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カテゴリー「本」の記事一覧

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雨ニモマケズ

柚木沙弥郎さんが絵をつけた、『雨ニモマケズ』を読んでいる。
昔からなんとなく気持ちの塞いだとき、元気が出ないとき、宮沢賢治のこの詩が口をついて出てくることがある。
この絵本の巻末に賢治の弟のお孫さんの解説がついていて、それによると、この詩は賢治が結核で亡くなる二年前に手帳に書き留めたものらしい。
そしてこれは作品として書いたものではなく、賢治自身の祈りなのだと。
巻末にはこの詩を書き留めた手帳のページも写真で紹介されているのやけど、それを見ると、たしかに何気なく書き綴ったような、そんな字体に見えなくもない。
病床で祈りを込めて書き留めた詩と知って、なおさらこの詩が好きになった。

絵をつけた柚木さんのことはこの絵本で初めて知った。
もとは染色工芸作家さんなのだと。
1922年生まれということは、今94歳?
この本の出版は去年のことなので、90歳を超えて描かれた絵ということになるのか。
絵の専門的なことは全然わからないけれど、すごく素敵な絵。
"みんなにデクノボーとよばれ"の部分なんて、デクノボーというものをそのまんま描いてある。
見た時ちょっとビックリ。
でもしみじみ見入って、うん、これはまさしくデクノボーやわ、と。
"日照りの時は涙を流し"のところは肩を落としうなだれるお百姓さんの絵、"寒さの夏はオロオロ歩き"のところは所在無く歩きまわるうつろな目をした人の絵。
ボカして綺麗に見せるじゃなしに、賢治の綴った言葉のイメージを忠実に再現したみたいに見える。
なんか全部ちょっと可笑しくて、じんわり愛おしさを感じるような、そんな絵。
今日娘に読んで聞かせたら娘は目をキラキラさせて笑っていた。
私も笑顔になって、なんだか力が湧いてきた。

この詩の、"東に病気の子どもあれば行って看病してやり"からあとの部分が特に好きなところなんやけど、解説の中で、「行って」という言葉はこの詩の重要なキーワードなのだと書かれてあった。
知恵や知識があっても行動しなければ意味がないと、そんなふうに賢治は考えていたらしい。
うーん、ますますすごい詩やなぁ。
何度も声に出して読もう。




雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ
夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク
決シテ怒ラズ
イツモシズカニ
ワラッテイル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト
少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲ
カンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシ
ワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ
小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ
看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテ
ソノ稲ノ束ヲ負イ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ッテ
コワガラナクテモ
イイトイイ
北ニケンカヤソショウガアレバ
ツマラナイカラ
ヤメロトイイ
ヒデリノトキハ
ナミダヲナガシ
サムサノナツハ
オロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
ソウイウモノニ
ワタシハナリタイ








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スモーキー・マウンテン

先日、梅田のNU茶屋町にスタンダードブックストア2号店が
できたというので覗きに行った。
ベストセラーを置かない本屋さん、スタンダードブックストア。
心斎橋の本店では、BGMでノラ・ジョーンズが流れてたりと、
店内雰囲気や音楽、雑貨のセレクトまで
私のツボを刺激しまくる素敵な本屋さんなのです。
初めて行った梅田店は心斎橋店より明るい雰囲気で
カルチャー系の本が充実してる印象。
入口付近に写真集とか音楽系の本が集まってた。
梅田近郊のみなさん、是非。

・・で、すんごい本見つけた。
ちょっと今日はそのご紹介を。
名越啓介さんという若き写真家の写真集『SMOKEY MOUNTAIN』。
フィリピンのマニラにあるスラム街・スモーキーマウンテンを10年かけて
撮った写真集。

以下、スモーキー・マウンテンの概要(by wikipedia)
スモーキー・マウンテンSmokey Mountain)とは、
フィリピンマニラ市北方に位置するスラム街のことである。
名称の由来は、自然発火したごみの山から燻る煙が昇るさまから名付けられた。
かつては海岸線に面した一漁村であったが、1954年に焼却されないゴミの投棄場になった。
それ以来からマニラ市内で出たごみが大量に運び込まれ、ゴミの中から廃品回収を行い
僅かな日銭を稼ぐ貧民が住み着き、急速にスラム化した。
1980年代後半頃から、フィリピンの貧困の象徴として扱われるようになった。
政府は、国のイメージが損なわれることを理由に閉鎖を決断。
住民は、公共住宅をあてがわれ強制退去させられたが、
一部の住民はスモーキー・バレーをはじめとする別の処分場周辺に移り住み、
従来通りのスカベンジャーぶりを発揮している。」

・・

大体、本を選ぶときは直感。
引き寄せられるように手にとることが多い。
特にアート系の本はそうだ。
この写真集『スモーキーマウンテン』もそう。
表紙を見た瞬間、ぐわっと心を捉えられ、それから一気にページをめくり、
気づけばレジへ直行していた。
背筋がざわざわした。
大きな袋を片手にゴミ山をあさる無数の人びと。
血痕のついた道。
薄汚れたタオルの中からのぞく幼児のものと思われる手。
抱き合う父と子。
半裸で水を浴び、白い歯を見せつけるように思いっきり笑う少年たち。
すごい生命力、すごい熱気。
一枚一枚の写真を通して伝わってくる熱量がハンパない。
写真という媒体の力を見せつけられるような、そんな写真集。

これはあくまで自分の価値観やけども、
日本という国で写真を「見せる」、写真で「勝負する」ならこういうのじゃないと、と思う。
写真を撮るというのがすごく日常的な営みであるこの国で、
綺麗なだけの写真撮って、それ見せたって仕方ないよなぁって。
(自分もそんな大した写真撮れてない自覚の上での発言ですが。)
だって、写真ってそこに実在する物や存在を切り取るわけやから、
その部分ではどうしたって個々人の実体験に勝ることができないと思うのです。
仮に美しい桜の花を撮ったとして、
やっぱり桜を直に見てその場の空気に触れてみた感動には
どうしたって勝てないよなぁと。
(これもあくまで自分の価値観ですが。)

そういう意味で、写真集『スモーキーマウンテン』は
東南アジア諸国に住む人が見たら、
もしかしたら「ふーん」ていう感じなのかもしれない。
「ああ、スモーキーマウンテンね、あそこはひどいところでぇ」みたいな。笑
でも、日本に住む人間にとってはハンマーで脳みそぶん殴られるくらいの
圧倒的パワーを持った写真集だと思う。
ページをめくりながら、一枚一枚の写真をたどりながら、
自分という存在が問われる。
ナマぬるく生きてんじゃないかって。
全力でやってるか?って。
明日死ぬかもしれないってそんな中で感じる「生」と、
明日もたぶん生きてるってそんな中で感じる「生」と。
集中力が違う気がして。
限られた人生、バカげたことはやめようって思ったし、躊躇すんなよって思った。
見ながら。
少なくとも、私は。

あと、少しだけ。

写真集には棺桶に入った子どもの写真やドクロの写真も出てくる。
泥まみれの裸の男の子、ゴミの中で暮らす人びと。
どうしてこんなに貧富の差が激しいのか。
フィリピンという国の歴史の中にそのヒントは隠されている。
以下、写真集の巻末に記された解説からの引用。
「フィリピンは常に大国の利害に振り回され、植民地主義、帝国主義、
資本主義の犠牲であり続けた。
その抑圧の歴史が国家としての近代化を阻み、現在のフィリピン社会を
未だに呪縛し続けている。
極端な格差社会、腐敗した政治構造、アナーキーに近い治安・・・。
ただ、この国家としての未熟さがフィリピンの独特の文化、社会構造を
育んだといっていい。」

劣悪な環境、管理のされていない"危険"な場所、スモーキーマウンテン。
でもそこは生命力のほとばしる、人間そのもののパワーが全開に溢れた場所でもある。
管理の行き届いた一見"平和"なこの国で生きる私は
それを見て何を感じ、学ぶべきか。
もう一度ゆっくり見直そう。
これから何か迷ったら、この写真集を開こうと思う。

・・熱い。
久々に写真見て、熱い!!って思った。


スモーキー・マウンテン』、オススメです。



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森のなか

色々、ゴチャゴチャややこしいときほど、
前向きで楽しいことを考える。
なので書く。
書くことは楽しいから。

金曜、DVDとCDを色々借りた。
TSUTAYAの期間限定の半額券があって、
この際だからと、気になるものをたくさん借りてきた。
明日は谷川さんと映画の上映会をする予定。
二人で。
おもしろかったら感想をまた書くかもしれない。


2011年。
行きたい場所も色々あって、学びたいこともたくさんあって、
出会いたい人もたくさんいる。
楽しいことはたくさんある。
・・というか、楽しくしていくのは自分!
だからとにかく、これからは楽しいことを!



長田弘さんの『詩ふたつ』という本を買った。
グスタフ・クリムトの絵とともに綴られた美しい二編の詩。

最初の詩はこんな言葉から始まる。


「春の日、あなたに会いにゆく。
あなたは、なくなった人である。
どこにもいない人である。」


生きるとは、死ぬとはを綴った静かなことば。
この本をジュンク堂で見つけて読んだとき、
心の中が青空の中に溶け込むみたいな気持ちになって
ああこれはいいなぁと、
それで買って帰ってきた。

この本の中のクリムトの絵は
どれも、花や木々の姿を鮮やかに描いたもの。
絵を見るだけでも心が癒される気がする。


「何もないところに、
木を一本、わたしは植えた。
それが世界のはじまりだった。


・・


森には、何一つ、
余分なものがない。
何一つ、むだなものがない。

人生も、おなじだ。
何一つ、余分なものがない。
むだなものがない。

やがて、とある日、
黙って森を出てゆくもののように、
わたしたちは逝くだろう。

わたしたちが死んで、
わたしたちの森の木が
天を突くほど、大きくなったら、
大きくなった木の下で会おう。
わたしは新鮮な苺をもってゆく。
きみは悲しみをもたずにきてくれ。

そのとき、ふりかえって
人生は森のなかの一日のようだったと
言えたら、わたしはうれしい。」


大きな、大きな愛やなぁ。
イライラするの、馬鹿みたい。
やめた。




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生身の人間

色々書くことはあるんやけども・・・本の話を。

土曜はみどりんと三十三間堂を拝観し、その後、
新風館というところであったフリーライブを観に行き、
そして最後は一乗寺にある恵文社という本屋さんへ行った。
恵文社一乗寺店は、心斎橋のStandard Bookstoreと同様に、
本のセレクトがすごくおもしろくて。
ベストセラーを置かない本屋さん、雑貨もある本屋さん。
ここに来たのは土曜で3回目やった。

お互い、暗黙の了解で自分の世界に没頭。
最初、銀杏ボーイズ峯田とサンボマスター山口の対談が載った雑誌をパラパラ読んで、
その後、大判の浮世絵の本を読み、アイヌ語の本をさくっと。
そして手に取った本。
吉永マサユキ氏の写真集、『ニッポンタカイネ』。

帯に書いてある言葉を引用。
「20世紀末、タイ、ミャンマー、パキスタン、モンゴル・・・あらゆる国々の人々を吸収し、
アジア化していった東京。
その「アジア人の日常」を捉えた『ニッポンタカイネ』が刊行されてから十余年。
長らく在庫切れでプレミア化していた吉永マサユキの代表作が世紀をまたいでついに復刊!」

写っているのは人物のポートレート。
「インドネシア プディ・サントソ・ヨハン 工場/日本語学校に通う勤労学生」
「パキスタン シャー・ナスィル 32歳 メッキ工」
「ミャンマー ティ・ティ 29歳 居酒屋」
「フィリピン レイア・ジョイ 29歳 印刷工」
「チベット ラマ・ウゲン 28歳 チベット僧」
「タイ ナン 38歳 タイレストラン」

ベッドに腰掛けている人、家の中でくつろいでいる人・・・
そのあるがままの姿。
写っているのは生々しいまでに人間。
被写体との距離の近さ、空気の濃さがすごい。
礼拝をする人たちの姿も、郷土料理を作って食べる人の姿も
そのどれもこれもがとにかく近い。
物理的な距離ではなくて、撮影者と被写体となった人びととの心の距離感が
驚くほどに近い。

ページを繰るごとにこんなに感動した写真集は初めてやった。


生身の人間の姿を撮っている。
それも大量に。
東京に住むアジア人たち。
日本人とよく似た顔をした、同じアジアからやってきた人たち。
よく似ているのに、決して対等には扱われない人たち。
下手したら家もロクに借りられない人たち。

福祉業界が人手不足でインドネシアから介護士を受け入れるという話にしたってそう。
日本で介護士の資格をとるために課せられる要件のあまりのキツさ。
まるで人身売買みたいな。
そして人が足りないから来てもらうくせに、受け入れるか否かで起こる論争。
曰く、「インドネシア人ガ、マトモニ介護デキンノカヨ?」
おこがましいにも程があるやろう。
いっそ、ぶん殴ってやろうかと思うけど、誰をぶん殴ればいいのかわからない。
わからないようにできている。
仕組まれている。
なおさら腹が立って仕方がない。

・・

本の最後、それぞれの国の国歌が原文と和訳付で載っていた。

「ベトナム社会主義共和国 国歌

ベトナムのつわもの 救えや 我が祖国
長い旅をしている足音が響く
赤き旗振りて勝利に進めや
・・
敵を乗り越え 苦難を破りて
正義のために闘わん
進め 共に ベトナムよ永遠なれ」

「ミャンマー連邦 国歌

・・
我々皆の国 命をかけて守ろう
我が国 我が土地 我が大地」

「モンゴル国 国歌

我らが不可侵の革命の国 全モンゴルの聖なる源
敵の支配に決して屈せず 常に平安に永久に残る
・・」

国を守ろう、死守しようという歌詞の多いこと。
・・アジア最貧国と言われるバングラデシュの国歌を読んだときには
ふいに涙がこぼれた。

「バングラデシュ人民共和国 国歌

輝くベンガル 我が愛する国 楽しい国 母なる国よ
愛する おお 我が国 その空 その空気 歌は生まれでる
おお 春の日 マンゴウ熟れて かおる 甘き 香よ
おお 秋の日 とうきび みのるよ
見よ その美しさを わがベンガル やさしき我が母
河の岸には バニヤン茂りて 我ら 涼しき木陰に集い 憩うよ
喜びに見ている 言葉誘うよ
甘き言葉 喜びに見てる 言葉誘うよ
もし きみがうつむいたならば 私の頬濡らすよ
我がベンガル やさしき我が母」

ただ大地を愛し、歌う歌。

・・

吉永氏が最後に書いている言葉。
「ほとんどの人が経済的理由で日本へ出稼ぎに来ていて、見知らぬ土地で、聞き慣れない言葉で
不安渦巻き、劣悪な労働条件のもとに働いていた人がほとんどやったろうに、
それに伴う悲壮感は微塵もなく、かえって、他国である日本で自己のアイデンティティを守る為なのか、自己の存在証明を得る為なのか、ぶっちゃけ自分が自分らしくある為であろう、
自国の祭りや風習を持ち込んで、それがやけに楽しそうで、溌剌としているのである。」

そうなのだ。
この本の中の人はみんな明るくて、ひょうひょうとすらしていて、
何とも力強くたくましい。
もう一度見直してみる。
やっぱりそうだ。


怒ったり泣いたりしていたのは、ほかでもない、私たった一人だった。


・・




あー・・・もう!!
いっぱい書いちゃったな。今日も。
ねぇ、誰か止めてくださいよー。笑



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突っ込んでぶつかって・・・
まったく馬鹿げてる!
でも・・それでも
やっぱり生身の人間に触れてみたい。

そう思わせてくれる一冊。













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