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手をつなぐ

日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。

カテゴリー「演劇」の記事一覧

チャンソ

ヘグムで、ペンノレ(船歌)という曲を弾いていた。
今の私の生活の中で、ヘグムを弾いてるときが一番心安らかな瞬間。
無心で弾いている。
Amazing Graceとかも弾くけど、やっぱり朝鮮民謡が好きで。
プンニョンガ(豊年歌)とかアリランとか。
『チャンソ』の中でも主人公のソナがカヤグム(伽耶琴)を弾く場面があった。
あの場面、好きやったな。

・・

『チャンソ』の初演は2008年の7月か。
そうそう、たしか暑い日で。
應典院にもあのとき初めて行ったんやった。
あの頃、私はたしかなんとなく鬱々としていて、友人の銀太に誘われるがままに
観に行ったのがこの『チャンソ』やった。
観終わったあとの興奮と驚きと。
あと、終演後のことをよく覚えている。

終演後、銀太が金哲義さんに話しかけに行って、その様子を私は少し離れたところから見ていた。
銀太が何やら耳うちをし、それを聞いた哲義さんが「おー!君か!!」と
私にも聞こえるボリュームで言って笑った。
あの日のあの光景。
なぜか今も鮮明に目に焼き付いている。
ある種の衝撃を受けた後は脳が覚醒するからかな。
普通なら忘れてしまいそうなこんな出来事をはっきり覚えているなんて。
この作品はそれくらいすごいパワーを放っていたんだ。
あれからもう、3年以上経ったのか。

「チャンソ」あらすじ
1989年の大阪朝鮮高級学校。
主人公チャンソは民族と大阪朝高の伝説の皮をまとい毎日を過ごしていた。
強くなければ居場所を確保できない場所(チャンソ)で、ある日一人の日本学校の生徒に打ちのめされる。
次第に場所を失っていくチャンソは自分が越えるべきものは何なのかを、その答を捜し求める。
一方、チャンソがひそかに想いを寄せる、カヤグムを弾く少女ソナは、所属する民族器楽部の廃部が迫る中で、時代と伝統に場所を捜し求める。
卒業も間近に迫り、チャンソの不規則に跳ね回るプライドは、打ちのめされた相手との再戦という形で答を見出だそうとする。
そして再戦の日を、ソナの最後の演奏の日に選ぶ。
二人は明確な答を見つけ出せないまま、卒業式を迎える。(ここから引用)

・・

3年前のあの頃、私が悶々としていた理由は色々あって、仕事のこと、
あと、この、「民族」に関わることもあったような気がする。
在日コリアンコミュニティから距離を置き、高校までとその後の人間関係とが
ほぼ切り離された日々を送っていた私は、当時、なんとなく孤独で不安だった。
「国」とか「民族」とか。
それを自分がどう捉えていくのか。
どうやってそれと生きていくのか。
何をどう考えていけばいいのかわからなくなって、答えを探すけど、
でも目の前に提示される答えはどれもこれも何か違う気がした。
いっそ完全に無関心を装うことができたなら楽やったのかもしれないけれど、
そうすることもできず・・・。
気になるのに、どうしたらいいかわからない。
その状態からの抜け道を示してくれたのがこの『チャンソ』だった。

舞台の上の世界からものすごく濃い匂いがした。
紛れもなく、私がいた世界の匂い。
すんごい嫌で、でも妙に落ち着くところもあって、イライラして、
二度と戻りたくないと思っていたあの場所のあの匂い。
自分がそれまでずっと遠ざけてきたものがいきなり目の前に現れたことに驚きつつ、
気づけばどんどん惹きこまれていた。
チャンソの葛藤の理由がわかる気がした。
3年前のあの日、私は、主人公のチャンソと一緒に
もう一度高校生をやり直すことができたんやと思う。
大人になったチャンソが言った、「頑張れよ!」の言葉に涙が溢れ、
そのとき私は、一人じゃないって思った。

朝鮮学校の生徒役を演じているのは日本人の役者さんたちやった。
そのことの、得体の知れない安堵感もよく覚えている。
この感覚ってたぶんほとんどの人に伝わらない気がするけど、
でもこれは本当に、言葉にならないくらい私をホッとさせる事実だった。

・・

再演の今回、実は日程がどうしても折り合わず、観るのをあきらめていた。
でも『風の市』を観てから、やっぱりどうしても『チャンソ』も観たくなってしまった。
もう一度この作品を観て何を思うのかを知りたくて、確かめたくて、
その後の予定は置いといて、気づけば動き出していた。
もうすぐ三十路を迎えようという大人としてあるまじき行動。
でも観に行けて良かった。
なんかすごく・・・本当に良かった。

結論から言うと、私は3年前からあまり変わっていない。
同じ場面が好きで、同じ場面で泣いた。
何か変わったことがあるとしたら、ヘグムを弾くようになっていて、
前ほど悩まなくなったことかもしれない。
在日コミュニティとも自然な関わりをするようになったし、
一世たちの生活を良くするためのお手伝いも少ししている。
イガイガだった心の角っこがどんどん丸くなっていて、
確実に3年分、歳を取ったことを感じる。
昔は若く見られるのがあんなに嫌やったのに、最近は若く見られると喜んじゃう
自分がいる。
そしてなんとなく、今の方が幸せ。
少しは大人になったのかもしれない。

ここまで、『アマデウス』のサントラを聴きながら書いていた。
もうすぐ最後の曲が終わる。
長くなってしまった。
読み返したら、これまた劇評とも感想とも言い難いことを書いてしまった気がするけど、
ほんの少しだけ、自己満足の達成感。
缶チューハイで若干酔っ払いのせいかな。

まぶたが重くなってきた。

この辺で。





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風の市

MAYの『風の市』と『チャンソ』を観た。

私はたぶん、これまでもこれからも、まともな劇評を書けるようにはならないんやろうなと思う。
細部の緻密な観察とか考察とか苦手やし。
それでも書こうと思うのはやっぱり素晴らしいものを観たと思うから。
演劇の専門的なことはよくわからないけど、やっぱり言いたい。
すっごい良かった。
めっちゃ笑ってめちゃくちゃ元気出た。
なんか私、この半年くらいで一番笑ったと思う。

・・

「「風の市」あらすじ
1960年代後半、大阪。
猪飼野と呼ばれた町に住む7人兄妹の新井家に突然やってきた「兄さん」・・・。
彼の巻き起こす突風の向こうには、兄妹達の知らない世界、知らない故郷があった。
ふらりとやってきた兄さんが、ふわりと海へ還るまでの、瞬く間の7年間の物語。」(ここから引用)。

この「兄さん」、その名もソンジンは、韓国・済州島からの密入国者。
家の周りには密入国者を捕まえるために警察がうろうろ・・・。
ストーリーが進むにつれ、徐々に明るみになる事実。
ソンジンは済州島で起こった悲劇の大虐殺事件(4・3事件)で家族を殺され、
一族のうち、唯一生き残った存在であったのだ。。。

と、こう書いてみると何やら重いお話のようやけど、
これがめっちゃおもしろかったのです。
いや、もう、何がそんなに面白いねんって突っ込まれかねないくらい笑った。
とにかくツボにハマる笑いとユーモアの世界が繰り広げられてて。
途中、父親が死んだり、事件のことが明らかになったりするのに、
そこに生きる人たちへの愛おしさに笑いが込み上げては止まらない。
つらくてもしんどくても笑いがあるってなんて素敵なんやろうって。
ソウルフラワーユニオンの「風の市」のフレーズが今も頭の中回ってる。
「Ah- ここは笑いと涙の舞台
悲しすぎて笑いながら毒を吐いてる」

この密入国者のお兄さん・ソンジン(愛称ソンジニ)が私は大好きだ。
観ながらずっと、ああ、私、この人のことめっちゃ好きやなぁって思った。
強引で、めちゃくちゃで、うるさいくらいよく喋る。
いつも元気いっぱい。
でもロマンチストなところもあって、情に厚い。
周囲の評価は「あんな男は絶対ダメだ」とボロカスなのに、
なんかどうしても心惹かれてしまう。
魅力的なのだ。
どこがいいのかと聞かれてもうまく言えないけど、ああいう人が目の前にいたら
私は絶対好きになってしまう。
そういう人。

ソンジンが恋に落ちる文野洋代を演じたふくだひと美さんは相変わらずめっちゃかわいくて、
二人が夫婦になる場面では(良かった!)と心から思い、
ソンジンが死んでしまったときはめちゃくちゃ悲しいと思った。
なんかこの余韻が今も残ってて・・・。
(あー、今日全然うまく書けてない気がする!笑)
でもなんやろう。
良かった。

今日、とある人から、優しいとか嬉しいとか楽しいとかそういう幼稚なことを
安易に言うなと注意されたんやけど(笑)、
でも、難しいこと、やっぱ言えないかも。

『風の市』は今の世にはびこる得体の知れない不安や苦しい気持ちを相当軽くしてくれる
作品やと思う。
少なくとも私はめっちゃ救われた。
しんどいことばっかで暗いニュースばかりで、でもその中を生きないといけなくて。
この物語の中を生きる人たちもそう。
しんどいこといっぱい起こるけど、でもあんなにもおもしろい。
笑いって希望やなと思う。
つらいときでもやっぱりおもしろいこと言いたいもん。
落ち込んでるとき、笑いがどれだけ気持ちを軽くしてくれることか。
笑ってたら束の間忘れられることがある。
そういうの、信じてる。
仮に馬鹿にされたとしても。


とりあえずアップしよう。

『チャンソ』のことはまたあとで書こうと思います。




夜にだって月はあるから

引き続き、観劇記録を。

Mayの『夜にだって月はあるから』を観た。
さっきチラッと検索してみたら、この公演の感想をブログで書いている人がたくさんいて。
しかもその人たちの感想があらすじも含めてすごく丁寧だったりするので
私は、物語の本筋から外れるかも知れないけれど、
自分が思ったことを素直に書こうと思う。

・・

とても美しい恋の物語だった。
ヒロインの貞仙(チョンソン)と、主人公の春太(チュンテ)。
春太の一目ぼれで始まった恋は、互いの背負っているものや
これから進もうとする道の決定的な違いなどで、結局、成就せずに終わる。
でもそれが悲劇的に描かれるのではなくて、あくまでも美しい愛とユーモアで表現されていて。
最後はそれぞれの幸せを静かに祈るような気持ちになった。

貞仙を演じられた福田ひと美さん。
舞台上のどこにいてもハッと目を引く華やかな役者さんで、
この方の美しさに私も一目ぼれだった。
そして春太を演じられたMay座長の金哲義さんとお二人で並んだとき、
この二人が愛を育むというのはすごくまっとうで美しい、と思った。
言葉にしたらなんとなく安直な感じがしてしまうけど、でもこれって重要なことやと思う。
素敵やなぁと思うからこそうまくいけばいいのにと思うし、
別れを感じるシーンではより悲しいと感じるような気がする。
おのずと物語へ向かう集中力も上がる気がするし・・・。
印象に残るシーンはいくつもあったけど、振り返ってみて、
やっぱり私は、この貞仙と春太、二人きりのシーンが一番好きだった。

・・

うまくいく恋もあればうまくいかない恋もある。
それはどの時代であっても、平和な場所であろうと過酷な状況であろうと、
あまり変わらない気がする。
貞仙と春太を分かつ要因には、”民族”や、”国”や、価値観やタイミングや、
本当に色々なものがあって。
でも、仮にそれらの要因が全て無かったとして、うまくいくかと言ったら
そうとも限らないと思う。

人間関係は一瞬の重なり合いの奇跡みたいなものやな、と思うことがある。
やり直しはできない。
今じゃない時を生きることもできない。
せっかく出会って仲良くなっても、何かの瞬間に関係が破たんするなんてよくあることやし、
逆に、絶交だ!と思っていても、あるときふいに強く結びつくなんてこともある。
運命だと言ってしまえばそれまでやけど、
完璧に自分の思い通りに進むことなんて、実際にはほとんどない気がする。
でもだからこそ、その一瞬を全力で生きようとする人たちの姿に
感動するのかな、とも思う。

貞仙や春太はもちろん、この物語に出てくる人たちは皆、
そのときを必死に生きていた。
二度と戻れない今を逃すまいとしていた。
誰かを、何かを愛する情熱は、そのまま、生きることに向かう力なのかもしれない。
故郷を愛する情熱、愛する人を愛する情熱、
そのどれもが何かを選び取る勇気になる。
自らの力では太刀打ちできない大きな壁や荒波を前にしても、
勇気を持ってその一瞬を選び取る。
うまくいくかいかないかの結果じゃない、今この瞬間なんだよ!って
そう言われている気がした。

・・

舞台上を生きる人びとの熱気が観ているこちらにまで伝染し、
不思議と力が溢れ出てくるような、そんな素敵な演劇でした。



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夜にだって月はあるから
















 

シュール。

今日(土曜ね)、楽しかったな~。
何から書こうかな。
えっと・・・まず、お昼の話。

先日オカリナ奏者デビューした先輩と会った。(11/6の日記を参照)
恐ろしい先輩が多いことで知られる吹奏楽部(いや、事実ですので・・)の中で、
この先輩は違った。
つまらん後輩いびりとかしないし、楽器(当時はクラリネット)も上手で。
良い音源があればダビングしてくれて、話もいつもおもしろかった。
なんかね、物語を語るみたいに話すの。
目をキラキラさせて、ワクワクドキドキしながら。
練習のときのアドバイスもおもしろかったなぁ。
「ここは暗い森を夜に一人で歩いているイメージで」、とか
「マラソンの最後、ラストスパートで必死に足を踏み出すイメージ」、とか
想像力をフル稼働しながら音を楽しむことを教えてくれた。
今日聞いた話・・オカリナ奏者になるまでの経緯とかも
めっちゃおもしろかったなぁ。
プラスのパワーもいっぱいもらえた!
思うに、先輩はいつまで経っても先輩なんですよね。
これからも色々と教えてもらおう。

そしてそして・・・
夜の話。

みどりんと、鉄割アルバトロスケット『鉄割のアルバトロスが 京都編』を観に行った。
場所は河原町のアートコンプレックス。
鉄割アルバトロスケットとは、パンフレットの言葉を借りると、
「コントともネタともつかないそれぞれ1~5分の出し物を30本ほど矢継ぎ早に
繰り出すパフォーマンス集団。
演劇人というよりも舞台芸人と呼ぶにふさわしい。
"4コマ漫画をロックな演劇にしたような"、と評され、東京の演劇シーンにありながらも、
独特な位置をキープしている。今回は6年ぶりとなる京都公演」。
この解説、非常にわかりやすいです。
そもそもなんで観に行ったかというと、
みどりんが"鉄割"の主宰者であり小説家でもある戌井昭人(いぬい・あきと)さんの大ファンで。
それで今回一緒に観に行った。

初めて観た鉄割は、なんというか、すごい・・・勇気ある劇団やなと。
そう思いました。
だってね、それぞれの演目のタイトルが「やきとりの串」とか「わき毛でバイオリン」とか
「アライちゃん」とかですよ?
とにかくめちゃくちゃシュール。
大爆笑が沸き起こる演目もあれば、シュールすぎて(?)シーンと静まりかえる演目もある。
それがなんか、すごいなと・・。
勇気!と思った。

戌井さんの出てくる演目は全部おもしろかったな。
演技がなんか狂ってて、それがすごい見事やった。
見事な狂ってる演技。
あと、「わき毛でバイオリン」の俳優さん(名前がわからない)は
自分的にツボやった。
わき毛にバイオリンの弓を挟んでそれを前後させながら
クラシックの曲を思いっきり歌うという・・・。
なんかもう、訳わからんさ加減が半端なくって。
でもこういうの私、好きなんですよね。笑

みどりんは私以上に相当シュールな笑いのツボを持ってる人で、
あらゆる演目でとにかく爆笑してたな。
たぶんあの劇場でみどりんが誰よりもよく笑ってたと思う。
途中、飛び入りで舞台に上がって"死体の役"までやってのけたしね。
聞くところによると、彼女の笑いのルーツは漫才師の「のいる・こいる」らしい。
私は漫画の『伝染るんです。』なんやけども。

・・
なんか最後ら辺どうでもいい話したような気もしますが。
てか、こんな終わり方で良いのだろうか。

ま、たまにはこんな日も。(たまにでもないか。笑)



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昭和のいる・こいる















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