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カテゴリー「ことば」の記事一覧

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見たいと思う世界の変化に

へーろへろのふーらふらの一週間が終わり…つつある。
こっち帰ってきてから、いきなり国家試験の模試があって、
そのあとそのまま授業が続き、
実習の報告会用のパワーポイント資料の提出締切があり、
実習先へのお礼状も書かなくちゃ、就職先も目星をつけなくちゃ…な上に、
ヘグムの発表会ももうすぐ・・・!
合奏曲の暗譜できてなーい!ぎゃー!みたいな…。
もう、わけがわからん状態とはこのことですね。ハハハ
やること多すぎて何か大事な見落としとかがあるんじゃないかと不安になる
今日この頃…。

まぁ、暗譜は気合入れたら一夜漬けでもなんとかイケるとして(本当か)、
就活がかなり面倒くさい。
先生からは早く決めなさいって言われるしね・・・。
大阪方面の就職先がいいんやけどなぁ。
でもなんか段々、もういっかぁって、こだわりが薄れてきてる自分がいる。
就職先って大事なのにね。

ちなみに国家試験の模試は選択問題であるという性質上、直感が働きやすくて
とりあえず今の時点で合格点はとれてた。
全く勉強せずに受けたから、こういう結果が出ると、私の性格的に
一気に油断してしまう。
もういいかなって。いけるんちゃうん、とか思ってしまう。
良くない傾向。

・・

マハトマ・ガンジーという人がいますね。
facebookでガンジーの名言をアップしてる人がいて、
気になって調べてみたら素晴らしい言葉がたくさん見つかったので
ここにも。

「怠けていることは 喜びかもしれないが 重苦しい状態である。
幸せになるためには 何かをしていなくてはならない。」
 
怠けてるときって結局自分がしたいことをできていないときなんよね。
それはやっぱり重苦しい。


「行動の最中には 静寂を、
そして休息においては 活気を学ばなくてはならない。」

活動的に動いてるとき、ふと、自分との静かな対話があると落ち着くし、
休んでるときには騒がしい空気や活気に触れたくなる。
二つ目のこの言葉は人間の心の状態を表わしてるみたいにも思える。


「明日死ぬと思って生きなさい。
永遠に生きると思って学びなさい。」

この言葉、座右の銘にしようかなぁ。
明日死ぬと思うと全力を出さなくちゃと思うし、
永遠に生きると思うとどこまでも果てしなく知りたくなる。
学びは果てしない、長い道のりをひたすら進むものなんだな。
今はこれ、すごく実感する。
どこまでいっても知らないし、わからない。
でも、知りたい。


「重要なのは行為そのものであって結果ではない。
行為が実を結ぶかどうかは、 自分でどうにかできるものではなく
生きているうちにわかるとも限らない。

だが、正しいと信じることを行いなさい。
結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ。」


「束縛があるからこそ、私は飛べるのだ。
悲しみがあるからこそ、高く舞い上がれるのだ。
逆境があるからこそ、私は走れるのだ。
涙があるからこそ、私は前へ進めるのだ。」
 

「見たいと思う世界の変化に あなた自身がなりなさい。」


励まされることば。
現状を嘆くだけじゃなく、できるだけ楽しんで生きたいなと思うから。
 




 

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悲しみは殻のなか。

死への恐怖は生きる喜びと紙一重なんやなぁ。

なんてことを思いながら寝ます。

・・
 


新美南吉「でんでんむしの悲しみ」
 

一匹のでんでんむしがありました。
 
ある日、そのでんでんむしは、たいへんなことに気がつきました。
 「わたしは今まで、うっかりしていたけれど、わたしの背中の殻の中には、悲しみがいっぱいつまっているではないか。」
 この悲しみは、どうしたらよいでしょう。

 でんでんむしは、お友だちのでんでんむしのところにやっていきました。
「わたしはもう、生きていられません。」
と、そのでんでんむしは、お友だちに言いました。
「なんですか。」
と、お友だちのでんでんむしは聞きました。
「わたしは、なんという、不幸せな者でしょう。わたしの背中の殻の中には、悲しみが、いっぱい詰まっているのです。」
と、初めのでんでんむしが、話しました。
 すると、お友だちのでんでんむしは言いました。
「あなたばかりではありません。わたしの背中にも、悲しみはいっぱいです。」

 それじゃしかたないと思って、初めのでんでんむしは、別のお友だちのところへ行きました。
 すると、そのお友だちも言いました。
「あなたばかりじゃありません。わたしの背中にも、悲しみはいっぱいです。」
 そこで、初めのでんでんむしは、また別の、お友だちのところへ行きました。

 こうして、お友だちを順々に訪ねて行きましたが、どの友だちも、同じことをいうのでありました。
 とうとう、初めのでんでんむしは、気がつきました。
「悲しみは、だれでも持っているのだ。わたしばかりではないのだ。わたしは、わたしの悲しみを、こらえて行かなきゃならない。」
 そして、このでんでんむしは、もう、嘆くのをやめたのであります。

 


郷愁 その2

発掘され、捨て切れなかったものその2。
大学時代(たぶん1年か2年の頃)に書いたと思われるレポート。
タイトル『少子社会科学レポート』

表紙のタイトルの下に先生のつけた点数が書かれてある。
おそらく20点満点のレポートで、
「20点+1点 コメント:+1点はクレオパトラの化粧品代として」。
なんじゃこれ、と思って開いてみた。

「テレビのCMを見たり、雑誌の広告を見たりする中で、一番目に付くもの。
それはやはり、女性の美容関係のもの、それも化粧品の広告ではないだろうか。
化粧と言えば、今や中学生でさえも道具を一式そろえる時代。
百貨店にも化粧品売り場なるものが広く設けられ、日々多くの女性たちがメイクの技法を学び、
美に磨きをかけている。
そこで私は、そんな様子を垣間見る中で疑問に思ったことを調査し、論じることにした。」

え、少子社会科学のレポートですよね?っていうツッコミ。
・・続き。

「まず、化粧は一体いつ頃からなされるようになったのだろうか。
調べた結果、化粧の歴史は古く、紀元前4000年の古代エジプトの時代から
始まったということがわかった。
また、エジプト人は化粧品を芸術的に使用した最古の民族であり、
その中でもクレオパトラのメイクテクニックは当時の流行色を取り入れた、鮮烈かつ、
派手なものであったと言われている。
頬をレッド・オーカーで赤く塗り、手の指や足はツマレナイから採ったオレンジ色のヘンナという
染料で染め、眉はタールで黒く、上瞼は瑠璃の粉末を使ってブルーブラックに、
下瞼はクジャク石を使ってグリーンに塗りつぶしたものであったらしい。(図1参照)
化粧は、エジプトからローマへと渡り、続いてギリシャへ、そしてヨーロッパ全土へと渡った。
そして18世紀頃まで男女の性別を問わず化粧をしたと言われている。」

ちなみに、図1にはクレオパトラの肖像画が貼りつけられていて、
色鉛筆で色が塗ってある。(自作)

「当時好まれた化粧は頬紅で頬を赤く染めることであり、
その赤味を際立たせるために女性たちは、顔や首、胸を白い粉で白く塗ったと言われている。
しかし、化学技術が発達していない時代に作られたその白い粉は、
鉛を大量に含み、多数の女性が早死にするという結果を導いた。
また、頬紅は、クワといった植物性の無害な海草を原料に使っていたものの、
それを赤く染めるために硫化銀が使われ、それが口に入り、
胎児にまで悪影響を及ぼすことになってしまった。
その結果、約6000年続いた”厚塗り”の時代は終わりを迎えることになった。
フランス革命を経て、1880年、安全な化粧品を創るために化学者が立ち上がり、
このことが今の膨大な化粧品産業の誕生につながるのである。」

まだ続く。

「次に、その膨大な化粧品産業において、化粧品の数と種類は
どれくらいあるのかを調べてみた。
化粧品及びヘアワックスなどを発売している大手企業”マンダム”で
生産されている化粧品の数を調査してみたところ、
1日平均300,000本の化粧品が生産されていることがわかった。
これは500席あるジャンボ飛行機の座席一つ一つに、一本ずつ化粧品を搭載して運ぶとして、
ジャンボ機600機分である。
一年間だと約80,000,000本(8千万本)である。
一つの会社でこれだけの化粧品が発売されているとなると、日本及び世界中での
発売総数は計り知れないものであると言えよう。
また、その種類は日本国内だけで2000種類とも3000種類とも言われ、
化粧産業の規模の膨大さを物語っている。」

「次に、化粧にまつわるエピソード及びあまり世に知られていない用途などについて調査した」

この後、女の人が厚化粧しまくるために夫に経済的弊害が及び生活がひっ迫したとか、
宗教画を描くための絵具が化粧に使われてしまったとか、
処刑されたモナコ大公妃は断頭台へ立つ前にも化粧を欠かさず、
急死したルイ15世の娘は紅をつけた姿で四輪馬車で運ばれた、とか
なんかそういうことを中心に色々書かれてある。

・・はっきり言って、アホである。(特にジャンボ飛行機のくだり)
しかも結局、最後まで少子社会に関係する記載は一つも無いという・・・。
おそらく、レポートのテーマは自由って言われたんやと思うけど、
でも完全に主旨から外れた個人的興味の範囲でしか書いていない代物。笑
(一生懸命色々調べたんやろうけども。)
本来やったら一蹴されててもおかしくないと思うんやけど
先生も悪ノリ(?)で点数つけてくれてるのがすごい。笑
イイ先生やなぁ。
好きやったな、この先生。


まぁ、なんかこんな頃もあったということです。笑
(ノリで書いてしまった)


中島みゆき/時代
http://www.youtube.com/watch?v=Cv1XYghZ6-E





郷愁 その1

さっきまで実家に帰っていて
今、物置と化している元・私の部屋の整理をしてきた。

整理しているなかで、いろんなものが発掘された。
もう本当に色々。
恥ずかしいものやら衝撃的なもの、それはもう色々と・・・。笑
その多くは潔く処分したんやけども、
でもちょっと捨てきれないものもあって。

そのうちの一つ。

1999年3月12日(16歳)の私が未来の自分に宛てて書いた手紙。
たぶんなんかの授業で書かされたんやと思うんやけど。

「拝啓 
早春の候、一雨毎に春めいて参りました。
あなたは今も変わらず元気で過ごしているのでしょうか。
たぶん相変わらずバタバタとした忙しい日々を送っているのでしょうね。
こっちは元気に楽しく毎日を過ごしております。
あなたももうすぐ卒業ですね。
旅立ちの今、進むべき道は見つかりましたか。
行きたかった大学には合格したのでしょうか。
もしもそうなら今年からは晴れて大学生デビュー、楽しみですね。
もうすぐ私は二年生になります。
それも理数科に入るのです。信じられませんよね。
(中略)
二年生ってちょっとした人生の分かれ道のような気がします。
ちょっとずつだけど、みんな未来に向かって自分の進路を選択していっています。
そして卒業・・・。
寂しい別れもあるだろうけど、もっと晴れやかで素晴らしい地点に
あなたは立っているのですね。
ひょっとしたら進学しないかもしれないし、就職活動に励んでいるのかもしれないけれど、
今、私の胸の中は未来に対する希望でいっぱいです。
この今の希望を叶えるべく、私はこれから残った高校生活二年間を有意義に、
精いっぱい過ごすつもりです。
あなたの姿を見るのが今からとっても楽しみです。
昨日の自分より今日の自分をもっと好きになれるように。
このようになれる様、日々努力を忘れず頑張ってください。
敬具
一九九九年 三月十二日 ひすん
未来のひすん様(名前のところは本当はフルネーム)」

・・
このころの私、どんだけ順風満帆なんやろうね。笑
何も知らない、知らないからこそ言える言葉たち。
このときの自分が今の姿を見たらどう思うのかな。
思ってた感じじゃない!って確実にガッカリされそうやな。
いやぁ紆余曲折ありまして、とか、なんかそういうの一切求めてないし予期すらしてない
文面やもんね。笑
でも同時に、こういう言葉はきっともう書けない自分に少し寂しさも覚えたりして。

世界が全部キラキラして見えてたんやなぁ。
そんなときもあったんやな。
・・って郷愁。
誰かと分かち合いたくて書いちゃった。



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