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手をつなぐ

日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。

停滞か、前進か、これでいいのか

自分が過去に書いたことは大抵忘れてしまっている。
ときどき、この忘却力をなんとかしたいと思うけど、それがあるから助かっているところもあるので何とも言えない。
ふいに、5年前の今頃に書いた文を読んだ。
このときのことを忘れてしまっている。
どういう時期やったのか、何に悩んでいたのか。
けど、読んでみて苦笑い。
今もこのときも本質的には変わってない気がして、私。
人間そう簡単には変わらないものなのかも…。
うぅー…
いや、でも、少しは前進?変化?したと思いたい…(切に。)

このときより刹那的な気持ちだけはすこーし緩和した?
丸くなった?
なんか、誰かに大丈夫って言ってもらいたい気分。(タイトルがそれを反映。笑)
 

以下、5年前の私が思っていたこと。
  

・・・
  
疲れたときに癒してくれる音楽がある。
こうして言葉を書くことで整理される気持ちもある。
書いては消して、壮大な文字の塊ができあがったのを見た瞬間、
満足して全部消す。
そんな日もある。

ときどき、日々が音楽みたいならいいのにと思うことがある。
もしくはアマデウスの映画みたいならいいのにって。
生活の雑多なこと、ごちゃごちゃした負の感情も
全部音楽になってしまえばいいと。
モーツァルトのように、日々の苦しみも、喜びも、すべては音楽に。
そんなふうならいいのにって、そう思う。

私は人の悪口が好きじゃない。
それを自分が言うのも、誰かが言うのも好きじゃない。
誰かが誰かを嫌いになる瞬間を目撃するのも好きじゃない。
みんないいところがある。
ひどいことをされた。でも、
そんなつもりでしたことじゃないかもしれないよって、そう思う。
でも自分も言ってしまうことがある。
あんな人大嫌いやって。
許されへんって。
そんなときは決まって、後から嫌な気持ちになる。
言ってるときの数倍落ち込む。
なら言わなければいいのにって思うのに、
そうもできない弱さがある。
でも弱いままでいいとも思っている。
つまり結局、苦しみからは逃れられないということ。
幸せな瞬間があれば苦しいときもある。
だからせめてそれが全部音楽になればいいのにと思う。
もしくは音楽のような言葉に。
何の無駄もない、生きてることそのものみたいな言葉に。

マグカップを手の平にぎゅっと抱え込んで
中に入れたお茶の温かさを確かめてみる。
もう4分の1も残っていないけど、その温もりはたしかだ。
口に含んでみたら生ぬるい。
この安堵感、信じたい。

優しい音楽が聴きたいな。
生ぬるくていいから安心させてほしい。
ただそれだけ。
 
・・・


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