手をつなぐ
日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。
カテゴリー「日々のこと」の記事一覧
賢さの定義
- 2012/06/16 (Sat)
- 日々のこと |
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以前書いたレポート『素朴理論』の発表が月曜一限にある。
さらっと終わらせてしまうつもりが、このレポートの内容が
担任の目に留まり、担任の先生までもが発表を聞きにくるという。
なんてこった、だ。
かなりテンション下がりながらダラダラと発表用原稿づくりをやってたら
気づけば松崎しげるのこと調べてて、まったく何やってんだか、と。
松崎しげる、定期的に日焼けサロン通ってるんやって。
あと、家に日焼けマシーンあるらしいよ。
あの黒さを維持するために色々やってはるんやね。
せっかく調べたのでシェアしときます・・・(たぶん絶対いらん知識)。
さて・・・。
素朴理論ってね、人が直感的に持っている誤った知識の体系のことで、
たとえばこんな例がある。
Q:「手にボールを持って一定の速度で歩いている人が、
ある地点でボールを落としたら、ボールはどのように落ちるか?」
①手の前方に落ちる
②手の真下に落ちる
③手の後方に落ちる
A:「手の真下に落ちる」「手の後方に落ちる」⇒いずれも誤り
(正答:① 慣性によってボールは前に進もうとし、同時に重力に影響されて放物線を描きながら前方に落下)
これね、本読んで(へぇぇ~っ)と思って。
私の脳内、素朴理論だらけやんと思ってこのテーマを選んだんやけど、
担任の先生の興味関心事とがっつりかぶっちゃってたみたいで。苦笑
なんかわけのわからないプレッシャーのなか、発表することになってしまった・・・。
まぁこれ調べてて思うのは、学校教育上のいわゆる”勉強”ができたからといって、
それが真の頭の良さの指標ではないな、ということ。
一般的に、素朴理論は科学的知識獲得の妨げになると言われてて、
学校教育を受けることでその誤った知識をしっかり書き換えていくことが必要だとされている。
つまり、とにかく先生から教えられたことを鵜呑みにしてひたすら覚えていくことが
学校教育上の賢さの定義なのだと。
でも、科学の進歩や新しい学説を生み出す人っていうのは
こういう枠組みに捉われることなく、自らの直感やひらめきを大事にして、
そこから、こうじゃないか、ああじゃないかって仮説をどんどん立てていける人なはずで。
素朴理論を科学的知識に書き換えるのではなく、
むしろ自分の中の素朴理論をどんどん広げて膨らませていける人なのではと。
これ調べててね、ぶっちゃけ、別に学校通わなくても生きていけるし、
イイ大学出たからって賢いわけでもなんでもないということが改めてよくわかった。
そんなことよりも自分で考えられること、それを信じれる力が大事。
だってそうじゃないとすぐに騙されるから。
ちゃんと自分の中に信じれる柱を作っていく作業をしないといけないと思う。
よくわかりもしないことをただ暗記する時間があったら
直感を磨くトレーニングやいろんな経験を積んでいく方がよっぽどいいなって思った。
なんか変だ、なんか違う気がするってね、そういう勘の良さが自分を守るし、
社会のことを良くしていく力にもなるんじゃないのかなと。
・・・・という発表を本当はしたいところなんやけど。
まぁダメやろうね。こんなこと言ったらね。
はぁ・・・。
面倒くさい。笑
つまりは、じゃりン子チエでいうところの、
マサルよりチエの方がはるかに賢いということです、で最後締めたいんやけどなぁ。
あかんやろうなぁ。
は?ってなるよね。絶対・・・。
面倒くさいけど続きするかぁ。
たま/さよなら人類
http://www.youtube.com/watch?v=MlXEKfVnt4A
さらっと終わらせてしまうつもりが、このレポートの内容が
担任の目に留まり、担任の先生までもが発表を聞きにくるという。
なんてこった、だ。
かなりテンション下がりながらダラダラと発表用原稿づくりをやってたら
気づけば松崎しげるのこと調べてて、まったく何やってんだか、と。
松崎しげる、定期的に日焼けサロン通ってるんやって。
あと、家に日焼けマシーンあるらしいよ。
あの黒さを維持するために色々やってはるんやね。
せっかく調べたのでシェアしときます・・・(たぶん絶対いらん知識)。
さて・・・。
素朴理論ってね、人が直感的に持っている誤った知識の体系のことで、
たとえばこんな例がある。
Q:「手にボールを持って一定の速度で歩いている人が、
ある地点でボールを落としたら、ボールはどのように落ちるか?」
①手の前方に落ちる
②手の真下に落ちる
③手の後方に落ちる
A:「手の真下に落ちる」「手の後方に落ちる」⇒いずれも誤り
(正答:① 慣性によってボールは前に進もうとし、同時に重力に影響されて放物線を描きながら前方に落下)
これね、本読んで(へぇぇ~っ)と思って。
私の脳内、素朴理論だらけやんと思ってこのテーマを選んだんやけど、
担任の先生の興味関心事とがっつりかぶっちゃってたみたいで。苦笑
なんかわけのわからないプレッシャーのなか、発表することになってしまった・・・。
まぁこれ調べてて思うのは、学校教育上のいわゆる”勉強”ができたからといって、
それが真の頭の良さの指標ではないな、ということ。
一般的に、素朴理論は科学的知識獲得の妨げになると言われてて、
学校教育を受けることでその誤った知識をしっかり書き換えていくことが必要だとされている。
つまり、とにかく先生から教えられたことを鵜呑みにしてひたすら覚えていくことが
学校教育上の賢さの定義なのだと。
でも、科学の進歩や新しい学説を生み出す人っていうのは
こういう枠組みに捉われることなく、自らの直感やひらめきを大事にして、
そこから、こうじゃないか、ああじゃないかって仮説をどんどん立てていける人なはずで。
素朴理論を科学的知識に書き換えるのではなく、
むしろ自分の中の素朴理論をどんどん広げて膨らませていける人なのではと。
これ調べててね、ぶっちゃけ、別に学校通わなくても生きていけるし、
イイ大学出たからって賢いわけでもなんでもないということが改めてよくわかった。
そんなことよりも自分で考えられること、それを信じれる力が大事。
だってそうじゃないとすぐに騙されるから。
ちゃんと自分の中に信じれる柱を作っていく作業をしないといけないと思う。
よくわかりもしないことをただ暗記する時間があったら
直感を磨くトレーニングやいろんな経験を積んでいく方がよっぽどいいなって思った。
なんか変だ、なんか違う気がするってね、そういう勘の良さが自分を守るし、
社会のことを良くしていく力にもなるんじゃないのかなと。
・・・・という発表を本当はしたいところなんやけど。
まぁダメやろうね。こんなこと言ったらね。
はぁ・・・。
面倒くさい。笑
つまりは、じゃりン子チエでいうところの、
マサルよりチエの方がはるかに賢いということです、で最後締めたいんやけどなぁ。
あかんやろうなぁ。
は?ってなるよね。絶対・・・。
面倒くさいけど続きするかぁ。
たま/さよなら人類
http://www.youtube.com/watch?v=MlXEKfVnt4A
PR
進行形
- 2012/06/14 (Thu)
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さっきうつらうつらしてたら夢のなかに学校の友達がいっぱい出てきた。
出てくるのは好きな友達だけ。
あとはなぜか前の大学で苦手やなと思ってた人たち。
不思議。
好きな人は現在進行形で、苦手な人は過去形ということか・・・。
・・
学校で”ミラリング”という実技の授業があった。
これは簡単にいうと、相手が話した言葉をそっくりそのままモノマネして返すこと。
このミラリングについて、一緒にやったグループの子たちからその出来栄えを
やたらと絶賛されてしまった。
「そっくり!」とか「ホンマに似てる」とか。
実はこれまでも、友人らと誰かの噂話になったときに、
私がその人の口調を自然にマネて話すと、
「名前出してなくてもあんたの話し方で誰のこと話してんのかがバレる」などと言われ、
モノマネ禁止令が発令されたことがあり・・・。
普段の会話の中でも、私が話しているのを友人が遮り、
「ちょっと待って。てか、その言い方めっちゃ似てるから!」などと言われることなどもあった。
でも正直、これまではそのことについて褒められても
大して嬉しいという感情も沸かず、むしろどうでもいい特技やとすら思っていた。
人の話し方のモノマネできたからって、実際、何の役にも立たなかったし。
(まぁたまに、「もう一回やって!」とかって会話が盛り上がることはあったけども・・・)
でも今回、授業を受けて、人の話し方のモノマネ能力が高いというのは
人が話す口調や抑揚の特徴を瞬時に捉えているということで、
発声・発音上の問題に気づきやすいというメリットがあるらしいことを知った。
まさかこんなんが役立つときが来るとは思わず・・・
ちょっと嬉しかった。
さて・・・
小話もしたことやし(笑)、そろそろまた勉強しよう。
復習を早めにすることで学習効果が高まるらしいから。
これ、『学習・認知心理学』って科目教えてる私と同じ歳の先生が言ってた。
男の先生なんやけど、授業中の説明に使われる例が全部スラムダンク絡みっていう・・・。
「流川は」とか、「三井のスリーポイントシュートで例えると」とか、
「インターハイ予選のときの試合展開を例にして話すと」、とか。
その瞬間、(はあ?)って首かしげて聞いてる人が何人か見受けられる。
怪訝な表情の人もちらほら・・・。笑
まぁ、たいしたことじゃないけども。
さ、やろ。
出てくるのは好きな友達だけ。
あとはなぜか前の大学で苦手やなと思ってた人たち。
不思議。
好きな人は現在進行形で、苦手な人は過去形ということか・・・。
・・
学校で”ミラリング”という実技の授業があった。
これは簡単にいうと、相手が話した言葉をそっくりそのままモノマネして返すこと。
このミラリングについて、一緒にやったグループの子たちからその出来栄えを
やたらと絶賛されてしまった。
「そっくり!」とか「ホンマに似てる」とか。
実はこれまでも、友人らと誰かの噂話になったときに、
私がその人の口調を自然にマネて話すと、
「名前出してなくてもあんたの話し方で誰のこと話してんのかがバレる」などと言われ、
モノマネ禁止令が発令されたことがあり・・・。
普段の会話の中でも、私が話しているのを友人が遮り、
「ちょっと待って。てか、その言い方めっちゃ似てるから!」などと言われることなどもあった。
でも正直、これまではそのことについて褒められても
大して嬉しいという感情も沸かず、むしろどうでもいい特技やとすら思っていた。
人の話し方のモノマネできたからって、実際、何の役にも立たなかったし。
(まぁたまに、「もう一回やって!」とかって会話が盛り上がることはあったけども・・・)
でも今回、授業を受けて、人の話し方のモノマネ能力が高いというのは
人が話す口調や抑揚の特徴を瞬時に捉えているということで、
発声・発音上の問題に気づきやすいというメリットがあるらしいことを知った。
まさかこんなんが役立つときが来るとは思わず・・・
ちょっと嬉しかった。
さて・・・
小話もしたことやし(笑)、そろそろまた勉強しよう。
復習を早めにすることで学習効果が高まるらしいから。
これ、『学習・認知心理学』って科目教えてる私と同じ歳の先生が言ってた。
男の先生なんやけど、授業中の説明に使われる例が全部スラムダンク絡みっていう・・・。
「流川は」とか、「三井のスリーポイントシュートで例えると」とか、
「インターハイ予選のときの試合展開を例にして話すと」、とか。
その瞬間、(はあ?)って首かしげて聞いてる人が何人か見受けられる。
怪訝な表情の人もちらほら・・・。笑
まぁ、たいしたことじゃないけども。
さ、やろ。
梅雨
- 2012/06/10 (Sun)
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別に好きなわけでもないんやけど、
B'zの「裸足の女神」を聴いてみたりしている。
そういえば年末恒例の幼馴染みたちとの忘年会でカラオケ行ったとき、
男の子らに適当に何曲か入れろって言われて、この「裸足の女神」、
米米クラブの「浪漫飛行」、藤井フミヤの「TRUE LOVE」って続けたら、
選曲古いねん!とかって散々やいのやいの言われて。苦笑
その後もう一度チャンスが与えられて、
次はたしか、エレカシの「今宵の月のように」、山崎まさよし「僕はここにいる」、
奥田民生の「イージュー・ライダー」にしたら何も言われなかった。
思うに、この”古い”、”新しい”の感覚って、今も活躍してる人かどうかが
大事なんやね、たぶん。
てか、私の場合、最近の邦楽を全然知らないっていうのがまずあるんやけども。
ミスチルも、カラオケで聴くなら「名もなき詩」か「クロスロード」がいいもんね。笑
(そもそもカラオケ自体、滅多に行かないんやけど。)
梅雨シーズン到来で、雨が苦手な私にはツライ季節になってしまった。
でもこういうとき、いにしえの名曲(?)聴くとちょっと元気が出る気がするのはなんでやろう。
今ね、WANDSの「もっと強く抱きしめたなら」聴いてた。
次、チャゲアス聴こう。「SAY YES」
これ、ドラマも毎回観てた。101回目のプロポーズ。
懐かしい。
小さいころは母がカラオケに行きたいって言うから
父が出張でいないときとかによく一緒に行ってたな。
うちの母は若くして私を産んだから感性が若くて。
遊びたーい!歌いたーい!みたいな。笑
私は松任谷由実とか森高千里とかよく歌ってた気がする。
当時、山田邦子のやまだかつてないテレビっていう番組を欠かさず見てて
それでKANの「愛は勝つ」覚えてそれも毎回歌ってたような・・・。
うちの妹はWinkのファンやったしね。
なんかよくわからないけど、これ書きながらじわじわ元気出てきた。笑
これからも気持ち凹んだら、いにしえの曲聴くことにしようかな。
小学生の頃の十八番。
森高千里/私がオバさんになっても
http://www.youtube.com/watch?v=RhyQK2ugSeo
「ミニスカートはとても無理よ 若い子には負けるわ♪」って。
若い子って、当時の私からしたら何歳よ。笑
B'zの「裸足の女神」を聴いてみたりしている。
そういえば年末恒例の幼馴染みたちとの忘年会でカラオケ行ったとき、
男の子らに適当に何曲か入れろって言われて、この「裸足の女神」、
米米クラブの「浪漫飛行」、藤井フミヤの「TRUE LOVE」って続けたら、
選曲古いねん!とかって散々やいのやいの言われて。苦笑
その後もう一度チャンスが与えられて、
次はたしか、エレカシの「今宵の月のように」、山崎まさよし「僕はここにいる」、
奥田民生の「イージュー・ライダー」にしたら何も言われなかった。
思うに、この”古い”、”新しい”の感覚って、今も活躍してる人かどうかが
大事なんやね、たぶん。
てか、私の場合、最近の邦楽を全然知らないっていうのがまずあるんやけども。
ミスチルも、カラオケで聴くなら「名もなき詩」か「クロスロード」がいいもんね。笑
(そもそもカラオケ自体、滅多に行かないんやけど。)
梅雨シーズン到来で、雨が苦手な私にはツライ季節になってしまった。
でもこういうとき、いにしえの名曲(?)聴くとちょっと元気が出る気がするのはなんでやろう。
今ね、WANDSの「もっと強く抱きしめたなら」聴いてた。
次、チャゲアス聴こう。「SAY YES」
これ、ドラマも毎回観てた。101回目のプロポーズ。
懐かしい。
小さいころは母がカラオケに行きたいって言うから
父が出張でいないときとかによく一緒に行ってたな。
うちの母は若くして私を産んだから感性が若くて。
遊びたーい!歌いたーい!みたいな。笑
私は松任谷由実とか森高千里とかよく歌ってた気がする。
当時、山田邦子のやまだかつてないテレビっていう番組を欠かさず見てて
それでKANの「愛は勝つ」覚えてそれも毎回歌ってたような・・・。
うちの妹はWinkのファンやったしね。
なんかよくわからないけど、これ書きながらじわじわ元気出てきた。笑
これからも気持ち凹んだら、いにしえの曲聴くことにしようかな。
小学生の頃の十八番。
森高千里/私がオバさんになっても
http://www.youtube.com/watch?v=RhyQK2ugSeo
「ミニスカートはとても無理よ 若い子には負けるわ♪」って。
若い子って、当時の私からしたら何歳よ。笑
無題
- 2012/06/05 (Tue)
- 日々のこと |
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言語障害のある人たちと話す会というのが学校の授業であった。
別段、なんてことない、ただ楽しく話すだけの時間だった。
何を聞いても「そうそうそう」と答える年配の失語症の女性がいて、
その方が自作の絵をたくさん持ってきてくれていた。
その絵を観ながら語らう。
「このニジんでる部分はあえてこうしたんですか?」
「そうそうそうそう」(恥ずかしそうに手を振りながら)
「紫や緑の色合いがとても美しいですね。優しい絵ですね」
「そうそうそうそう」(嬉しそう)
こんな具合に。
言葉じゃないところからたくさん言葉が生まれてくる。
それを見過ごさないように。
終盤、その女性が個展を開催したときの新聞記事があったので、それを手に取り、
「これは素晴らしいことやからよく目立つ場所に置いて他の人たちにも
しっかり見てもらいましょう」と言うと、私の肩を叩きながら、
「そうそうそうそう」(照れくさそうに、でもとても嬉しそうに)。
なんとも可愛らしい方だった。
またいつかゆっくりお話できたらいいなと思う。
気持ちの通じ合う瞬間ってあると思う。
そんなとき、必ずしも言葉がすべてを表現してくれるわけではないとも思う。
たとえば「好きです」という言葉より、もっと伝わる”好き”がある気がする。
「大切にするよ」という言葉より、もっと信じれる”大切”があると思う。
決して、言わなくてもわかるとかじゃなくて、
言葉にならない思いを感じ取るというのが大事なような・・・。
今日のやりとりだってね、交わされた言葉を文字に起こしてみたところで
全然意味がわからないと思う。
でも、その場ではちゃんと通じ合ってた。
そして意外とこういうのは信じれる感覚やったりもするのだ。
少なくとも、上っ面だけの軽い言葉のやり取りなんかよりもずっと。
・・
ここまで書いた今、電話で友人の訃報が届いた。
私と同じ歳の友人だ。
会うのは一年に一度あるかないかで、でも、一度会ったら
どんな人でも彼女のことはすっかり覚えてしまうんじゃないかというくらい、
愛らしいとしかいいようがない笑顔で笑う人だった。
アイドルみたいやなっていつも思ってた。
明日はお通夜だ。
もう何人、こうして友人を見送ったやろう。
繊細で、優しくて、そんな人が人一倍苦悩して・・・
先立っていってしまう。
なんでやろね。
つらいよ。
別段、なんてことない、ただ楽しく話すだけの時間だった。
何を聞いても「そうそうそう」と答える年配の失語症の女性がいて、
その方が自作の絵をたくさん持ってきてくれていた。
その絵を観ながら語らう。
「このニジんでる部分はあえてこうしたんですか?」
「そうそうそうそう」(恥ずかしそうに手を振りながら)
「紫や緑の色合いがとても美しいですね。優しい絵ですね」
「そうそうそうそう」(嬉しそう)
こんな具合に。
言葉じゃないところからたくさん言葉が生まれてくる。
それを見過ごさないように。
終盤、その女性が個展を開催したときの新聞記事があったので、それを手に取り、
「これは素晴らしいことやからよく目立つ場所に置いて他の人たちにも
しっかり見てもらいましょう」と言うと、私の肩を叩きながら、
「そうそうそうそう」(照れくさそうに、でもとても嬉しそうに)。
なんとも可愛らしい方だった。
またいつかゆっくりお話できたらいいなと思う。
気持ちの通じ合う瞬間ってあると思う。
そんなとき、必ずしも言葉がすべてを表現してくれるわけではないとも思う。
たとえば「好きです」という言葉より、もっと伝わる”好き”がある気がする。
「大切にするよ」という言葉より、もっと信じれる”大切”があると思う。
決して、言わなくてもわかるとかじゃなくて、
言葉にならない思いを感じ取るというのが大事なような・・・。
今日のやりとりだってね、交わされた言葉を文字に起こしてみたところで
全然意味がわからないと思う。
でも、その場ではちゃんと通じ合ってた。
そして意外とこういうのは信じれる感覚やったりもするのだ。
少なくとも、上っ面だけの軽い言葉のやり取りなんかよりもずっと。
・・
ここまで書いた今、電話で友人の訃報が届いた。
私と同じ歳の友人だ。
会うのは一年に一度あるかないかで、でも、一度会ったら
どんな人でも彼女のことはすっかり覚えてしまうんじゃないかというくらい、
愛らしいとしかいいようがない笑顔で笑う人だった。
アイドルみたいやなっていつも思ってた。
明日はお通夜だ。
もう何人、こうして友人を見送ったやろう。
繊細で、優しくて、そんな人が人一倍苦悩して・・・
先立っていってしまう。
なんでやろね。
つらいよ。
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