手をつなぐ
日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。
ちょっとした驚きと変わらないもの
このブログ、書き出したのがかれこれ10年くらい前のことらしい。
今、昔書いたものを少し読んでみていたら静かな驚きが何度も。
こんなこと考えてたのかぁと。
自分が書いたはずなのに自分のことばにびっくりする。
少し、ここに転記してみようかなと。
2013年の夏、資格の学校に通ってた頃に記したもの。タイトルは"耳をすませば"。
「学校帰り、お京阪に飛び乗って、三十三間堂へ行った。
私の大好きな場所。
何かに行き詰ったとき、答えを探しに出かける。
細長いお堂には、千体の観音像が所せましと並び、
その前を風神、雷神などの仏像たちがずらりと並んでいる。
見事というほかない造形美。
壮観。
中央には、大きな観音様が座っている。
その前でじっと手を合わせて祈った。
一周して、外のベンチでじっと考えていた。
とりとめのない、思考の旅をしていた。
時間はあっという間に過ぎ、閉堂まであと30分となったとき、もう一度、お堂を参拝してみることにした。
受付が終了した後だけあって、さっきまでの観光客のにぎわいが嘘のように
お堂は静まり返っていた。
歩みを進めて、自分の辿ってきた右側を見ると、誰もいない。
初めて見る光景。
静かな、とても静かな。
もう何度も来たけれど、自分が一番最後なのはこれが初めてやった。
幾体もの観音像と目が合い、そのたびに全身で声を感じ取る。
何も聞こえない。でも、聞こえる。
不思議な安堵感に、ホッとする。
中央の観音様の前に立ったとき、何かとても大切なことに気付いたような気がして
ハッとした。
その感覚を確かめようと反芻するけれど、まるでその先は自分で考えなさいと言われているみたいに
力が抜けていく。
確かなものなんて何もないのだとでもいわれているような・・・。
まるであらゆる可能性を肯定されたようで、気持ちが満ちていくのがわかった。
観音様はニッコリ微笑んでいるみたいに見えた。
・・
朝陽にキラキラ光る海を想像してみる。
夜の琵琶湖の真っ黒な湖面を想像してみる。
この二つは違うようでとても似ているな、と思う。
ずっと、こんなふうに自分の世界で遊んでいた。
小さいころ、私は毎日全力でクレヨン王国の世界を想像して、
すっかりクレヨンの国の住人だった。
いつもあらぬことを一人思い描いては嬉しくなっていた。
ときどき、この感覚が今も私を救ってくれているのだと感じる。
子どものまま、大きくならない自分がいる。
足りないところばかりやけど、些細なことに喜び、悲しむ感性はそのままでありたい。」
…
"何もないところに、
木を一本、わたしは植えた。
それが世界のはじまりだった。"
グスタフ・クリムトの絵と共に流れる言葉たち。
何もないところに植えた一本の木はたった一本で
そんな儚いものが、どうやって世界をつくりだせたんやろう。
でももしそれで世界がはじまったのだとしたら、
それは希望以外の何物でもないな。
誰かと出会い、言葉を交わす。
思いを伝える。
そこから生まれる世界がある。
・・
さっき、ガラスのコップに水滴がついていて、
そのあとそこに置いた紙が濡れた。
ほんの一滴のしずくが紙を濡らす。
そして、文字をにじませる。
存在している限り、何かに影響している。
たとえば私が今涙を流したら
同じように紙を濡らし
文字をにじませるやろう。
もしももっとたくさんの涙を流したのなら
燃え盛る炎を少しばかり鎮めるのかもしれない。
たとえほんのわずかでも。
無駄なものなんて、きっと何もない。
"森の木がおおきくなると、
おおきくなったのは、
沈黙だった。
沈黙は、
森を充たす
空気のことばだ。"
・・
"次の日、きみがやってきて、
そばに、もう一本の木を植えた。
木が二本。木は林になった。
三日目、わたしたちは、
さらに、もう一本の木を植えた。
木が三本。林は森になった。"
沈黙は
世界のはじまりは 」
…
読んでみて、なんだかもう今は書けない感じのことばやなぁと。
一人きりで過ごす時間というものがほぼ無いからかな。
感受性が大きく変わったわけでは無い気がするけど、、、いや、感じ方も少し変わったかな?
今日のご飯はキノコカレー。
無水鍋でお肉と玉ねぎをしっかり炒めて、しめじ、えのき、しいたけをどっさり入れて蓋をしたら、ものの数分でお鍋の中が野菜の水分で満たされる。
カレーは冷蔵庫にある材料で手軽に作れるところがいい。
ミンチ肉にキャベツ、缶詰のひよこ豆をフライパンで炒めてドライカレーにしたり、サバ缶を使ってみたり。パプリカやオクラ、インゲン、トマトと夏野菜をどさっと使ったチキンカレーは夏の定番。冬は白菜なんかも使ってみたら子どもの好きな優しい味のカレーになる。
味付けはカレールーを使うこともあるし、カレー粉にコリアンダー、クミンなどのスパイスを少しずつ混ぜこんで作る日もある。
隠し味にしょうゆや味噌を足してみても美味しい。
今は生活の中のちょっとしたことが楽しかったりおもしろかったり、たまに悲しかったりギョッとしたり…やっぱりおもしろかったり。
ちなみに三十三間堂は変わらず大好きで、これはたぶんこれからも変わらないと思う。
今、昔書いたものを少し読んでみていたら静かな驚きが何度も。
こんなこと考えてたのかぁと。
自分が書いたはずなのに自分のことばにびっくりする。
少し、ここに転記してみようかなと。
2013年の夏、資格の学校に通ってた頃に記したもの。タイトルは"耳をすませば"。
「学校帰り、お京阪に飛び乗って、三十三間堂へ行った。
私の大好きな場所。
何かに行き詰ったとき、答えを探しに出かける。
細長いお堂には、千体の観音像が所せましと並び、
その前を風神、雷神などの仏像たちがずらりと並んでいる。
見事というほかない造形美。
壮観。
中央には、大きな観音様が座っている。
その前でじっと手を合わせて祈った。
一周して、外のベンチでじっと考えていた。
とりとめのない、思考の旅をしていた。
時間はあっという間に過ぎ、閉堂まであと30分となったとき、もう一度、お堂を参拝してみることにした。
受付が終了した後だけあって、さっきまでの観光客のにぎわいが嘘のように
お堂は静まり返っていた。
歩みを進めて、自分の辿ってきた右側を見ると、誰もいない。
初めて見る光景。
静かな、とても静かな。
もう何度も来たけれど、自分が一番最後なのはこれが初めてやった。
幾体もの観音像と目が合い、そのたびに全身で声を感じ取る。
何も聞こえない。でも、聞こえる。
不思議な安堵感に、ホッとする。
中央の観音様の前に立ったとき、何かとても大切なことに気付いたような気がして
ハッとした。
その感覚を確かめようと反芻するけれど、まるでその先は自分で考えなさいと言われているみたいに
力が抜けていく。
確かなものなんて何もないのだとでもいわれているような・・・。
まるであらゆる可能性を肯定されたようで、気持ちが満ちていくのがわかった。
観音様はニッコリ微笑んでいるみたいに見えた。
・・
朝陽にキラキラ光る海を想像してみる。
夜の琵琶湖の真っ黒な湖面を想像してみる。
この二つは違うようでとても似ているな、と思う。
ずっと、こんなふうに自分の世界で遊んでいた。
小さいころ、私は毎日全力でクレヨン王国の世界を想像して、
すっかりクレヨンの国の住人だった。
いつもあらぬことを一人思い描いては嬉しくなっていた。
ときどき、この感覚が今も私を救ってくれているのだと感じる。
子どものまま、大きくならない自分がいる。
足りないところばかりやけど、些細なことに喜び、悲しむ感性はそのままでありたい。」
…
2013年のまた別の日に書いたもので、"沈黙は"というタイトルのもの、以下。
「長田弘という詩人の詩で『人生は森のなかの一日』というのがあって。
こうやって始まる。「長田弘という詩人の詩で『人生は森のなかの一日』というのがあって。
"何もないところに、
木を一本、わたしは植えた。
それが世界のはじまりだった。"
グスタフ・クリムトの絵と共に流れる言葉たち。
何もないところに植えた一本の木はたった一本で
そんな儚いものが、どうやって世界をつくりだせたんやろう。
でももしそれで世界がはじまったのだとしたら、
それは希望以外の何物でもないな。
誰かと出会い、言葉を交わす。
思いを伝える。
そこから生まれる世界がある。
・・
さっき、ガラスのコップに水滴がついていて、
そのあとそこに置いた紙が濡れた。
ほんの一滴のしずくが紙を濡らす。
そして、文字をにじませる。
存在している限り、何かに影響している。
たとえば私が今涙を流したら
同じように紙を濡らし
文字をにじませるやろう。
もしももっとたくさんの涙を流したのなら
燃え盛る炎を少しばかり鎮めるのかもしれない。
たとえほんのわずかでも。
無駄なものなんて、きっと何もない。
"森の木がおおきくなると、
おおきくなったのは、
沈黙だった。
沈黙は、
森を充たす
空気のことばだ。"
・・
"次の日、きみがやってきて、
そばに、もう一本の木を植えた。
木が二本。木は林になった。
三日目、わたしたちは、
さらに、もう一本の木を植えた。
木が三本。林は森になった。"
沈黙は
世界のはじまりは 」
…
読んでみて、なんだかもう今は書けない感じのことばやなぁと。
一人きりで過ごす時間というものがほぼ無いからかな。
感受性が大きく変わったわけでは無い気がするけど、、、いや、感じ方も少し変わったかな?
今日のご飯はキノコカレー。
無水鍋でお肉と玉ねぎをしっかり炒めて、しめじ、えのき、しいたけをどっさり入れて蓋をしたら、ものの数分でお鍋の中が野菜の水分で満たされる。
カレーは冷蔵庫にある材料で手軽に作れるところがいい。
ミンチ肉にキャベツ、缶詰のひよこ豆をフライパンで炒めてドライカレーにしたり、サバ缶を使ってみたり。パプリカやオクラ、インゲン、トマトと夏野菜をどさっと使ったチキンカレーは夏の定番。冬は白菜なんかも使ってみたら子どもの好きな優しい味のカレーになる。
味付けはカレールーを使うこともあるし、カレー粉にコリアンダー、クミンなどのスパイスを少しずつ混ぜこんで作る日もある。
隠し味にしょうゆや味噌を足してみても美味しい。
今は生活の中のちょっとしたことが楽しかったりおもしろかったり、たまに悲しかったりギョッとしたり…やっぱりおもしろかったり。
ちなみに三十三間堂は変わらず大好きで、これはたぶんこれからも変わらないと思う。
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