手をつなぐ
日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。
バスキアの映画のこと
- 2020/04/21 (Tue)
- 映画 |
- Edit |
- ▲Top
今のコロナの波でこういう小さな映画館の今後がどうなってしまうかと勝手ながら少し心配している。
なにかの足しになるとも思えないけど…ただ、こういう映画を観る機会がもしも無くなるなんてことがあったらそれはとても悲しいことなので。(そうならないと祈ってるけど)
「'88年に27歳の若さで他界し、今年が生誕50周年にあたる画家ジャン=ミシェル・バスキアにまつわるドキュメンタリー。バスキアの友人だったタムラ・デイヴィス監督が20年以上も封印していた未公開インタビュー映像と、彼を支えた友人たちへの取材映像で構成。80年代のアート・シーンを駆け抜けた伝説的な芸術家の素顔を明らかにしていく。(中略)
まだ10代後半だった70年代のNYで、スプレー・ペインティングによる落書きからアーティストとしてのキャリアをスタートさせたバスキア。時代の寵児として脚光を浴びる一方、人種差別に苦しんでいた彼の光と影が、貴重なインタビューで浮き彫りになる。」
…
バスキアは、若き黒人の画家。
彼の絵はいつも黒人であるということと一緒に評価の対象になってきた。
彼はそのことを強烈に意識しながら、そういう社会の理不尽に抗うかのような反逆的作品を残した。
一方で、かの有名な“白人”の巨匠、アンディ・ウォーホルに寄り添い、合作を作ったりもした。
社会への苛立ちと、成功への渇望と。
彼は人種差別に苦しんだというよりは、自身の相反する感情の板挟みに苦しんだのだと思う。
差別には抵抗したい、でも、成功したい。
どうしても、成功したい。
認められたい。
彼は”実力”で画壇に認められようと、短い画家人生で2000点を超える作品を残した。
その結果、彼は”成功”した。
生前、いわゆる権威ある画壇で認められることはついぞ叶わなかったものの、若い彼には手に負えないほどのお金と名声を手にした。
そしてそれは実際、彼の手には負えなかった。
その代償として、かつての仲間は彼の周りから去り、彼は孤独になった。
アンディが死に、最愛の父からも冷たくあしらわれ、行き詰った末に手にしたのはドラッグ。
ヘロインに溺れた彼は、一人ひっそりと、27歳の若さで死んだ。
もし今も生きてたとしたら50歳なのだそうだ。
なんとも切ない映画だった。
バスキアはものすごくモテたのだという。
食っていけない時代の彼を、たくさんの女たちが救った。
そしてたくさんの女が泣いたのだと。
実際、フィルムから映し出される彼はなんとも言えない魅力に溢れていた。
少年のような曇りのない瞳。
はにかむように笑い、ふいに歯がのぞく瞬間のあどけなさ。
そこには作為的なものが一切感じられなくて、同時に何とも儚い。
ずっと手をつないでおかないと、どこかに消えてなくなりそうで不安になるような、
そんな危うい魅力。
・・
元町の映画館を出て、帰り道。
一緒に観に行ったみどりんと人通りの少ない元町商店街を歩きながら、ポツポツと映画の感想を話した。
お金と名声、そして孤独。
常に隣り合わせのものたち。
孤独の淵で死んでいったバスキア。
映画には、駆け出しの時代のバスキアを経済的にも精神的にも支え続けてきた女性が出てくる。
バスキアは金と名声を手にした後、彼女を捨てた。
「あの女の人をずっと大事にしてたら、今もバスキア、生きてたかな」。
そうつぶやいたら、みどりんは、「生きてたんじゃない?」と言った。
あり得ない話やけど、あり得たかも。
映画を観る限り、彼女は間違いなく、彼の最大の理解者だった。
彼女はまるで、母親が自分の子どものことを語るかのように彼のことを語った。
彼女が彼に向けていた眼差しはきっと、いつも温かく、とても信頼できるものやったんやろう。
なんとなくそんな気がした。
・・
何が大事で何を死守すべきか。
バスキアにとっては、それがいつも、どこまでも”自分”だったのかな。
そう思うと、彼の心の孤独に、私は少しゾッとする。
美しく魅力的なバスキア。
天才画家、バスキア。
孤独な・・・
孤独な、バスキア。
今も少し胸が痛む。
そんな映画。
- << 不安への処方箋
- | HOME |
- 宵っ張り >>