手をつなぐ
日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。
- 2017.03.06
誕生日のこと
- 2017.03.02
移ろい漂う感情、睡魔
- 2017.02.25
テレビ、夫、オザケン。
- 2017.02.19
明るい陽射し
誕生日のこと
- 2017/03/06 (Mon)
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うーん…やはりそうなのか。
母の存在は精神の安定に相当関わっているらしい。
でも世の中みたら、娘と同じくらいの月齢で保育所入ってる子、いっぱいいるんやもんなぁ。
それってすごいことやな。
私にはまだまだ預ける勇気は無い…。
というか、一緒にいたい。
みんな、一緒にいたいけど泣く泣く預けるのかなぁ…。
…
どたばたな中で、私はまた一つ歳をとった。
立春を過ぎて、暦の上では春と言われる2月の終わり。
でも自分が春生まれだなんて思ったことは一度も無い。
毎年、必ずと言っていいほど誕生日の日は寒い。
今年も極寒の日だった。
実際、産まれてきた日も粉雪のちらつく寒い日だったらしい。
誕生日は夫と娘がお祝いしてくれた。
…正確には、誕生日の前日に。
夫が小さなネックレスをくれた。
毎年、何かしらのアクセサリーをくれる。
私は自分ではほとんどこの手のものを買わない。
だからこそくれるのかもしれないけど。
それを買ってきたその日にくれる。
誕生日の日にサプライズで、とか、何かしらの演出があって、とか、そういうのはできないタチらしい。
「はい!!これ!おめでとう!!」と満面の笑みで渡される。
早ければ一週間前くらいに渡されるときもある。
別の意味でのサプライズ、ともいえるけど…。
アクセサリーは小ぶりで繊細なものを選んでくれる。
目を引くような大ぶりなものは私には似合わないから、と。
本当にそうなのだ。
もともと装飾品に興味が乏しいので、たまに身につけると存在感のあるものはどうしても浮いてしまう。
こういうのは毎日つけて、お互いに歩み寄っていくものなのかもしれない。
ゴツゴツしたものを身に着けていたら、それに合わせて自分の見た目も少し派手になったりとか。
毎年、お手紙も書いてくれる。
今年はムーミンの表紙のカード。
中にはロマンチックな言葉が端々に…ということは残念ながら全くなく、なんというか、ギャグ感満載な仕上がりになっている。
手書きのイラストが描かれてあって(これがなかなかに上手い)、そのキャラクターから吹き出しが出ていて、ちょっと私を小馬鹿にしたような台詞が書き込まれている。
軽くイラッとする。
と同時に、不覚にも、クッ…と噴き出してしまう。
夫はしばしば私を馬鹿にした内容の替え歌を口ずさんでいることもある(…しばしば?しょっちゅう?)。
チラチラこちらの様子をうかがって、ニヤニヤしながら。
私が怒りだすのを待っているのだ。
それがわかっているので聞こえないふりをするけれど、しつこく歌うのでやむなく怒る。
誕生日のカードもその要素がふんだんに含まれていると思う。
一応、最後は感謝の言葉とかも書かれてはいるんやけども。
ケーキも買ってきてくれていて、一緒に食べた。
ロウソクも立てようと言うので二本ほど立て、電気を消して火をつけた。
ハッピーバースデーの曲をひとしきり歌い、さあ火を吹き消そうというときに、すかさず夫がフーッ!と思いっきり吹き消した。
そして、ハハハハハ!!と笑った。
そんな誕生日(前日)だった。
夫と私は似ていない。
全然似たところがない。
たぶん、夫は結構変わっている(”変”、という意味で…)。
一緒に居すぎて、もはや何がどう変なのかもわからなくなってるけど。
私も変、なのかな。
もしかしてそこが共通点?
それはなんかちょっと不本意やけど。
そうなのかも。
移ろい漂う感情、睡魔
- 2017/03/02 (Thu)
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夜中、娘がほぼ1時間置きくらいに起きてきた。
というのも、昨日は私の体調が優れず、娘はほぼ夫にベッタリだった。
こんなときいつも、夜中になると何か不安に駆られたみたいに起きてくる。
そこにおるよね?おるよね?と。
おるよ、おるよ、と言ってもなかなか不安はぬぐえないらしい。
何度も起きてきては半べそで、おるよね?おるよね?
おるよ、おるよ、…も、ここまで頻回やとなかなか大変。
こんなことなら昼間しんどくても頑張ってみてあげてた方が良かったか、とも思ったり。
…仕方がない。
子育てに必要なものは愛情と、あとは体力。
同じような境遇にある人で、これに異論のある人はあまりいないんじゃなかろうか。
体力は必須。
絶対に必要なもの。
・・・
久しぶりにブラームスのピアノ協奏曲を聴いている。
この曲、この演奏が好きで、盤も持っている。
https://www.youtube.com/watch?v=arKoBwtmuX0
ツィマーマンがとても若い。
指揮はバーンスタイン。
よく観ているとおもしろい動きをする。
世界的に有名になった初めてのアメリカ出身の指揮者?やったかな。
4分40秒頃からツィマーマンのピアノが入る。
その瞬間がとても好き。
音の世界に感情が芽生えたみたいな。
キュッとなる。
ピアノ協奏曲第1番はたしかブラームスの最初の大作で、師匠であるシューマンの奥さんクララに対する断ち切れない想いなんかも込められている…らしい。
実際にブラームスがそんなことを語っていたのかは不明やけど。
でもたしかに…。
抑えきれない情熱のようなものを感じる曲ではある。
その辺が好きなのかな。
自分でも理由がわからないけれど好き、というのがある。
なんで好きなんかなと考えて、たぶんこうやなと思ってみても、目に見えない感情に無理矢理枠をはめたみたいな違和感があるような。
もっと移ろいやすくて、ボンヤリしていて、ただただ広がっていくみたいな。
ときどき高鳴ったり、あるときぐっと掴まえられて静かに幽閉されたり。
私にとっての”好き”というのはそういうイメージなのかも。
(これまた言葉にしてみると、やっぱりどこか限定的な感じがしてしまうけれど。)
眠いときに書くとこういう文になるんやな。
夢を見ているような。ゆらゆらとしたことばの羅列。
少し昼寝をしたらすっきり元気になるかな。
・・・
高木さんのコンサート、オーケストラとかぁ。行きたいな。
アルバムも出るんやな。
聴きたい。
テレビ、夫、オザケン。
- 2017/02/25 (Sat)
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昨日の夜。
とても久しぶりに能動的にテレビ番組を見た。
その後。
夜中に夫の仕事関連のとある文を代筆した。
代筆…というか、ゴーストライター的な。苦笑
私はトラベルビーという人のことを何も知らない。
けど、その人にまつわる論文を読み、要旨をまとめ、それについてのそれっぽい考察を書いた。
(まあ一応、夫から話された、”こういうことを書きたい”という内容を盛り込んで書いたのだけれども…)
そのせいで寝不足。
いや、主には娘が何度も起きるからなんやけど。
でも気分的にはトラベルビーの件で寝不足。(愚痴。)
…
昨日Mステにオザケンが出ていた。
それをネットで知って、本当に久しぶりに自らテレビ番組を観てみた。
夫も一緒に観ていて、「オザケン、緊張してるな~」としきりに言っていた。
夫も私も世代的にオザケンの音楽をリアルタイムで知っている。
その頃を思い出しつつ…
観ながら、なんかMステ変わったな。え、こんなふうに紹介するんや、へーとか思いながら。
”ぼくらが旅に出る理由”を最初に歌って。
この曲たしか、高木さんがアレンジしたのを倍賞千恵子さんが歌って、それが映画の主題歌で…と思い出したところで、夫が、「これ、ガンバの主題歌やろ?あー!あの映画観たかったぁ!」と言った。
私はこの”ガンバ”こと、ガンバの冒険というアニメを知らない。
けど、夫はその昔、熱心に観ていたらしい。
私と夫はほぼ同い歳なんやけど、夫は生い立ちがちょっとユニークなせいか…少し前の世代のアニメや漫画や諸々にやたらと詳しかったりする。
最近も、”やんちゃくちゃぼーず、やんちゃりか♪”という、何とも愉快な曲を熱唱していて、それはなんだと聞くと、「え?知らんの!?ヤンチャリカやん!!」と言われた。
ヤンチャリカて…知らん…。
(あとでyou tube観て知ったけど。これ→ https://www.youtube.com/watch?v=0AMqRRndegU)
・・とまぁ、夫の話はいいとして。
オザケンの曲、流動体について。
イイ曲やった。
オザケンは詩人やなぁ。
ことばが一つ一つ丁寧で美しい。
難しすぎず、易しすぎず、絶妙な…。
(この辺は私よりも熱く、詳細に、解説?語って?いる人がたくさんネット上にいるのでそちらを是非…。…すいませんなんとなく。ボソボソ…)
というか、影響力すごいな、やっぱり。
パッ!と出てきて、店頭にこれだけのCDが並んで。
アマゾンでも一位ってなってるもんね。
単純にそのことだけとってみてもすごい。
個人的には、このことはなんだかとても喜ばしいことで、安心な出来事でもあった。
・・ということを言っておきたかった。なんとなく。
しかも昨日はその後のニュースにもオザケンが出ていて。
これは録画で今日観たけど、もっといろんなこと言ってたはずなのに(おそらくは)、だいぶと省略されてる感否めず…!
時間の関係上?仕方がないとはいえ…
うーん…私のニュース番組不信が解消されることは残念ながらなかった…。
(それとこれとは別やけどね。笑)
でもそのなかで言ってた、謝ることは悪いことじゃない、日本のいいところだっていうのはとても共感。
夫もよく言ってる。
「日本人が”すいません”って言うのん、えーやん!
アメリカとかみたいに自分のことをあんな主張せなあかんかなあ?なんか、ちゃうやろ。絶対、日本の方がいいと思うわ!」と…(ほぼ原文ママ)。
とかいう夫はかなり自分の意見を強硬に持っている人間だと私は思っている。
本人にその自覚はおそらくないと思うけど。
夫の愚痴に始まり、夫の発言に終わってしまった…。
ま、いっか。
なんか、書きたいままに書いてしまった。
(てか結局ブログ続いてるやんっていうツッコミはいつでもどうぞ。)
オザケン、頑張ってほしい。
明るい陽射し
- 2017/02/19 (Sun)
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夫の風邪が実はインフルで、それがそのまま娘にもうつってて。
生きた心地がしなかった。
夫も娘も回復してホッと一息。
次は私…?と内心ヒヤヒヤしつつ、気を強く持って、なんとか滑り落ちないように。
・・・
新しいことを始めることにした。
いつから、とか、どれくらいの頻度で、とか、そういう詳細は決めきれてないけれど。
出産を機にそれまでしていた仕事を休んで、働くということから遠ざかっていて。
でも、声を掛けてくれる人がいて。
いわゆる"重度"の身体障害のある子どもたち、というのがいる。
見学だけでも来てみてといわれて行った先は小さな民家やった。
そこには呼吸器を装着した子や両手の無い子、身体を起こすとぐにゃっと折れ曲がる子なんかがいて…
周りの大人たちは何らかの医療関係の資格を持つ人。
けどみんな普段着で、ケアしているというよりは和気あいあいと、みんなで寄り添っている、そんな感じがした。
ああいいなぁと素直に思って、それからものすごく悩んだ。
仕事として私は高齢者をみることしかしてこなかったから…。
単純に、できるのかな、と。
ここで求められている役割をはたして果たせるのかな、とか。
もやもや色々ゴチャゴチャ考えて、やってみよう!と思ったり、やっぱり無理だ断ろうと思ったり。
いろんな意味で落ち着かないここ数週間やった。
学生の頃、私は障害のある人たちや子どもたちと日常的に一緒にいた。
学童保育で子どもたちともみくちゃになって遊んで、いつも身体のどこかに傷があったような。
障害のある人たちの暮らしの場に一緒に入って過ごしたり。
今思い出したけど、マサ子さん。
私の身体の2倍くらいある大きな女の人。
ある人に頼まれて、私はその人と一緒に一晩を過ごすことになったんやけど、あれは大変やった。
私とマサ子さんは初対面で、マサ子さんは私とは違う言葉で話した。
あー、とか、うー、とか。
ドスのきいたひくーい声。
歳は私より一回り以上は上やったと思うけど、本人に確認できたわけじゃないからこれは推測。
ご飯を作って一緒に食べたら、ものすごい勢いで平らげるのでびっくり。
あとから聞いたところでは、その昔、ヤカンいっぱいのお茶を一気に飲み干してしまったこともあったとかなんとか…。
ご飯の後はお風呂に一緒に入った。
そこで身体の大きなマサ子さんを洗うのに四苦八苦。
湯船に浸かりましょうと言ってもなかなか伝わらなくて、身体をうまく誘導することもできなくて。
そしたらマサ子さん、急にお風呂場の壁に頭をドン!ドン!と強く打ち付けだした。
止めなきゃ!と全力で身体を壁から引き離したら、マサ子さん泣いてて。
それを見て私も猛烈に悲しくなり、二人で号泣。
お風呂場で。裸で。
振り返ってみて、よくもまあ私に任せたなと思うし、私もよく引き受けたなとも思うし。
若かった、というのもあるけれど…。
こういうことってずっと覚えているんやなぁ。
そしてなんだか、あれっきり会っていないマサ子さんのことが、じんわりと今、愛おしい。
高木さんがアップしていた竹富島の動画を観て、竹富島の人たちが、かつての圧政のなかで、歌をうたって、うたって生きてきたことを知った。
私も竹富島に行ったことがあるけど、あんまり何もよく知らずに行ったから…。
こういうこと、知ってたら良かったな。
小さな人たちの小さな営みの結晶があの島に伝わる歌の数々なのかな、と思った。
https://www.youtube.com/watch?v=qf2So5LL6ow
私もまた小さな存在で、これから有名になるとか…そういうのもまぁ、まずない。
小さなままで、誰かと一緒に寄り添って生きれたのなら。
何もできないけど、私の僅かばかりの力を必要としてくれる人がいるのなら、その人たちの役に立ちたい。
一緒に生きたいなぁと…
これは今も昔も変わらない思いとしてある気がする。
できるかできないかより、やってみるかやらないかかなぁと。
…
マサ子さんとはお風呂を出た後、疲れてお互い朝までぐっすり眠って、起きてからは何事もなかったかのようにまた二人で朝ご飯を食べた。
私は私の言葉で喋って、マサ子さんはマサ子さんの言葉で喋って。
相変わらずよくわからなかったけど、少しだけ近づいたような気がしたんやった。
あの日も窓から陽が差し込む今日みたいに明るい朝で。
ホッとして、嬉しかった。
何でも少しずつ。
希望を捨てずに。
そこにある木の存在を慈しむような。
ぴんに木あよーの歌みたいに。