手をつなぐ
日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。
おやま
- 2016/11/26 (Sat)
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もしかしてそうなのかな、いやいやまさかね、いや、でも…というのは、大抵そうであることが多い。
こういうのははたしていいことなのかどうなのか、よくわからない。
知らない方がいいこともあるから。
最近もちょっと、おや?と思うことがあって…
でも、やっぱり、これは気のせいやと思うことにした。
徒然。
…
最近、娘の子守り歌として、高木さんの「おやま」という曲を歌っている。
山咲みコンサートのDVDを流しているとき、娘がこの曲の演奏場面で寝入ることが多いのに気付いてから、それで。
本当に不思議なくらいスイッと眠る。
私もつられて一緒に寝てしまうことがある。
今日は側で私の歌を聞いていた夫が娘よりも早く寝息を立て出してビックリした。
歌っていて、ざわざわした気持ちがさらさらしていくような。
この曲の詩の世界も好き。
静かな情景が浮かんでは消えていく。
癒しの曲やなぁと思う。
書いてたら脳内再生されだして眠くなってきた。
今日という日にさようなら。
明日がいつもと同じようにやってくることを祈って。
新しいこと
- 2016/11/25 (Fri)
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ぐっと寒くなってきた。
けど、陽のあたる部屋で感じる寒い空気も嫌いじゃなくて、窓を開けてみている。
暖かさと寒さの混在した空間。
窓際のシクラメンが綺麗。
もう少しで12月かぁ。
12月といえば夫の誕生日とクリスマスがあるな。
といっても、特別なことはたぶんしない。
いつもと同じ日常が緩やかに過ぎていくと思う。
最近、娘が初めての楽器を手に入れた。
ボーネルンド社の木琴。
1オクターブしかない小さなものやけど、職人さんの手でしっかり作られていて、正しい音程に調律されてもいる。
素朴でホッとする音色。
実家の母からのプレゼントで娘はまだお座りができないので今はもっぱら私が弾いている。
童謡の類はドレミファソラシドだけで弾けるものがたくさんある。
あめふり、とんぼのめがね、こいのぼり、春の小川、たきび、ゆき…
楽しくなって色々弾いて、思い立ってクリスマスソングを弾こうと思ったら、意外とこれは1オクターブでは弾けない。
ジングルベルにせよ、きよしこの夜にせよ…。
赤鼻のトナカイは「レ」だけ足りない。惜しい…。
で、唯一弾けたのが、もろびとこぞりて。
弾いたら娘、大ウケ。
なんかすごい笑ってて嬉しそうで。
何やろうね、この曲。
こちらも嬉しくなって何度も弾いた。
楽しい。
家でこうして娘と二人、ゆるりと過ごしていて、それで十分楽しく生きれている自分がいる。
いろんな人たちが遊びに来てくれたり、散歩をしたり、人との交流があるからこそなんやけど。
思い起こせば前の仕事を辞めるとき、管理者の人からめっちゃしぼられて、今辞めたら絶対後悔するぞ、お金だってすぐに尽きてこれ以上の仕事なんてなかったと後から気づいても遅いんやからな!絶対に後悔するぞ、今なら引き返せるぞ、うんぬんかんぬんコラちゃんと聞いているのかうんぬんかんぬん、こっちはキミのことを思って言っているんだうんぬんかんぬんぐうぐうすかすかちんぷんかんぷん…(まだまだ続くよ3時間分くらい!)
・・とまあ、いろいろすごいことを言われたのやけども。(ふう…。)
実際は全然そんなことなくて。
いや、たしかに辞めた後、収入はなかったしお金も減っていったけど、焦燥感みたいなのは不思議と無く、毎日ゆるゆると過ごしていた。
一年くらい。
その間、お金にならない活動はしていた。
人とも会っていた。
でもなんか、社会から置いて行かれる気分とかそういうのはあまりなかった気がする。
もしかして私は怠け者なのかな。笑
でも別に何もしていないというわけではないし…。
今は娘といるのが一番忙しくて楽しい。
でも最近、新しいことを始めてみないかというお誘いがあって。
娘の育児を中心に、その合い間にというかそれと一緒にできそうなことで、少し迷っている。
興味あるな、やってみたいなと思える感じ。
私は人が好きで人とじっくり向き合う仕事がしたくて、前の職場を辞めてからはそういう仕事に就いてきたわけなんやけども。
今回の話もそういう類のはなし。
まぁ…もう少し考えよう。
Joy To The World - Bing Crosby
https://www.youtube.com/watch?v=-It2pyK8jSs
料理のこと
- 2016/11/16 (Wed)
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食事についてのそれは特に大きい。
もともとは家事と仕事の両立が忙しくなったときに、できるだけ保存がきいて美味しいものを作りたいと思ったことが始まりだったような気がする。
ホーロー容器を買い、保存のきくレシピを調べて作りだした。
きんぴら、ポテトサラダ、ひじき煮…。
娘を妊娠したのをきっかけに調味料や素材への関心がぐっと高まり、できるだけ添加物の少ないものを、というところから、最近は極力調味料を使わずに美味しく食べられるものへとシフトしてきている。
やりだしたら研究しはじめてしまう性質があり、なおかつ止められない好奇心も相まって、手がけた献立は結構な数になってきている…と思う。
それでも定番、というのはあって。
娘のお世話の傍らに作れる時短レシピであること、夫の好物であることというところは重要なポイントになってくる。
私はじっくりコトコト煮込み料理やスープ、しみじみ食べられる山菜料理なんかが好きやけど、夫はがっつり食べれる炒め料理が好き。
ということで中華と韓国料理の登場率は高くなる。
しかもこれらは短時間でできるという利点もあってどうしても登場しやすい。
回鍋肉、青椒肉絲、麻婆豆腐、豚キムチ、ピビンバ、チヂミ…
夫と暮らしだしてから、甜麺醤と豆板醤とコチュジャンは冷蔵庫の常備品となった。
特に登場回数の多いのがピビンバだ。
夫はピビンバが大好きで食べたい食べたいと言うので週に一回は作るようにしている。
ピビンバはとても簡単な料理だ。
具材は多いけど、一つ一つのナムルの調理法さえ身につけたらご飯を炊いて20分もあればできる。
しょっちゅう作っているのに、そのたびに「ホンマにうまいなぁ!これは自信を持って薦められるな!」などと言う。
誰に薦めるのか、その必要性もわからないけど、そんなことを言う。
義父も韓国料理が好きなので、義父宅へ行くときにもちょこっとしたおかずを持参する。
夏場はケンニップ(エゴマのヤンニョムジャン漬け)やムルキムチ、最近はおじゃこと韓国唐辛子を炒めたものやレンコンのピリ辛煮などを。
これらも本当に簡単にできるのだけども、義父もいつも大げさなくらい喜んでくれる。
「この前作ってくれたケンニップ、あれ、お店で買うより美味しいな!」とか。
こんなとき、義父と夫は紛れもなく親子だな、と思う。
でも喜んでくれるのが嬉しくて、調子に乗ってはまた作って持っていく。
私は手先が不器用なので、食材を切るのもつたないしで、最初は作るのにものすごく手間取った。
一人暮らしの頃からずっと自炊はしていたけど、本当に質素な食卓でこだわりも今のようには無かったし作れるものも限られていた。
なのでかつてはクックパッドなんかをよく見ていたのやけど、あるときふと、この「醤油大さじ2」って何なんかな、と思って。
大さじ1だとダメなのか?小さじ1ではダメなのか?
そこからいろんな本を読みだして、それぞれの調味料の配合にちょうど良い比率のあることを知った。(味覚というのは個人差があるので”ちょうど良い”というのは厳密にはないのかも知れないけども…)
料理家さんではコウケンテツさんと、こてらみやさんの本が参考になった。
あと、台所漢方という本と。
タマネギの皮や長ネギの青い部分から十分に美味しいダシがとれることや干し椎茸の使い方…
味を付けるのではなくて味を引き出すという視点。
ほとんどの調味料は自家製で作れるということなんかも学んだ。
こんなの料理をしている人にとっては当たり前のことなんやろうけど、知らずにやっていた。
そして知ってからは、料理というものがとても創造的な営みに思えるようになった。
まだまだ発展途上には間違いないんやけども。
でもこの終わりのない感じがまたおもしろいんやな、とも思う。
食べたことのない食材がスーパーに売っていたりしてもとりあえず買ってみてしまう。
最近はハヤトウリとヤーコンを買った。
ハヤトウリは鶏ひき肉と合わせて中華風スープに、ヤーコンはきんぴら風に炒めたらしゃきしゃきと梨のような歯ごたえで、どちらも美味しかった。
同時に、もっと違う調理法があるのでは?という思いがふつふつと沸いてきて、次を早くやってみたくてうずうずしてきてしまう。
如何せん、不器用なので時々指を負傷したりもしつつやけど。
あ、うたた寝してた娘が起きてきた。
今日の独り言、おしまい。
大きな木のこと
- 2016/11/15 (Tue)
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今住んでいるところの目と鼻の先のところにある神社。
神社のなかに幼稚園があって、子どもたちの元気な声が窓を閉めていても聞こえてくる。
娘との散歩のとき、最後は必ずそこへお参りしている。
ここらでは珍しい、というかここ以外に無いとみられる樹齢何百年の大木が何本も植わっていて、ベランダから神社を眺めると、そこだけがさながら小さな森のように見える。
敷地内に入ると空気がスンと澄んでいて気持ちがいい。
ひしゃくに入れた水を娘の手に少し掛けてあげる。
その瞬間、目を見開いてヒャッとする様子がおもしろい。
御神木とみられる一番大きな木のざらっとした木肌にもそっと触れさせてもらうと、その瞬間も、娘はドキッとして私の方に手を引っ込めようとする。
でもその眼はキラキラとして、もっと、と言っているようにも見える。
いつも行っているから、神社の清掃係の人(身内の方かな?)とも顔見知りになり、会釈をするのも日課。
心ばかりのお賽銭を入れてガラガラと鐘を鳴らし、礼は娘も一緒に。
健やかに成長できますようにと祈って。
大きな木に娘の手を当てがうとき、触れさせてもらってありがとうございます、という気持ちが自然と沸いてくる。
この木ぃさんはなぁ、何百年も生きてきてはるんやで。私ら人間の先輩なんやでぇ。と娘に話しかける。
娘は抱っこひもの中から顔を見上げて私の話を聞いている。
本当に、木の包容力ってすごいなと思う。
感情の波に振り回されて何かを支配しようと躍起になることなんて決してなく。
こんなに小さな娘の手もそっと受け入れてくれる。
久しぶりに長田弘さんの木の詩集を読みたくなった。
謙虚に、慎まやかに。
そっと。