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手をつなぐ

日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。

カテゴリー「日々のこと」の記事一覧

なんてことない

本当になんてことないような話。



気づけば子どもが二人いる。
二人とも、私を知る人には私似だと言われる。
二人目さんはあんよが上手になってきたんやけど、髪の毛は相変わらず薄くてまだまだ赤ちゃん味が抜けない。
目が丸目で小動物っぽい。
ポメラニアンに似ているなぁと、生まれた時からずっと思っている。
前に夫に、「この子、なんか天津飯にも似てない?ドラゴンボールの」とつぶやいたら、「それ天津飯ちゃう、餃子」と即座に訂正された
そう、餃子。チャオズね。知ってますよ。
鶴仙人の弟子のね。(←夫から教えてもらった)
…まぁ、にわか知識はこんなもんです。
配合で言うと餃子70%ポメラニアン30%ってとこかな。
似てると思う。

この餃子な二人目さん、天性の(?)甘え上手で感心してしまう。
ニコニコ笑いながら抱きしめてもらいにやってくるし、イタズラして怒られそうになったら満面の笑顔で許してちょーだいと言わんばかり。
結果、怒る気になれなくてホント甘甘で育ててしまっている。

上の子は最近誰からも私に似ていると言われる。
たしかに似てるかもと思う。
このところ難しい質問が増えてきた。
「ねえ、優しいってなあに?」
うーん、、誰かが失敗して悲しんでいたら大丈夫って言ってあげたり、ごめんねって言われたら許してあげたりすることだよ、と答えた。
答えながら、この答えは正しいのか…?と自問しつつ。
優しいって何かな?



楽器を今も習っていて、今、「夢のあとに」という曲を弾いている。
これはもともと歌曲で、
夢の中で美しい人と出会って恋に落ち、夢が覚めてもなお忘れられないという歌。
とても綺麗で悲しい曲。
大好き



いろんな人の演奏があるけど、この少年の演奏いいな。
夢のあとに
https://youtu.be/WqY3yyckcvI
なんてことない話、おわり。





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噛みしめて

このところ実は…書いてアップロードしたものの思い直して消してしまった記事がいくつかあった。

それらとは違う話を。



いつも不思議やなぁと思うことの一つに、親しい人たちからの連絡が同じ時期に重なるというのがあって。
たとえば、Aさんが遊びに来た日の翌日にBさんが遊びに来て、その次の日にCさん、Dさんから連絡が来るみたいな。
いろんな人が私を思い出してくれるタイミングが重なるというのがこれまでもよくあって、そのたびに不思議な気持ちになっていた。
何かあるのかなぁ。引き合う見えない力?

今、よく家に遊びに来てくれる友人が何人かいて、
当然ながら私はその人たちのことがとても好き。
私は実は真面目な人が好きで、と言っても、堅いという意味の真面目さではなく、真摯な、というか。
素朴でまっすぐな人たち。
今仲良くしてくれてる人たちはそんな共通点がある気がする。
自分が生き方上手なタイプではないから、そういう人に癒されるものを感じるのかも。

歳を重ねてみて、良い意味でももしかすると悪い意味でもあまり人に期待しなくなった気がする。
昔は人に対してこうあって欲しいという思いが強くて、勝手な理想を投影してしまったり、思い込みから一人で傷ついたりすることがよくあった気がする。
今もそういうのが完全に無いというわけではないけれど、諦めることが悪いとも思わなくなった。
だってその人のことは変えられないから。
変えられるのは自分自身のことだけ。



そうそう、変わったことといえば、この数年でたぶん料理のレパートリーが相当に増えた。
単に料理が楽しいからなのだけど。
味噌はもう何年も自分で仕込んでいるし、沢庵やキムチも自分で作ったものを食べている。
家で食べるオヤツもよく作る。
知ってる人も多いと思うけどビスコッティというイタリアのお菓子があって、これはもう何回作ったかしれない。
とても簡単なのだ。
神経質に量をきちっと測らなくても多少の誤差があっても美味しくできるお菓子。
同じ理由でドーナツやプリンもよく作る。

今日はアジフライとミンチカツにした。
魚のフライは塩をふってしばらくしたら水気を拭いて衣をつけて揚げるだけなのですぐできる。
それとお味噌汁とポテトサラダ、キャベツの千切り。

今の時期ならおでんをよく作る。
一つ一つの材料の下味付けが多少面倒ではあるけれど、その工程が楽しくもあって、何より完成したときの達成感ね。
次の日も美味しく食べられるし、全部食べ切って残った出し汁で親子丼を作るとこれがまたとても美味しい。
そういえば前の職場の後輩が近くに寄ったからとか言っていきなり昼ごはんを食べにやってきたことがあったな。
慌ててきんぴらごぼうと卵焼きを作ってグリルでししゃもを数匹焼き、豆腐と長ネギのお味噌汁を作って出した。
あるもので作った即席料理、全然おもてなしでもなんでもなかったけど喜ばれた。
こういうご飯が食べたかったんです!とか言って。
突然のことにびっくりしたけど、喜んでもらえたことが嬉しかった。



本当に気まぐれな記録。
雑記とはこのことやなぁ。

ただなんてことない日々を少しでも慈しんで、噛みしめて生きたいなと思っている。
大それたことは何もできないけれど。
美味しい料理が一つできたらそれだけでも素敵な一日じゃないかぁ!と、言い聞かせてみている。





希望とは

日記のような、日記ではないような。
自分の中の執着心の無さについて。
何にも、どこにも、本当に執着心というものが乏しい。
いつ手放してもいいものばかり。
なんでこんなかなーとおもう反面、こんなやから気軽に何でも始められるのかな、とも思う。
その時、その時に自分のまわりにあるものを大事に、大切にしようと思う。
おろそかになっていた人との連絡をきちんとして、働く準備も始めよう。
また新しい出会いがあって、学びがあって。
子どもたちはかわいくて、そんな今が尊いけれど。
でも、そろそろ未来のことも。
明日どうなるかもわからないけれど、けど、少し先の未来を楽しく想像してみよう。
そんな努力もまた尊いはず。

・・・

↑という文を自分の手帳につらつら書いていて、なんとなくここにも転記。

ドラッガーという人いわく、とても限られた人生において自らの苦手とすることを人並に引き上げるための努力をするよりも、自分の得意なことだけひたすら集中して取り組むことのほうがはるかに有益で成功への道だとかそんなことを言ったらしい。

全然ここには書かなくなってしまったけれど、某SNSではたまにごく短い文を写真とともに発信していて。
本当に短くて簡単なさらっとした内容。
日常のたわいもない一場面、そのときのちょっとした思いなど。
それを見た人から、実は更新楽しみにしてるだとか、もっと何か書いたほうがいいとまで言ってもらえることがちらほらあり。
どうなんやろう。
私は書いたほうがいいのかな?笑
うーん。

実は、この本めっちゃいいなぁ!とか、この人すごい、とか、わっ!なにこれおもしろい!とか
そんなのは日々あるんやけど、それ書いてなにかなるのかなって思ったり。
なんだか世の中というものがあまりに暗澹としていて…と言ったら大げさ?
個人レベルのちょっとした幸せや驚きや発見が自分のなかではしみじみ美しいのだけど、
こういうところで書くことに何の意味があるのだろうと…。
あまりにもひどい情報、あまりにもひどい言葉が入り乱れすぎてて
そんな真っ黒の海の中に自分のちょっとした感動を投げ込んだところでね。なんだかむなしいような。
って書いたらなんか暗くなっちゃうけど。笑
そんなめっちゃ悲観してるわけでもないのだけれども。
うまく言えない。

はぁ。眠い。

まぁまた書きたくなったら書こうかな。





遠い記憶

本当に気まぐれな、なにげない思い出のつれづれなる記録。



基本的に人と争いたくないと思っている。
・・なんやけど、よくわからないゴタゴタにしばしば巻き込まれることがある。

私が社会人になって初めて勤めた職場でのこと。
一番仲良くしていた同期の子がある日突然死んでしまった。
上司との関係に悩んでいた。
もともと鬱の既往歴があったことを後から知った。
私はたびたび涙目になっている彼女をすぐ傍で見ていたのに、事態の深刻さに全く気付けていなかった。
死ぬなんてのはもっと先の遠い遠くにあるものだと。
そのときはそう思っていた。
だからあの知らせを受けた日の夜の衝撃は今でも忘れられない。
何度も何度も反芻し、深く深く刻まれた痛い記憶。

一番最初に直面した”死”は、大学の同級生のそれだった。
彼女は拒食症でがりがりに痩せていた。
出会ったときにはそんな姿だったしそれほど親しかったというわけでもなかったので
そこまでの状態に至った経緯や詳細はよくわからない。
私はお通夜もお葬式も参列した。
お通夜の夜、高校時代の同級生らしき男の子たちが3人揃って棺の前でおんおん泣いていた。
遺影の中の彼女は別人のように綺麗で、私は彼女がとても美人だったことをそのとき知った。
いろんな人の涙から悲しみがつたってきたけれど、本当の悲しみはそのときの私にはまだわからなかった。
わかっていなかった。

・・・

同僚が死んだ後、私はだいぶおかしくなっていた。
まだ24歳だったし、本当の悲しみに出会ったのはそのときがおそらく初めてだったから。
どうしたらいいかわからず混乱した。
デスクワークをしながらわけもなく涙があふれてきたり、突然気分が悪くなって立ち上がった途端に倒れたりもした。
見かねた大人たちが慌てて、私をカウンセラーのもとへ連れていったり、
「人生、まだまだつらいことがこれからあるんだ、こんなことでくじけてちゃいけない」とお説教したりした。
あるときは「みんなを困らせて何がしたいの!」と叱られたりもした。
けど、どうしたらいいか本当にわからなかったのだ。あのときは。

今となってみたら、大人たちがそんな私を不憫に思っていたことや、
胸を痛めていたこと、ただただ励ましたい一心であったこと、そんなのがよくわかる。
あの頃。

仕事はその後も忙しくて、表面上は淡々とこなしていたけれど、いつも心ここにあらずで
どこにも自分の居場所がないような気がしていた。
私は何をしていけばいいのかわからなかった。
彼女が死んで、続けて入った後任の人まで死んでしまって、職場が大混乱になったとき。
上司が私を別室に呼んで、「君に会わせる顔がない。申し訳ない」となぜか謝られたこと。
労働組合の会合で、人が二人死んだのに、「この件については職場の問題として扱わない」と決まり、なんだか何もかもがどうでもよくなってその場で席を立ち会議室を去った夜のこと。

全くやりがいのない事務作業を淡々とこなしながら、それでも仕事だけは早かったから、余った時間、延々とネットを見て時間をつぶしていた時期もあったな。
そんなふうに過ごしていたら辞令が出て、ものすごく精神衛生の不良な部署への異動が決まった日の夜。
辞表を書いた。
翌日それを提出したら、人事権のある幹部職から直接呼出しをくらって、密室で2時間以上大声で罵倒された。
でもなぜだか全然怖くもなく平気で、半分以上聞き流していた。
最後に「考え直してきなさい」と言われたけど全く考え直さずに、翌日、「もうやることはやりきったので辞めます」とだけ伝えた。
幹部は呆れて笑いながら、「女の人は強いな、こんだけ言っても辞めるか」とだけ言った。
三日後、私は退職した。

・・・

なんだか本当にめちゃくちゃやったな。
本当にいろんなことが投げやりでどうでもよかった。
ただあのとき、父は私に、「死んだ子の件はどうなった?ちゃんと職場としてきちんと向き合うように訴えないとダメだ」と繰り返し言っていたんやった。
一度逃げたらこの先ずっと逃げることになる、とも。
この言葉が何度も何度も頭の中をぐるぐるとした。
けれど私は結局、その件については何もできなかった。
やろうともしなかった。
ただただ悲劇の中に一人いて、ふてくされて腐っていただけだった。
本当に何もできなかった。
何も。


…ということをふいに思い出していた。
とても遠い出来事なのに、なぜだか涙が出てきた。
でもこうして何度も思い出すことが一番の供養だと聞いたことがあるから
だからこれはこれでいいのかもしれない。

いつもは忘れているのにね。
忘れないでいるのはきっと難しいことだから。
だからここに書いておこうと。

もうすぐ満月。



長い長いひとりごとの夜。






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