのだという。
食っていけない時代の彼を、たくさんの女たちが救った。
そしてたくさんの女が泣いたのだと。
実際、フィルムから映し出される彼はなんとも言えない魅力に溢れていた。
少年のような曇りのない瞳。
はにかむように笑い、ふいに歯がのぞく瞬間のあどけなさ。
そこには作為的なものが一切感じられなくて、同時に何とも儚い。
ずっと手をつないでおかないと、どこかに消えてなくなりそうで不安になるような、
そんな危うい魅力。

・・

元町の映画館を出て、帰り道。
一緒に観に行ったみどりんと人通りの少ない元町商店街を歩きながら、ポツポツと映画の感想を話した。
お金と名声、そして孤独。
常に隣り合わせのものたち。
孤独の淵で死んでいったバスキア。
映画には、駆け出しの時代のバスキアを経済的にも精神的にも支え続けてきた女性が出てくる。
バスキアは金と名声を手にした後、彼女を捨てた。
「あの女の人をずっと大事にしてたら、今もバスキア、生きてたかな」。
そうつぶやいたら、みどりんは、「生きてたんじゃない?」と言った。

あり得ない話やけど、あり得たかも。
映画を観る限り、彼女は間違いなく、彼の最大の理解者だった。
彼女はまるで、母親が自分の子どものことを語るかのように彼のことを語った。
彼女が彼に向けていた眼差しはきっと、いつも温かく、とても信頼できるものやったんやろう。
なんとなくそんな気がした。

・・

何が大事で何を死守すべきか。
バスキアにとっては、それがいつも、どこまでも”自分”だったのかな。
そう思うと、彼の心の孤独に、私は少しゾッとする。

美しく魅力的なバスキア。
天才画家、バスキア。
孤独な・・・
孤独な、バスキア。




今も少し胸が痛む。



そんな映画。
 


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愛を読むひと

久しく、何も書いていなかった。
あと二日で1月も終わりかぁ。
あっという間。
本当に。

最近は相変わらず勉強ばかりしていて、なのでせめて
ここでは違うことを書きたいなと思う。できるだけ。

・・

映画を観た。
こんなことを書くと、映画観る余裕があるのかとか思われそうやけど…。
最近は何をしてても、~そんな時間あるのか、と思われそうで
ここに何か書くのも気が引ける。
会えていない人も多いので、なおさら。
友人関係に優劣をつけているわけでは決してなく、ただタイミングの問題とか
親密さの加減とか、そういうことなのだ。
(たとえば地元の幼馴染なら急な呼び出しにもすっぴんで出かけて
ほんの少しだけ話して帰るとかもできる)
・・って、なんかまるで言い訳みたいやからやめとこう…。

『愛を読むひと』という映画が良かった。
あらすじ:1958年のドイツ、15歳のマイケルは21歳も年上のハンナ(ケイト・ウィンスレット)と恋に落ち、やがて、ハンナはマイケルに本の朗読を頼むようになり、愛を深めていった。ある日、彼女は突然マイケルの前から姿を消し、数年後、法学専攻の大学生になったマイケル(デヴィッド・クロス)は、無期懲役の判決を受けるハンナと法廷で再会する。

詳細は割愛するけど、序盤、かなり濃いめのラブシーンが続く。
でもあれだけの濃密で特別な時間、心の交流を目撃したからこそ、
その後の展開にすごく説得力があって、良かった。
ハンナを無期懲役にし、二人の人生を大きく変えることになった”事件”は本当に重い。
マイケルは彼女の刑を軽くする方法を知っていた。
けれど、彼女が必死になって隠す”ある秘密”を、どうしても法廷で暴露することはできず…。

その後の展開が感動的だった。


あー、これ全部言っちゃいたいな。笑
でも、言っちゃうと、これからもし観ようとする人がいたら
おもしろくなくなっちゃうしな。

代わりに、森山さんというライターさんのレビューを引用しとう。

「15歳の少年と21歳年上の女性の情事。性の目覚めを描く青春映画のごとき発端だが、ナレーターとして時折顔を出すレイフ・ファインズの沈鬱な表情が、この物語の行く末を暗示しているようで、胸がざわつく。その不安が的中。輝く夏の恋が終わりを告げてから8年、大学生になったマイケルは、かつて熱愛したハンナが、ナチス戦犯を裁く法廷の被告席にいるのを発見するのだ。  スティーブン・ダルドリー監督と脚本のデビッド・ヘアは、「めぐりあう時間たち」と同じように、物語の時間軸を寸断し、ハンナとの関係に苦悩するマイケルの心情に沿って再構成していく。過去と現在を行き来する時間が、戦後育ちの青年に突然突きつけられた戦争の影をスクリーンに広げ、甘い思い出に終わるはずだった恋が、マイケルの人生を苦渋の色に染めていく経緯をくっきりと描写していくのだ。  マイケルだけが知っているハンナの秘密を裁判長に告げることで彼女を救えたかもしれないのに、死に変えてもその秘密を守ろうとするハンナを裏切るようでそれもできず。かといって、彼女を説得して告白させるには、引き受けなければならないものの重さにたじろいでしまう。その結果、苦悩の一生を送ることになる彼に、ドイツの戦後世代の誠実さを見たような思いだ。愛する者たちの罪をあっさり許すことも、弁護して救うこともできないけれど、一緒に苦しみを抱えて生きることはできる。そうすることで歴史に対する責任を取ろうとする真摯な生き方に、胸を打たれた。」

このレビューね、まさに。
特に最後の三行に深く共感。
「愛する人の罪をあっさり許すことも、弁護して救うこともできないけれど、
一緒に苦しみを抱えて生きることはできる。」
映画ではこの、共に生きる過程が終盤で描かれてて、
それが本当に素敵やった。
犯した罪は消えないし、時間は戻らないけれど、
共にあることはできる。
それが最大の、これ以上ない救いなんやろうなとも感じた。
 

歴史や国家に翻弄される人間、
”恥ずかしい”という感覚、劣等感、
そして、情熱的な愛。
そういうのが好きな方は是非。



さて…寝ようかな。


おやすみなさい☆




ダークナイト

『ダークナイト』を観た。

・・怖すぎましたね。

怖すぎて途中、何回一旦停止したことか。
そもそもジョーカーのピエロ顔の大写しだけでも恐ろしいのに、
最後、検事のデントの顔が半分ものすごいことになってたりとかもなんかもう、なんかもうもう・・・。
でも何が恐いって、単純にホラーとかスリルとかサスペンスとかそういうんじゃなくて、
人間の汚い部分が、ものすごい描かれてるところがね・・・。
私の一番苦手なあの感じ。
できれば見たくないものが、これでもか!これでもか!って襲いかかってくる感じで。

善意と良心と正義の塊みたいやった検事、ハーヴェイ・デントが
愛するレイチェルを殺されてから後、ものすごい勢いで人として堕落していくんやけど、
その部分はあまりにも痛くて、とても正面から見てられなかった。
自分の大切な人を亡くした、大切な何かを失った、自分の願いが叶えられなかった、
自分を貶められた・・・
そういうときに、どうにもならない気持ちを憎しみに変えて、誰かを恨み、恨み倒す。
「お前のせいでこうなったんだ、お前さえいなければ」って。
本当に汚い、人間として底辺の感情。
傍でそれに触れるだけで同じ人間であることが嫌になるような。
間違ってる!見たくない!やめて!って思うけど、
でも、失った痛みはその人にしかわからないから・・・。
それを思うと、ただもう悲しいとしか言いようがない。

人間ってなんて悲しい存在なんやろうね。
なんで人間には感情があるんやろう。
生きるってなんでこんなにもツライんやろう。
その思いがすごい勢いで沸き起こってきて・・・。
もういっそゴッサムシティとか滅びたらええねんって思ったりもした。
(これ一番短絡的で最悪な発想。)

はぁ・・・。
なんかすごい”闇”が描かれた映画やと思った次第です。

・・実はあまりに怖いから途中であらすじ書いてるサイト見ちゃったしね。
で、ストーリー全部把握して、覚悟を決めてから続きを観たという・・・。
(そうじゃないと落ち着いて観れなくて。自分の小心者具合に嫌気が刺す・・・。)


でもまぁ、映画もエンターテイメントやからあんまり真に受けて凹むのはよそう・・。
バットマンがものすごいハイテクな車に乗ってぶっ飛ばすシーンとか
空を飛ぶシーンとかは気持ち良かったし。
あと、バットマン役の俳優さんがカッコ良かったりとかも。




優しい音楽聴きながら寝よう。


汚さや弱さやズルさも当たり前に受け止められるようになりたい。
そのためにはまず、自分の中のそういう部分から目を逸らしてはいけないな。
人間、誰しも醜い存在だ。
みんなバットマンで、みんなジョーカーでもある。
きっとそうだ。
特別な人間なんていない。

ブツブツ・・・
ブツブツブツ・・・
(独り言)。



・・


”How wonderful life is while you're in the world”
(なんて人生は素晴らしいんだ 君がこの世にいるのなら)
こういうの言いたいし、言われたい

Elton John - Your Song
http://www.youtube.com/watch?v=22sjt57FNWc





戦場のピアニスト

最近、해금(ヘグム)に猛烈にハマっている。
勉強の合間やご飯が炊けるのを待ってるとき、
少しでも時間ができたら(!)、とにかく弾いている。
本当におもしろい。
今は『고향의 봄(故郷の春)』という古典の名曲を練習している。
こうして書きながらもまた弾きたくてうずうずしてくるからヤバい。
中毒だ。

・・

映画『戦場のピアニスト』を観た。

~簡単なあらすじ~

ポーランドの有名なピアニスト・シュピルマンが
ナチスヒットラー率いるドイツのユダヤ人迫害から逃げに逃げるさまを描いた映画。
シュピルマンは他のユダヤ人同様、ワルシャワの自宅を追われ、
かの悪名高きゲットーへ送り込まれる。
彼は"富裕層"を対象としたカフェでピアノを弾き、
飢餓と疫病が蔓延するゲットーでの生活をなんとか維持しようとした。
しかしその努力もむなしく、彼はその後、家族と共に絶滅収容所へと移送されることになる。
絶滅収容所とは、その名のとおり、移送されてきたユダヤ人を
24時間以内にガス室送りにし、"全滅"させることを目的とした収容所だ。
そこで家族は全員虐殺されるも、彼だけはその場にいた知り合いのユダヤ人警察官の計らいで
収容所から脱出する。
しかし、その後も地獄のような逃亡生活が続き・・・(詳細を知りたい人はココを)

簡単にいうと、149分もの間、ひたすら逃げて逃げて逃げまくるという
暗澹とした内容。
シュピルマンはポーランドに実在したユダヤ人ピアニストであり、
この映画は実話をもとにしている。
途中、観るに耐えない悲惨な場面が多数出てくる。
それがいかにも、実際にあったんだろうなというリアリティを持って再現されているので
生生しさがすごい。
でも不思議と、鑑賞後に気持ちが沈むことは無かった。

これはたぶん、主演のエイドリアン・ブロディの力やと思う。
実際、シュピルマンのように絶滅収容所から逃げ出せた人はほとんどおらず、
さらにその後も生き抜いた人となると、
本当に数えられるほどしかいないらしい。
そんなサバイバルな状況を生き抜いた人間というと、無骨で屈強な男の姿が思い浮かぶ。
しかし、シュピルマンはピアニスト。
繊細で、体の線も細い、そんな男だ。
度重なる逃亡の末、彼の頬はこけ、髪も髭も伸び放題となる。
"生"への執着から廃墟を徘徊し、食べ物をあさり、藻が生えた水をすくっては飲む。
その姿は本当に痛ましいとしか言いようがない。
でも、彼が野蛮で粗暴な人間に成り下がったのかというと、そうではない。
ピアニストはどこまで行ってもピアニストなのだ。
憂いを帯びた目の輝きは、僅かな希望と大いなる絶望を宿したかのようで、
彼の周りにはどことなく気品が漂っているようにも見える。
それはまさしく、美しい音の世界を生きる人のそれなのだ。

生き抜くためのしたたかさとたくましさ、一方で、気品と憂い。
相反するものが同居した、戦場のピアニスト・シュピルマンを、
主演のエイドリアン・ブロディは見事に演じている。
極限状態に陥っても、気品を失わずに生きるシュピルマンの姿は、
人間の持つ底知れない力を表わしているようでもあり・・・。
ただ強いだけじゃない、弱さと強さのどちらにも振れながら生きる彼の姿は
自然そのもので、でも結局、そういうのが一番"強い"のかもしれないと思った。

『戦場のピアニスト』、良かったです。
(有名な映画なので既に観た人も多いかと思いますが・・・)
映画は次、ピアニストシリーズで、『海の上のピアニスト』を観ようかと。
また感想書くかもです。



良い週末を☆




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シュピルマンを演じた
エイドリアン・ブロディ












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