手をつなぐ
日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。
うつくしいものたち
今週はいろんな場所でいろんな人と会い、メールや電話もなぜか
ものすごく多かったのですが、
その内の何人かから、「ゆうちゃんの個展、どうやったん?」とか、
「ブログで個展の報告、書かないの?」とか言われまして・・・。
・・すいません。
大事な報告なのに、あまりの余裕の無さゆえ、遅くなりました。
これから書きます!
(このブログをコマめにチェックしてくれてる友人、知人のみなさん、
いつもありがとうございます。笑)
・・
今回の個展は教育関係の大規模講演会と同時開催という形で
行われたということもあって、大物アーティストの作品展ばりに入場者がありました。
ゆうちゃん母の思いの詰まった作品紹介レジメを熱心に読みながら
真剣に絵を観入る人も多くて・・・。
私は入口付近にいて、レジメを欲しいという人に手渡したりしてたんですが、
その際、来場者から色んな質問や感想を聞きました。
教育関係者の人の質問や感想はやっぱり教育的観点からのものが多くて
それが結構おもしろかったです。
「文字を書いた作品は言葉の認知を深める取組みとしても素晴らしいですね!」とか、
「入り組んだ線が多く描かれているのは、物を捉えるときの傾向なのかしら?」とか。
自閉症について突っ込んだ質問をしてくる人もいて、
気になるポイントが違うんやなぁって・・・。
これがもし、大工さんの集いとかやったら、絵の額縁の材質について質問されたりするのかな、とか
そんな馬鹿げたことを少し思ってみたりもしました。
そんな中、ゆうちゃんの通う美容院の店長さんも観に来られていたのですが、
何時間もかけてじっくり絵を観ながら、時折、「わぁ!すごいなぁ!」とか、
「やっぱこの絵、いいわぁ」とかつぶやかれてて。
広やかな想像力でゆうちゃんの絵を楽しんではるのが伝わってきて、
なんかすごく素敵やなって思いました。
ほかにも、何度もギャラリー内を行ったり来たりしながらたっぷり絵を鑑賞した後、
「今日だけの展示だなんて勿体ない」と残念そうにつぶやいた年配の女性や、
ギャラリーの外のテーブルで絵を描いてたゆうちゃんに
うやうやしく頭を下げて立ち去る人なんかもいらっしゃって・・・。
ゆうちゃんの絵が観る人の心を熱くしているという事実に、静かな感動を覚えました。
そこにある、温かいやさしい時間と空間に、私の心もすごく満たされた一日でした。
ゆうちゃん、ありがとう☆
そして、当日のディスプレイや音楽やらの選択を
私とみどりんに全面的に関わらせてくださった、
寛大で、勇気ある(笑)、ゆうちゃんご家族の方々にも心から感謝です。
本当に素敵な素晴らしい経験をさせていただきました。
ありがとうございました☆
・・
私信:ゆうちゃん母さんへ
今朝、ゆうちゃんがもう少し大人になって心斎橋あたりの画廊で個展をするとしたら、
ということを勝手に想像してました。
そのときはビートルズの『サージェント・ペパーズ』を掛けたいなぁとか。
(めちゃくちゃ勝手な妄想ですが。笑)
でも、いつか実現したらいいなぁって思います。
個展の様子を少し、写真でも。
『始まるよ』
(この絵に私がつけた言葉があるのですが、それも僭越ながら展示していただきました。)
大盛況の様子。
森山大道写真展
この写真展を観るまで、森山大道というとモノクロ写真!と勝手に思い込んでいた。
だから、しょっぱなの展示室の大判カラー写真群にまずは驚き・・・
結論からいうと、この最初のカラー写真群が一番良かった。
写真の並べ方に、観る者の集中力を維持させるための工夫を感じたし、
選ばれた写真たちは、どれも不思議な昂揚感を感じるものたちで、
ぐっと惹きこまれるものがあった。
その後の展示はというと、森山大道の歴史総決算みたいな感じで、
良くも悪くも(というとエラそうやけども)、私がいつもこの人の写真を観たときに感じる感覚を
深くなぞるような展示やった気がする。
・・
私が写真家・森山大道と出会ったのは、たしかジュンク堂で
写真集、『大阪+』を手にしたときやったと思う。
ページをめくった先にあったのは、雑多で猥雑な大阪、そこに横たわる日常の断片たち。
幾枚にも切り取られたモノクロの風景を眺めながら、
ページを繰るごとに、なぜか気持ちがずーんとなっていったのを覚えている。
私にとって、森山大道の写真は、観続けていると落ち込む何かだ。
この人は、寂しさや侘しさという目に見えないはずのそれが可視化された瞬間を
撮るのが上手い人やと思う。
そこかしこに漂う悲哀。
それは劇的なものじゃない。
むしろ、日常の中にいつも存在していて、どれだけ鈍感なフリをしようとも
まとわりついては離れない、いわば”生きる”とほぼセットで存在するようなもの。
みんな、できれば気づきたくなくて、見たくないそれを、森山大道という人は
さりげなく、ふいに、でもはっきりと捉えては見せてくる。
今回の展示も例外ではなかった。
400点以上もの写真たちを観終わったとき、私はお腹いっぱいなのか
空腹なのかよくわからない気持ちでいた。
普段なら、印象に残った作品のことを思い出しては感慨にふけったりするのに、
今日ははそれをする気になれなかった。
なんだか少し疲れていて、一緒に行った友人と、一刻も早く
明るいカフェでコーヒーでも飲みながら、全く関係のない話をしたいと思っていた。
・・
ここまで書いた今、スカイプをオンラインにしていたら、
いつも私の気持ちを明るくしてくれる人が話しかけてきた。
・・とてつもなくくだらない、馬鹿げたやりとり。笑
楽しい☆
きっと、浮いたり沈んだりしながら進むから。
森山大道の写真も、今のこの時間も、私にとって必要なもの。
おやすみなさい。
画伯の個展
前のブログを書いてからそのまま続きを書こうと思ったら
出かける時間になってしまい、結局、今に。
うーん・・・
最近夏バテ気味なのか、食欲が全然無くて。
気持ちは元気やけど、体力が減退中。
会う人会う人に「痩せたね?」って言われるもんやから
ちょっとしっかり食べないとなぁと反省中。
展覧会のご紹介を☆
なんと、このブログでもお馴染みの画伯・ゆうちゃんが
8月に泉佐野で個展をすることになったのです!!
ゆうちゃんといえば、私とみどりんの2人展で素敵な絵を提供してくれた、
才能溢れる高校生画伯。
(記憶がおぼろげな人はココを。)
何を隠そう、私はゆうちゃんの絵の大ファンで、前の2人展では
ゆうちゃんの絵に私のことばを合わせたコラボ作品を作らせてもらいました。
で、このたび、なんと、畏れ多いことに、
個展でもそのコラボ作を展示してくださるそうで・・・。
いや~、正直、いいのかな?って感じなんですが・・・。笑
しかもこれまた光栄なことに、当日の作品ディスプレイのプロセスや
その他もろもろの準備にもみどりん共々関わらせてもらうことになりました。
考えるだけでワクワク!ドキドキ!です。
というわけで、ゆうちゃんの個展までの道のりを、
これから随時、このブログでも紹介していくことにしようかと。
とりあえず、今決まっていることを。
個展は泉佐野市で行われる「第14回まなび講座」という無料セミナーと
同時開催という形で行われます。
ちなみに、この講座のチラシの字と絵もゆうちゃん作。
ご興味ある方、是非いらしてください☆
第14回まなび講座
発達障がいのある児童生徒のコミュニケーション障がい
~よい関わり・わるい関わり~
高機能自閉症・アスペルガー症候群のさまざまなコミュニケーションのつまずきを
理解してもらうための講演です。
日時 8月23日(火) 午後2時~4時30分(受付:午後1時30分~)
場所 泉の森 小ホール
定員 450人(先着順)
講師 竹田契一さん(大阪教育大学名誉教授)
受講料 無料(資料代500円)
主催 まなび講座実行委員会、市教育委員会
申込・問合先
7月5日(火)以降に電話、FAXで、青少年センター(電話番号462-2939 Fax464-0409)、
下瓦屋地区青少年会館(電話番号469-1106 Fax469-0917)または、人権教育室(電話番号463-1212 Fax469-5267)へ
チラシ!
言葉にならない
神戸の元町にあるステラマリスというお店で食べた。
ここの店内に今、イラストレーター・Eikaさんの絵が飾られていて
みどりんと観に行った。
私とみどりんは縁あってEikaさんと出会い、この夏から秋にかけて
物作りを一緒にさせていただいた。
それが終わってからも、Eikaさんの絵が展示されてる展覧会を
二人で観に行ったりと、つながりは地味に続いていて・・・。
私たちが二人展をしたときにはわざわざ足を運んでくれただけでなく、
なんともかわいらしいイラスト付きのメッセージを感想ノートに寄せてくれたりと、
律儀で飾らない、素敵な方なのだ。
今回展示されていた絵も、素朴で丁寧で、温かみのあるものでした☆
みなさま、元町に寄る際には是非ステラマリスへ。
ちなみにEikaさんの絵が飾られるのは12/4までみたい。
キッシュもおいしかったよ☆
今日はそのあと、十三のナナゲイでレイトショーを観ました。
これについての感想は・・・。
うーん・・・・・・。
私とは感性の合わない映画やった。
・・映画館じゃなくてDVDやったら最後まで観てないかもしれないな。(ボソッ)
ま、でもこういうときがあるから、おもしろい!!というときもあるわけで。
なので別に、観たことを後悔したりはしていない。
感想も正直、あんまり何も書く気にならないのですが(ごめんなさい、でも本音やし)、
あえて一つだけ言ってみるとしたら、
私は人の気持ちって、言葉で表せる部分なんかほんの一握りやと思っていて。
言葉にならない思いってあるでしょ?
もしくは言葉ではとても足りない思いってあると思う。
今日観た映画の中を生きる人たちは、何でも言葉で片づけてしまう。
もちろん、伝えようとすることって大事やと思うんやけど、
言葉で表された部分しか信じないというのはいかがなものかと。
それって楽なのかもしれないけど、なんだか寂しすぎると思うのです。
私は、願わくば、言葉にならない部分をたくさん想像できる人間でありたい。
そう思うから。
そんな感じです。
・・
詩は言葉を超えることはできない
言葉を超えることができるのは人間だけ
(谷川俊太郎 「いつか土に帰るまでの一日」より)
Eikaさんの絵。
(ほんの一部やけども)