手をつなぐ
日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。
カテゴリー「日々のこと」の記事一覧
メーデー
- 2012/05/01 (Tue)
- 日々のこと |
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5月1日。
毎年この日は仕事が休みだった。
メーデーで、三宮の某所から労働組合の旗を持ってパレードするのだ。
それが認められていた日。
仕事をしなくてよかった日。
でも今年は学校だ。
今から支度をする。
・・
働いていたとき、私は最初、10歳以上年上の先輩ばかり揃った
激務の部署に配属された。
そのとき私の教育係となったのは、ちょうど一回り年上の上司で、
めちゃくちゃ仕事の出来る女性だった。
まず命じられたのは、毎朝早く来て全員の机を雑巾で拭いて回ることだった。
あと、役員室の掃除。
そして、お茶出し。
全員のゴミ箱からゴミをかき集めて捨てるのも。
それはあなたの仕事よ、と。
暑気払いと称した飲み会や、年末恒例の忘年会、そして年度初めの歓送迎会の幹事も
私の仕事だった。
お店はどこでもいいわけではなく、大先輩方のおめがねに合う、品のいいお店でないと
いけなかった。
そんなもの20そこそこの私が知っているわけがなく、毎回店選びのたびに冷や汗をかいた。
結局その部署で3年間。
下の後輩が入ってくることはなく、私はずっと一番の下っ端だった。
なんでなん、と思うことは多々あった。
聞いたら、ほかの部署の新人は誰もそんなことしていなくて、私だけだった。
ゴミ捨てについて、そんなことさせられるなんてひどすぎると憤慨した子もいた。
でもやっていた。
無心に。
毎朝。
腹を立てるほどのことじゃないと思うようにした。
まぁいいや、で終わらせる。
その方が楽やから。
それで波風が立たずに穏やかな空気が流れるのなら、そっちの方がよっぽどいい。
今もそう。
まぁいっか、で終わる。
思うに、自分の思い通りになることなんてそんなのはほとんどあるもんじゃない。
でもそれは自分だけで生きてるわけじゃないから当たり前だ。
そういうものなのだ。
私があの3年間で最も学んだことはたぶんこれだ。
実感として、経験として、はっきりとそのことを理解した。
なんか昨日ちょっと凹んでいて、うだうだグダグダした思いで横になって
気づいたら寝ていた。
爆睡。
目が覚めて、自分のあほさ加減に嫌気がさして、こんなことを書いている。
あほだ、私は。
あんなに身を持って学んだくせに、昨日私は思い通りにいかないとある事案について
普通に傷つき、拗ねた。
拗ねたというのがなんか一番ぴったりな気がする。
ヘソを曲げて拗ねたのだ。
今朝起きてきてしみじみ呆れる。
でもまぁ、しっかり学習したはずのことが発動しないこともある。
・・
今日はメーデーで、きっと今年もパレードが行われる。
私はそこに参加しない。
学校に行くのだ。
いろんなことがちゃんと動き出して進んでいる。
経験は経験として置いておこう。
今の私はそこにはいない。
今はでも、やっぱりすごく楽しい。
Hanson/MMMBop
http://www.youtube.com/watch?v=NHozn0YXAeE&ob=av2n
私この曲すごい好きやったんやけど(まぁ今も好きなんやけど)
3人兄弟なんよね。
ハンソンって今もいるのかなぁ?
誰か知ってたら教えてください。笑
毎年この日は仕事が休みだった。
メーデーで、三宮の某所から労働組合の旗を持ってパレードするのだ。
それが認められていた日。
仕事をしなくてよかった日。
でも今年は学校だ。
今から支度をする。
・・
働いていたとき、私は最初、10歳以上年上の先輩ばかり揃った
激務の部署に配属された。
そのとき私の教育係となったのは、ちょうど一回り年上の上司で、
めちゃくちゃ仕事の出来る女性だった。
まず命じられたのは、毎朝早く来て全員の机を雑巾で拭いて回ることだった。
あと、役員室の掃除。
そして、お茶出し。
全員のゴミ箱からゴミをかき集めて捨てるのも。
それはあなたの仕事よ、と。
暑気払いと称した飲み会や、年末恒例の忘年会、そして年度初めの歓送迎会の幹事も
私の仕事だった。
お店はどこでもいいわけではなく、大先輩方のおめがねに合う、品のいいお店でないと
いけなかった。
そんなもの20そこそこの私が知っているわけがなく、毎回店選びのたびに冷や汗をかいた。
結局その部署で3年間。
下の後輩が入ってくることはなく、私はずっと一番の下っ端だった。
なんでなん、と思うことは多々あった。
聞いたら、ほかの部署の新人は誰もそんなことしていなくて、私だけだった。
ゴミ捨てについて、そんなことさせられるなんてひどすぎると憤慨した子もいた。
でもやっていた。
無心に。
毎朝。
腹を立てるほどのことじゃないと思うようにした。
まぁいいや、で終わらせる。
その方が楽やから。
それで波風が立たずに穏やかな空気が流れるのなら、そっちの方がよっぽどいい。
今もそう。
まぁいっか、で終わる。
思うに、自分の思い通りになることなんてそんなのはほとんどあるもんじゃない。
でもそれは自分だけで生きてるわけじゃないから当たり前だ。
そういうものなのだ。
私があの3年間で最も学んだことはたぶんこれだ。
実感として、経験として、はっきりとそのことを理解した。
なんか昨日ちょっと凹んでいて、うだうだグダグダした思いで横になって
気づいたら寝ていた。
爆睡。
目が覚めて、自分のあほさ加減に嫌気がさして、こんなことを書いている。
あほだ、私は。
あんなに身を持って学んだくせに、昨日私は思い通りにいかないとある事案について
普通に傷つき、拗ねた。
拗ねたというのがなんか一番ぴったりな気がする。
ヘソを曲げて拗ねたのだ。
今朝起きてきてしみじみ呆れる。
でもまぁ、しっかり学習したはずのことが発動しないこともある。
・・
今日はメーデーで、きっと今年もパレードが行われる。
私はそこに参加しない。
学校に行くのだ。
いろんなことがちゃんと動き出して進んでいる。
経験は経験として置いておこう。
今の私はそこにはいない。
今はでも、やっぱりすごく楽しい。
Hanson/MMMBop
http://www.youtube.com/watch?v=NHozn0YXAeE&ob=av2n
私この曲すごい好きやったんやけど(まぁ今も好きなんやけど)
3人兄弟なんよね。
ハンソンって今もいるのかなぁ?
誰か知ってたら教えてください。笑
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つれづれ回顧録
- 2012/04/25 (Wed)
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いちにのさんまのしっぽ、ゴリラのむすこ、なっぱ、はっぱ、くさったとうふ・・・。
昔、お風呂に入るときに口ずさんでた数え歌。
これで10。
さっきふと思い出した。
小さいころの記憶でいうと、私は父とお風呂に入った記憶がない。
本当に小さいころは、たしかに入れてもらっていたらしいけど、全く覚えていない。
昔住んでた実家は祖父母の代から譲り受けた古い木造の家で、
お風呂場は光の差し込まない1階の坪庭の傍にあった。
1階のほとんどは叔父の会社の倉庫(主にトイレットペーパーの段ボールが積まれていた)に
なっていて、あとは父の書斎、そしてお風呂場だけ。
物心ついたとき、父は出張でほとんど家にいなかったから、
薄暗い倉庫を横目に父の書斎に入って、一人お風呂に入るというのが毎日本当に怖かった。
ピアノもその書斎に置かれていて・・・。
シンとした薄暗い闇の中を数歩歩いて書斎の電気をつけるまでの瞬間、
あの数秒がいつもいつも怖かった。
ピアノの先生に、「ピアノが恐い部屋に置かれてるから練習できません」なんて泣き言を
言った記憶もある。
今でも悪夢にはこの書斎と倉庫とお風呂場が出てくる。
たぶん、私の心に刻まれた恐怖の原体験なのだ、これは。
・・
幼いころ、私が母に甘える時間というのは夜の10時を過ぎてからやった。
妹たちがすっかり寝てしまって、それから。
母と二人でドロドロの不倫ドラマや俗っぽいバラエティ番組なんかを観る時間がそれ。
甘えるといってもベタベタなんて決してしなくて、
というか、なんとなく恥ずかしくてそういうのは出来なかった。
本当は子どもらしく甘えたかったのやと思うけど、あの頃の私はとにかく
母と同じ目線で物を見て、大人たちに交じってお茶を飲むような
なんかそんなマセた子どもだった。
子どもより大人が好きだった。
大人の好むものを見聞きして、興味を持って、対等に扱われようとした。
遊びはいつも自分の中にあって、本と空が友達みたいな。
私の子どもらしさはそういうところにだけあって、だからあまり周りに理解されなかった。
素直じゃない子どもだと言われているのを知っていた。
・・
今の私はなんでも思ったことはわりと素直に口にしてしまう。
これは子どもの頃の反動なのかなと思ったり。
それとも、子ども時代の生き直しを今しているのかな、と思ったりもする。
そろそろ寝ようかな。
つれづれブログでした。
好きな曲。アマデウスのサントラの最後もこの曲。
Clara Haskil at Montreux/Mozart Piano Concerto K.466-2
http://www.youtube.com/watch?v=Dcv21fo6kOU
昔、お風呂に入るときに口ずさんでた数え歌。
これで10。
さっきふと思い出した。
小さいころの記憶でいうと、私は父とお風呂に入った記憶がない。
本当に小さいころは、たしかに入れてもらっていたらしいけど、全く覚えていない。
昔住んでた実家は祖父母の代から譲り受けた古い木造の家で、
お風呂場は光の差し込まない1階の坪庭の傍にあった。
1階のほとんどは叔父の会社の倉庫(主にトイレットペーパーの段ボールが積まれていた)に
なっていて、あとは父の書斎、そしてお風呂場だけ。
物心ついたとき、父は出張でほとんど家にいなかったから、
薄暗い倉庫を横目に父の書斎に入って、一人お風呂に入るというのが毎日本当に怖かった。
ピアノもその書斎に置かれていて・・・。
シンとした薄暗い闇の中を数歩歩いて書斎の電気をつけるまでの瞬間、
あの数秒がいつもいつも怖かった。
ピアノの先生に、「ピアノが恐い部屋に置かれてるから練習できません」なんて泣き言を
言った記憶もある。
今でも悪夢にはこの書斎と倉庫とお風呂場が出てくる。
たぶん、私の心に刻まれた恐怖の原体験なのだ、これは。
・・
幼いころ、私が母に甘える時間というのは夜の10時を過ぎてからやった。
妹たちがすっかり寝てしまって、それから。
母と二人でドロドロの不倫ドラマや俗っぽいバラエティ番組なんかを観る時間がそれ。
甘えるといってもベタベタなんて決してしなくて、
というか、なんとなく恥ずかしくてそういうのは出来なかった。
本当は子どもらしく甘えたかったのやと思うけど、あの頃の私はとにかく
母と同じ目線で物を見て、大人たちに交じってお茶を飲むような
なんかそんなマセた子どもだった。
子どもより大人が好きだった。
大人の好むものを見聞きして、興味を持って、対等に扱われようとした。
遊びはいつも自分の中にあって、本と空が友達みたいな。
私の子どもらしさはそういうところにだけあって、だからあまり周りに理解されなかった。
素直じゃない子どもだと言われているのを知っていた。
・・
今の私はなんでも思ったことはわりと素直に口にしてしまう。
これは子どもの頃の反動なのかなと思ったり。
それとも、子ども時代の生き直しを今しているのかな、と思ったりもする。
そろそろ寝ようかな。
つれづれブログでした。
好きな曲。アマデウスのサントラの最後もこの曲。
Clara Haskil at Montreux/Mozart Piano Concerto K.466-2
http://www.youtube.com/watch?v=Dcv21fo6kOU
お遍路さん
- 2012/04/20 (Fri)
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近所のマクドナルドで勉強して、帰ろうとしたら雨が降っていた。
傘を買うかどうかで迷ってたら交差点の信号が青になって
そのまま自転車のペダルを踏み込んで帰ってきてしまった。
びしょ濡れ。はぁ・・・。
雨は苦手。昔から。
まず、気圧の変化のせいで鼻づまりが起こるし、何よりなんとなく気持ちが沈む。
でも・・・さっき元気が出た。
なんかすごく。
私ってホンマに単純。でも素直さだけが取り柄やと思うから、たぶんこれでいいのだ。
元気が出たから他愛のない話を少し。
今日のお昼休みにお弁当食べながらしてた会話。
A「うちのお父さん、今週末61歳の誕生日やねん。プレゼント何にしようかと思って」
B「服は?」
A「うーん…ほかに何か無いかなぁ」
C「趣味とかあるん?」
A「四国お遍路さんの旅」
B「じゃあもう杖でいいやん。コーナンとかで売ってそう」
A「ああ…」
C「寝袋は?」
A「お遍路さんの旅、バスツアーやからそれは大丈夫」
B「てか気持ちが大事やん?絵とか描いたら?それか・・・ポエム(笑)」
A「ああ。タイトル『枯れ木』とか」
B「枯れ木(笑) せめて生きてるやつをテーマにしよ」
C「タイトル、『お父さん』でいいんちゃうかな。てか、話戻るけど、なんでお遍路が趣味なん?」
A「さぁ・・・天国行きたいんちゃう?」
B「もう、300均で適当にガラクタ集めて袋詰めしてあげたら?」
ひどいよね、なんか・・・
お祝いしようって言いつつ、枯れ木発言に、挙げ句300均やから。笑
Aがあっこちゃん、Bがゆーみん、Cが私。
毎日こんなこと話して笑ってる。
他愛のない話、おわり。
傘を買うかどうかで迷ってたら交差点の信号が青になって
そのまま自転車のペダルを踏み込んで帰ってきてしまった。
びしょ濡れ。はぁ・・・。
雨は苦手。昔から。
まず、気圧の変化のせいで鼻づまりが起こるし、何よりなんとなく気持ちが沈む。
でも・・・さっき元気が出た。
なんかすごく。
私ってホンマに単純。でも素直さだけが取り柄やと思うから、たぶんこれでいいのだ。
元気が出たから他愛のない話を少し。
今日のお昼休みにお弁当食べながらしてた会話。
A「うちのお父さん、今週末61歳の誕生日やねん。プレゼント何にしようかと思って」
B「服は?」
A「うーん…ほかに何か無いかなぁ」
C「趣味とかあるん?」
A「四国お遍路さんの旅」
B「じゃあもう杖でいいやん。コーナンとかで売ってそう」
A「ああ…」
C「寝袋は?」
A「お遍路さんの旅、バスツアーやからそれは大丈夫」
B「てか気持ちが大事やん?絵とか描いたら?それか・・・ポエム(笑)」
A「ああ。タイトル『枯れ木』とか」
B「枯れ木(笑) せめて生きてるやつをテーマにしよ」
C「タイトル、『お父さん』でいいんちゃうかな。てか、話戻るけど、なんでお遍路が趣味なん?」
A「さぁ・・・天国行きたいんちゃう?」
B「もう、300均で適当にガラクタ集めて袋詰めしてあげたら?」
ひどいよね、なんか・・・
お祝いしようって言いつつ、枯れ木発言に、挙げ句300均やから。笑
Aがあっこちゃん、Bがゆーみん、Cが私。
毎日こんなこと話して笑ってる。
他愛のない話、おわり。
学び
- 2012/04/18 (Wed)
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先週一週間、ほぼ休み無く活動していたせいか、昨日はぶっ倒れて寝てしまっていた。
・・
先週の日曜、友人が主宰している講演会の手伝いにいった。
民主主義について改めて考え直そうという講演会。
友人は法学部の政治学科に所属していて、そういう関係もあって、
会場は大学の大きなホール。
企画のメンバーもほとんどが大学生だった。
この友人本人は27歳で、色々あって大学に入った人なので、まぁそんなに
私と何かが違うというのもないんやけど、やっぱ大学生は若かったなぁ。
若さをいいなぁと思う部分はもちろんあって、でも大変やなぁと思う面もあって。
受付で指示を出すのも金額を集計して合わせるのも私の仕事だった。
前に5年間勤めた職場でこういうことを散々してきたし、
作業自体はなんてことないといっちゃあ、なんてことないことだった。
終わってからの清算もしかり。
ただ、それを私ができるのはたくさんの先輩から学んできたお陰で、
そういう意味では本当にあの5年は無意味なものじゃなかったんやなと思う。
大学生たちはまだできない。
というか、受付とは何であるのかから説明しないといけない子もいる。
お金は両手で受け取るんよ、とか、資料渡すときは立ってね、とか、
まずは自分から挨拶して、とか。
「敬語わかんないっす~」って言われて、もうそれはいきなりはどうしようもないから
とりあえず自分が一番丁寧やと思う言葉で話してって言ったりとかも。
思えば、正しい敬語や接客態度、臨機応変な対応というのも
本当にこれまでの人生の中で積み重ねて学んできたものだ。
かつての職場、高校時代のクラブの先輩、遡れば、父、母、祖父、祖母。
いろんな人たちとすごす時間の中で、私は経験から学んだのだ。
そう思うと、本当に私は恵まれたところを歩いてきたのだなと思う。
最近まで勤めていた職場でも電話受けをしていたけど、
「ことばの選び方や物腰が美しいね」と褒めてくれる人がいた。
いえいえ、かつての職場でしっかり教え込まれたんです、と答えた。
そろそろ私も誰かに何かを教えたりする年齢になったのかなと思う。
講演会開始のアナウンスがあったとき、受付を一緒にしていた大学生たちが
そわそわしだした。
みんな、手伝いだけじゃなく、やっぱり講演を聞きたいから。
だから彼らに、「中に入って聞いておいで~」と促した。
資料もちゃんと持っていきなよって手渡して。
で、大学生らがホール内に入った直後・・・遅れてきたお客さんが受付に殺到した。
そのとき、私と一緒に残ってくれた唯一の人がオカベくん。
私の大学時代の後輩で、彼もまた社会人。
彼が残って手伝ってくれて本当に良かった。
いなかったらお客さんを待たせてしまうところやった。
オカベくん、ホンマにイイ子で、前の展示のときもこのブログだけ見て来てくれたんやけど
今回の手伝いも二つ返事で引き受けてくれた。
ありがとう。
その後からは私一人で受付にいた。
最後までずっとパラパラやって来る人がいて、受付を離れることが出来なかった。
だから講演会の中身は何もわからない。
何人か、「ヒスンさんホンマにごめんね」と言ってくれる子たちがいたけど、
でもそんなのは全然構わなかった。
だって、私はあの場でほぼ最年長で、私が仕事の中身も知ってて、
そんな人間が残るのは当然やと思ったから。
それにかつて私も、たくさんの人にこんなふうにしてもらったような気がしたし。
マリちゃんという子が「民主主義飽きた~」って言って出てきて
私と話してる方が楽しいからってダベっていったりもおもしろかったな。
しょっちゅう入っては出てくんの。
「やっぱ頭に入って来ない~ダメ~」とか言って。笑
金髪に超ミニスカートが似合っててかわいい子やった。
わ、そろそろ行く準備しないと!
昨日はいっぱい寝たから今日は授業、相当集中できそう。笑
いや、勉強ホンマにおもしろいんやけどね!
好奇心を満たしてくれる学び。
ありがたい。
・・
先週の日曜、友人が主宰している講演会の手伝いにいった。
民主主義について改めて考え直そうという講演会。
友人は法学部の政治学科に所属していて、そういう関係もあって、
会場は大学の大きなホール。
企画のメンバーもほとんどが大学生だった。
この友人本人は27歳で、色々あって大学に入った人なので、まぁそんなに
私と何かが違うというのもないんやけど、やっぱ大学生は若かったなぁ。
若さをいいなぁと思う部分はもちろんあって、でも大変やなぁと思う面もあって。
受付で指示を出すのも金額を集計して合わせるのも私の仕事だった。
前に5年間勤めた職場でこういうことを散々してきたし、
作業自体はなんてことないといっちゃあ、なんてことないことだった。
終わってからの清算もしかり。
ただ、それを私ができるのはたくさんの先輩から学んできたお陰で、
そういう意味では本当にあの5年は無意味なものじゃなかったんやなと思う。
大学生たちはまだできない。
というか、受付とは何であるのかから説明しないといけない子もいる。
お金は両手で受け取るんよ、とか、資料渡すときは立ってね、とか、
まずは自分から挨拶して、とか。
「敬語わかんないっす~」って言われて、もうそれはいきなりはどうしようもないから
とりあえず自分が一番丁寧やと思う言葉で話してって言ったりとかも。
思えば、正しい敬語や接客態度、臨機応変な対応というのも
本当にこれまでの人生の中で積み重ねて学んできたものだ。
かつての職場、高校時代のクラブの先輩、遡れば、父、母、祖父、祖母。
いろんな人たちとすごす時間の中で、私は経験から学んだのだ。
そう思うと、本当に私は恵まれたところを歩いてきたのだなと思う。
最近まで勤めていた職場でも電話受けをしていたけど、
「ことばの選び方や物腰が美しいね」と褒めてくれる人がいた。
いえいえ、かつての職場でしっかり教え込まれたんです、と答えた。
そろそろ私も誰かに何かを教えたりする年齢になったのかなと思う。
講演会開始のアナウンスがあったとき、受付を一緒にしていた大学生たちが
そわそわしだした。
みんな、手伝いだけじゃなく、やっぱり講演を聞きたいから。
だから彼らに、「中に入って聞いておいで~」と促した。
資料もちゃんと持っていきなよって手渡して。
で、大学生らがホール内に入った直後・・・遅れてきたお客さんが受付に殺到した。
そのとき、私と一緒に残ってくれた唯一の人がオカベくん。
私の大学時代の後輩で、彼もまた社会人。
彼が残って手伝ってくれて本当に良かった。
いなかったらお客さんを待たせてしまうところやった。
オカベくん、ホンマにイイ子で、前の展示のときもこのブログだけ見て来てくれたんやけど
今回の手伝いも二つ返事で引き受けてくれた。
ありがとう。
その後からは私一人で受付にいた。
最後までずっとパラパラやって来る人がいて、受付を離れることが出来なかった。
だから講演会の中身は何もわからない。
何人か、「ヒスンさんホンマにごめんね」と言ってくれる子たちがいたけど、
でもそんなのは全然構わなかった。
だって、私はあの場でほぼ最年長で、私が仕事の中身も知ってて、
そんな人間が残るのは当然やと思ったから。
それにかつて私も、たくさんの人にこんなふうにしてもらったような気がしたし。
マリちゃんという子が「民主主義飽きた~」って言って出てきて
私と話してる方が楽しいからってダベっていったりもおもしろかったな。
しょっちゅう入っては出てくんの。
「やっぱ頭に入って来ない~ダメ~」とか言って。笑
金髪に超ミニスカートが似合っててかわいい子やった。
わ、そろそろ行く準備しないと!
昨日はいっぱい寝たから今日は授業、相当集中できそう。笑
いや、勉強ホンマにおもしろいんやけどね!
好奇心を満たしてくれる学び。
ありがたい。
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