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手をつなぐ

日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。

カテゴリー「日々のこと」の記事一覧

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学校に通ってると、書くことが無くなる。
というのも、頭の中が勉強に関することで満たされているからやと思う。
やらないといけないことが大量にある状態というのは
しんどいけど、ある意味ではとても健全なのかもしれない。
頭の中に必要以上にスペースができると、大抵、余計なものが入り込んでくる気がする。
・・と、思ったり。
いや、やっぱしんどいかな。
どうやろ。

・・

昨日見た他愛のない夢の断片。


私は実力テストを受けている。
残り時間が限られているのに、空欄がなかなか埋まらない。
「北緯70度の地で輝く星座は?」
「トナカイが常食しているのは何か?」
80点以上とらないと再テストなのに、わからないことばかりで焦る。
「クレーターができる原因について書け。」
「イヌぞりの仕組みについて説明せよ」
(えー!?)
キーンコーンカーン・・・
終了。

ヒラマツくんが笑顔で話しかけてくる。
「今日のテスト簡単でしたね!僕、90点は確実に取れてると思います」
周りを見渡すと、みんな笑顔。
「今日のは楽勝やったねー」
「トナカイの問題とか間違えた人、おるんかな」
クスクスクスクス・・・クスクスクス・・・
ハハハハハハ・・・ハハハハ・・・ハハハハハ・・・

(わーーーー!!!!><)


・・ハッ。

夢。


そら、夢やわっていう。
勉強しないで寝るとこういう夢を見るのですね。

あ、ちなみに、星座とかトナカイとかクレーターとか、
そういうのは一切勉強してません。
(一応言っとかないとね。w)






祖先の骨の埋まる海の向こうの島の夜
72775680.jpeg





























 
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刷り込み。

今日は午前の授業が休講になったので午後から。
色々やらないといけないことがたくさんあるのに、
気持ちは最近とても穏やかでイイ感じ。
やることがいっぱいになっても心はいつもどこかしら余裕を持ちたい。

特に何を書こうと言うのでもないのだけれど、
前にちらっと書いて結局アップしなかった記事を転載。

・・

さっき、ゴミ箱の中でガサっと物が落ちる音がして、
まさか・・・ヘビ!?なんて、ありもしないことを真剣に想像して怯えていた。

私の中の恐怖の対象というのがあって。
最大のそれは、ほぼ間違いなく、ヘビ。
歩道にロープ状の細長い物体が落ちているのを見るだけで身構えるほどに
私の中のヘビ恐怖は根深い。
昔から、図鑑でヘビのページは飛ばして読んだり
動物園の爬虫類館は目をつぶって歩いたりとかしていたんやけど、
年々その恐怖感がひどくなってきている気もする。
夢にヘビさんがニョロニョロっと出てきて、自分の叫び声で目が覚める。
そんなことも実は一度や二度じゃない。

で、さっき、ふと考えていた。
なぜ私はこうもヘビを恐れるのか。
googleで検索してみた。(キーワード:「へび なぜ怖い」)
画像が出てきたら困るから恐る恐る・・・。
調べてみたところ、私と同じ疑問を持ってyahoo知恵袋で質問している人を発見。
以下、その質問への回答からの引用。

「『なぜ、人間は蛇が嫌いか』(正高信男著 光文社)という、
このご質問ズバリのタイトルの本があります。
(以下、本からの引用)

高等動物がヘビを恐れることが、本能による性質なのか、
それとも学習に由来するのかという問題については、
十九世紀より激しい論争が繰り広げられてきたのだった。
かつては、本能派のほうに分があるとされていた。
それというのも、動物園に長年にわたり飼育されていて、
もうずいぶんとヘビに出会っていない動物でさえ、
実験してみると強烈な恐怖を刺激として提示されたヘビに示すからであった。(中略) 
ところが、実験室で誕生し、以来ヘビと遭遇した経験が皆無であることが、
確証されている動物というのを厳選して実験してみると、
なんと全然ヘビを怖がらないことが判明した。(『なぜ、人間は蛇が嫌いか』より)

ようするに、サルなどの高等哺乳類に限っていえば、
ヘビ嫌いは本能ではなく、後天的な学習の結果であるということですね。

しかしそれでは、なぜ実験室などで生まれた以外のほとんどのサルが、
それが本能であると錯覚されるほどまでにヘビを恐れるのでしょう。
みんながみんなヘビににらまれた経験があるとはとても考えにくいです。

同書の中で、野生のサルがヘビを怖がるシーンを、実験室生まれのヘビを怖がらないサルに
目撃させるという実験が紹介されています。
この実験では、全くヘビを怖がらなかったサルが、
他のサルがヘビを怖がるのを遠くからほんのちょっと見ただけで、
「百発百中、ヘビへの恐怖を獲得する」(同著)ことが確認されました。

たとえ、ある対象への恐怖が遺伝子のなかに情報として貯えられていないとしても、
コミュニティーのなかのメンバーの一員が、危うい思いをするだけで、
恐れはあっという間に全員に流布する仕組みがつくられているのだ。
いったん広まると、根深く世代から世代へと継承されてゆくことだろう。(同著)」

Yahoo知恵袋より


・・ということらしい。
これからいくと、私はもともとヘビ嫌いではなかったはずで、
何かしらのきっかけがあって恐怖感を覚えるようになったということになる。

で。
思い当たる節があった。
最初に強烈にヘビに恐怖を覚えた瞬間。
インディ・ジョーンズシリーズの、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』。
(たしかこの映画で間違いないと思う)。
この映画に、床を埋め尽くすヘビの大群が出てくるシーンがあるのだ。

当時、まだ幼かった私は両親と一緒にこの映画を観ていた。
考古学者インディが謎の儀式の正体を探るべく、仕掛けだらけの中を命からがら進んでいくんやけど、
薄暗がりの床に無数のヘビがうごめいてる罠(?)が出現して・・・。
(今調べたらあのシーンに使われたヘビの数、なんと6000匹らしい!)
視覚の効果もあって、かなりリアルに大群のヘビの姿が写しだされるんやけど、
そのとき、両親が揃って「うぉぉあぁぁぁ」とうめき声をあげて。
続けて「気持ち悪っっっっっ!!!!」と。
思えばあのとき、
大群のヘビ+うめき声+渾身の力を込めて発せられた言葉(「気持ち悪い」)
=ヘビはめちゃくちゃ怖くて気持ち悪い生物、
という方程式が私の中に強烈に刷り込まれた瞬間だったのだと思う。

・・ま、だからどうしたと言われたらそれまでなんやけども。
ただ、もともと嫌いとか気持ち悪いとか思ってたわけではなさそうだということで、
ちょっとだけ安心したというか。
きっかけがあって、それによって刷り込まれた感情なのだと思うと、
これからもう少しヘビについて冷静な見方ができるような気もする。
(・・あくまでも、”気がする”)




他愛のない話やけど、ちょっと興味深かったので。



さ、勉強しよ。




ちょっとにょろにょろな話書いちゃったので、可愛い鹿さんでも・・・。
663d779b.jpeg































てぃんさぐぬ

ちょっと、ぐだぐだ考えごとをしていた。
今日はもう少ししたら学校。
やらないといけないことは相変わらずたくさんある。

・・

昨日、Y先生が授業の冒頭で話されていた内容がとても印象的だったので
その話を少し。

誰かと出会ったらまずは自分が心を開いていかなければならない。
でも人は100%信じてはダメ。
10%くらいは、その人が間違ったときのために残しておく。
腹が立つ、ひどいことされた、と思ったら、それは残しておいた10%の部分で理解する。
間違いがあるからと言って、その人のすべてを間違ってると否定してはダメ。
何かとても傷つく出来事があると、人はその相手の全部を否定したくなるけれど、
それは違いますよ、と。

この、最初から100%信じて行ってしまうところや、
ひどいことをきっかけに全部間違ってるって思っちゃうところは
私の思考パターンに当てはまる気がして。
全部信じていくから、何か大きな衝撃が加わったときにもろに負傷する。
ぼろぼろの状態になってからは、些細な衝撃でもこたえるようになって、
段々と心も閉じていく。
で、最後はとりあえず一命だけは取り留めたみたいな、命からがらな感じで帰還する。

100%信じない、というか、10%の余白を残しておく。
これはすごく大事な気がした。
全部信じていこうとすると、嫌な思いをする出来事があったとき、
その人との間にあった良い出来事を何度も繰り返し再生して、その嫌な思いを
ひたすら上書きしようとしてしまう。
そんな嫌なことは無かったことにしようとするし、見ないようにしようとする。
でも、そうじゃなくて、10%の部分なのだ、と思うと、
なんかたぶんもっと普通に付き合っていける気がする。
過剰な期待も幻滅もしない。
そういうふうなのがきっと楽なんじゃないのかな、と。

期待しないっていうのは、諦めてる気がして前は嫌やったけど、
むしろあるがままに理解するということなのかなと思う。
その人との間にとても嬉しい出来事があっても、とても悲しい出来事があっても、
そんなこともある、というか、まぁ今はそういう気分なんやろう、そういうときなんやろうと
理解する。
そう思える余白を残しておく。
そうしておけば、そんなにぐらつくこともないのかな、と。
大好き!も、大嫌い!も、なんかちょっと疲れるもんね。笑
昔はそれでよかったけど、いい加減、いい大人やしね・・・。

・・



てぃんさぐぬ花
http://www.youtube.com/watch?v=VPKwmGwESqg

沖縄行ったときに入ったお店でこの曲を歌う歌い手さんがいて
なんかすごくいいなぁって思って。
you tubeで矢野顕子とか夏川りみとかUAとか色んなバージョンがあったけど、
こういう素朴なのが一番いい気がした。


白檀

妹が、白檀のお香をおすそ分けしてくれた。
煙がすーっとまっすぐに伸びて、
部屋中をあっという間にいい香りで埋め尽くしていく。
気持ちに余裕を無くしそうなときは、心地よい音楽と、笑いと、
温かい飲み物、あと、いい香りも効果的なのだな、と。
そう、改めて思った。
心が今、すごく平和だ。

・・

今日は久しぶりのマツイ先生の授業だった。
先生がたくさんおもしろい話をしてくれるので、
授業中にも関わらずたくさん笑った。
本当に、ここ数週間で一番の笑いだった気がする。
しかも結構、後引く笑いでもあって、その後もずっと思い出したらおかしくて。
二年生もマツイ先生の授業があって本当に良かった。
勉強なのに、私にとっては癒しの時間だ。

授業が終わった後、前の席に座ってたヒラマツくんが話しかけてきて、
「さっきの授業、だいぶウケてましたね」と言うので、
うん、だいぶ笑って元気出たよ、と答えたら、
「元気無かったんですか?」と聞かれて。
少し、自分の今の現状について話してみてしまった。

先日ここでも書いた、実習先での出来事のこと。
そのときの思い。
それと共に、これまで薄々思っていながら言えなかった思いも
なぜか口をついて出てきてしまった。
私みたいに、一つひとつの事柄に心をとめて悲しんだりしてしまう人間よりも、
ある程度あっさりドライに受け流していける人の方がこの仕事向いてるんじゃないのかな、と・・・。
そんなことまで。
そしたら、普段にこやかで優しい雰囲気の彼が、そのくだりでは
ものすごくマジメな顔になって、「それは違うと思いますよ」と言った。
私が一瞬、絶句すると、
もう一度、「それは違うと思いますよ」と。
その言葉があまりにきっぱり、はっきりしていて、少し面食らってしまった。
と同時に、心にじわじわと温かいものが上がってくるのがわかった。
あぁ・・・違うって言って欲しかったんやなって。
私はこの言葉を待ってたんやなって。
そう思った。

あなたは真っ直ぐすぎる、とか、
そんな真正面から受けて傷ついてたらいけないよ、とか、
バランス感覚を持ちなさい、とか、
そういうことを、学生時代や前の職場にいたときからもう何度も言われた。
実際、そうやと思うし、それが理にかなったやり方なのだとも思う。
私はそれが苦手なのだ。
生きてるとどうにもこうにも上手くいかないことはやっぱりある。
この世界は理不尽に満ち溢れているから。
それはさすがに私ももうわかっている。
でも、だからこそ、今日、あんなにもはっきり、「違う」と言ってくれたことが嬉しかった。
救われた気がした。

・・

今日はほかにも、最高齢の級友(先生って呼んでいいくらいの立派な方)からも
温かい言葉をもらった。
「自分がこうなりたい、こうありたいって思ったことは口に出して言ってごらんなさい。
それを毎日言ってたら自然とそこに近づいていけますよ」
「これまで生きてみて思うのは、何であれ、時間が解決してくれるんです。
これは本当なのだなと思いますねぇ」


もう少し、また、前向きにやれそう。
これからいいイメージが沸いたら、それを口に出して言っていこう。
あと何回、心が折れそうになるかもわからないけれど・・・(笑)
でも、そういうときは誰かと話して、たくさん笑おう。
深刻になりすぎないように。
ある程度はかわしていきながら。


明日の準備しよ!


0999abcb.jpeg


























 

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