手をつなぐ
日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。
いと美しき
韓国映画の『オールド・ボーイ』と、1954年のアメリカ映画『裏窓』。
『オールド・ボーイ』は一人で観た。
バイオレンスものとは知らずに借りてきて、観てみてびっくり。
うわわわわ!なシーンの連続で。
途中、何度か静止して、心を落ち着かせながら小分けで観た。
暴力シーンが多くて、ストーリーもかなりえげつない。
(いつもはストーリー紹介するけど、もうなんかもう、あんまりなので(笑)、
興味ある方は上のリンク開いてみてください。)
とはいえ、去年観た『息もできない』ほど、心えぐられる感じはなかったけど・・・。
主演の女優、カン・ヘジョンがかわいくて、
それでだいぶ中和された感があったかも。
カン・ヘジョンは、『トンマッコルへようこそ』(この映画オススメ)を観たときにも
かわいい!って思ったんやけど、この方、演技もすごく上手で。
日本でいうと、蒼井優とちょっと重なるところがあるような・・。
情感のにじみ出た演技でありながら、いたって自然。
それでいて小悪魔的な魅力があって・・・。
ものすごく美人かっていうと、決してそうではないんやけど、
何とも言えない、心くすぐられるかわいさがある。
彼女が出てる他の映画も観てみたいなって思った。
素敵です。
『裏窓』もまた、主演女優のグレース・ケリーがとにかく美しい。
ストーリーの進展よりも、彼女の姿に釘づけになる感じ。
映画の中で、グレースの演じるリサは、ファッション業界で働く洗練された女性という
役どころなんやけど、毎シーンの衣装がすんごいオシャレで、
1950年代でありながら、野暮ったいところが全然無い。
立ち振る舞いもしなやかで、とにかく美しい。
なんか、はあぁぁぁぁ!ってなる。笑
う、うつくしい~~~、みたいな。
すいません、私、
オードリー・ヘップバーンより、マリリン・モンローより、
やっぱりグレース・ケリーでお願いしますと言いたい。(何がやねん。笑)
いや、でもホント、彼女の姿を観るだけでも一見の価値ありの映画やと思う。
谷川さんも絶賛してた。
目の保養に、是非。
カン・ヘジョン
グレース・ケリー
バラ
フォレスト・ガンプ
前のブログで「一期一会」という言葉を書いたあと、
ふいに思い出して観たくなったのだ。
142分もあって、かなり長い映画。
けど、長いだけある。
どのエピソードも外せないし、ラストシーンもこの長さの意味を
感じさせるものやと思う。
(観たことない人はここを。)
1994年のアメリカ映画で、日本での上映は1995年2月。
日本で上映が始まってから、しばらくずっと、
それこそ毎週のように、この『フォレストガンプ』は
興行収入1位を記録し続けていたと思う。たしか。
そのとき、「一期一会」という言葉の意味がよくわからなくて、
なんか変なタイトルの映画が人気なんやなぁと思ってたから。
映画の中に、ジェニーという女性が出てくる。
美しいけど、勝手な女。
少し知的な障害のあるフォレストは、幼馴染である彼女を
愛してやまない。
でも、彼女はフォレストの愛を受け入れられない。
そのくせ、自分が弱ってるときにはフォレストを頼る。
幼少時代に実父から虐待を受けたりと、彼女にも同情の余地は
あるとはいえ、フォレストに向かうときの彼女の態度はやっぱりヒドイ。
・・良く言ったら、自分に正直な人なんやけども。
流れるように生きるジェニー。
たびたび暴力的な男につかまり、ドラッグにはまり、ヒッピーになったり、
平和運動に参加したり・・・。
そして時々、フォレストを求める。
ジェニーは孤独な人。
そして慈しみ深い一面もある。
フォレストはそんな彼女を絶対に見捨てはしない。
それどころか、とにかくひたむきに彼女を愛してやまないのだ。
何度彼女に立ち去られても、いつまでも彼女だけを愛し続ける。
それはもう、観てて胸が痛むほどに。
ただただ純粋で、見返りを求めない、深い深い愛。
最後、ジェニーが死んだとき、フォレストは彼女の墓の前で涙する。
その姿を観ていて、私も涙が止まらなかった。
140分ぶんのエピソードの末の涙。
ずっと観続けてきたからこそ伝わる彼の心の痛み、喪失感。
悲しいとか、切ないとかじゃなくて、フォレストという人の持つ優しさや
大地のような広い心と、そこに宿った愛の姿に泣けた。
あんなに愛されて幸せな人やな、ジェニーは。
いいな。
うらやましい。
なんか、結婚をしたくなった。笑
ぼくのエリ
映画『ぼくのエリ』を観た。
~簡単なあらすじ~
ストックホルム郊外で母親と2人で暮らす12歳の少年オスカーは、
毎日学校で同級生からの苛めに遭っていた。
大人たちはその事実に気付かず、助けてくれる友達もない。
そんなオスカーの前にある日現れた黒髪の少女エリ。二人は恋に落ちるが・・・。
エリの正体はヴァンパイアだった・・・。
・・
エリは吸血鬼で、人間の生き血を吸わないと生きれない。
だから次々と人を襲う。
襲われた人たちにはそれぞれの人生があり、大切な仲間がいる。
いとも簡単にそれを奪うエリは、いわば人間にとって恐るべき存在・・・
で、あるはずなのに、
どうにもこうにもそうは思えない。
気づけばエリに感情移入してしまっている自分がいる。
エリの美しさに、オスカーとエリの純粋な恋にすっかり心奪われ、
エリが生き長らえるためにはある程度の死もやむなし、
という気持ちになってしまう。
生きるということはいつも何かの犠牲の上に成り立っている。
そしてそれは常に自分本位で勝手なものだ。
この映画は、そのことを、痛いくらい、何度も何度も突きつけてくる。
極めつけがラストシーン。
あんまり書くとこれから観ようとする人の楽しみを奪うことになるから
明言は避けるけど・・・
もうね、ガチコーン!とやられる。
倫理的にはものすごく残虐で凄惨な場面なのに、
スッキリしちゃってる自分がいたから。
エリ!よくやった!みたいな。
で、直後、ハッと我に返って、いやいや、これですっきりしたらあかんやろうって
軽く自己嫌悪に陥るという・・・。
もうね、自分、最悪やん、みたいな。笑
なんか自分という人間の残酷さに、否が応なく、とことん気づかされる、
そんな映画でした。
でもこの映画、好きか嫌いかで言ったら、私はすごい好き。
まず、エリとオスカーを演じた子役2人のピュアな美しさに心惹かれるし、
雪が降り積もるストックホルムの街の気配もとても魅力的で。
そして何より、一つ一つの場面がすごく凝縮されている。
繰り返し見て、そこに込められた意味を自分なりに考えたい場面が
たくさんあった。
ちなみにさっきちらっとネットで調べてみたら、原作が文庫本で出てるみたいで、
それも読んでみたくなってしまった。
・・
自分は誰のことも傷つけていないだなんて、
そんなこと、思い上がりも甚だしい。
何かを踏みつけて、傷つけながら、今の自分がいるってこと。
少なくとも、その自覚は必要だ。
そういうの、直視するのは正直ちょっとツライけど・・・
でも、目を逸らすなよって、そう言われた気がした。
『ぼくのエリ』、イイ映画でした。
バスキアのすべて
- 2011/02/23 (Wed)
- 映画 |
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元町の小さな映画館で。
『バスキアのすべて』という映画。
バスキアという人の存在を、私はこの映画で初めて知った。
以下、某サイト(ぴあ映画生活)より引用。
「'88年に27歳の若さで他界し、今年が生誕50周年にあたる画家
ジャン=ミシェル・バスキアにまつわるドキュメンタリー。
バスキアの友人だったタムラ・デイヴィス監督が20年以上も封印していた未公開インタビュー映像と、
彼を支えた友人たちへの取材映像で構成。
80年代のアート・シーンを駆け抜けた伝説的な芸術家の素顔を明らかにしていく」
映画の内容も少し・・・
「まだ10代後半だった70年代のNYで、スプレー・ペインティングによる落書きから
アーティストとしてのキャリアをスタートさせたバスキア。
時代の寵児として脚光を浴びる一方、人種差別に苦しんでいた彼の光と影が、
貴重なインタビューで浮き彫りになる。」
眠いので書くのやめようかとも思ったけど、
少しだけ。
バスキアは、若き黒人の画家。
彼の絵はいつも黒人であるということと一緒に評価の対象になってきた。
彼はそのことを強烈に意識しながら、そういう社会の理不尽に抗うかのような
反逆的作品を残した。
一方で、かの有名な“白人”の巨匠、アンディ・ウォーホルに寄り添い、
合作を作ったりもした。
社会への苛立ちと、成功への渇望と。
彼は人種差別に苦しんだというよりは、自身の相反する感情の板挟みに
苦しんだのだと思う。
差別には抵抗したい、でも、成功したい。
どうしても、成功したい。
認められたい。
彼は”実力”で画壇に認められようと、短い画家人生で2000点を超える作品を残した。
その結果、彼は”成功”した。
生前、いわゆる権威ある画壇で認められることはついぞ叶わなかったものの、
若い彼には手に負えないほどのお金と名声を手にした。
そしてそれは実際、彼の手には負えなかった。
その代償として、かつての仲間は彼の周りから去り、彼は孤独になった。
アンディが死に、最愛の父からも冷たくあしらわれ、
行き詰った末に手にしたのはドラッグ。
ヘロインに溺れた彼は、一人ひっそりと、27歳の若さで死んだ。
もし今も生きてたとしたら50歳なのだそうだ。
・・なんとも切ない映画だった。
バスキアはものすごくモテたのだという。
食っていけない時代の彼を、たくさんの女たちが救った。
そしてたくさんの女が泣いたのだと。
実際、フィルムから映し出される彼はなんとも言えない魅力に溢れていた。
少年のような曇りのない瞳。
はにかむように笑い、ふいに歯がのぞく瞬間のあどけなさ。
そこには作為的なものが一切感じられなくて、同時に何とも儚い。
ずっと手をつないでおかないと、どこかに消えてなくなりそうで不安になるような、
そんな危うい魅力。
・・
元町の映画館を出て、帰り道。
みどりんと人通りの少ない元町商店街を歩きながら、
ポツポツと映画の感想を話した。
お金と名声、そして孤独。
常に隣り合わせのものたち。
孤独の淵で死んでいったバスキア。
映画には、駆け出しの時代のバスキアを経済的にも精神的にも
支え続けてきた女性が出てくる。
バスキアは金と名声を手にした後、彼女を捨てた。
「あの女の人をずっと大事にしてたら、今もバスキア、生きてたかな」。
そうつぶやいたら、
みどりんは、「生きてたんじゃない?」と言った。
・・あり得ない話やけど、あり得たかも。
映画を観る限り、彼女は間違いなく、彼の最大の理解者だった。
彼女はまるで、母親が自分の子どものことを語るかのように彼のことを語った。
彼女が彼に向けていた眼差しはきっと、いつも温かく、
とても信頼できるものやったんやろう。
なんとなくそんな気がした。
・・
何が大事で何を死守すべきか。
バスキアにとっては、それがいつも、どこまでも”自分”だったのかな。
そう思うと、彼の心の孤独に、私は少しゾッとする。
美しく魅力的なバスキア。
天才画家、バスキア。
孤独な・・・
孤独な、バスキア。
今も少し胸が痛む。
そんな映画。