手をつなぐ
日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。
響く
- 2016/10/26 (Wed)
- 好きな音楽 |
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2008年のことを少し思い出していた。
あの頃。
私はとても元気が無くて、毎日朝の来るのが苦痛でしょうがなかった。
淀んだ空気が常にまとわりついて、綺麗な空気を吸おうもんなら過呼吸になるみたいな。
気づいたら涙がこぼれていたりもして。
高木さんが2008年にしたというコンサートの映像を観て、このコンサートを当時の私がリアルタイムで目撃していたらすごく良かった気がした。
正直、最初観たとき、ザワッと…ちょっとした恐怖を感じた。
ちょっとした?いや、かなり。
怖い、と思った。
なんやろう。響くものが大きすぎたときに感じる恐ろしさというか。
ものすごく響くのでびっくりした。
これを当時の私が聴いて目撃していたら、きっとどっぷり浸かってハマリこんでいたに違いない。
高木さんの音源、全部聴いたやろうな。
あと、神話も調べて、民族音楽とかもどんどん聴いてってかなりやってたと思われる。
私、そういうことしちゃうので。笑
抑えられない衝動というか。
音楽って癒しである一方で特定のものにハマりこむことには恐さも同時にある気がする。
それが創作曲であるとき、特に。
その音楽を好き!!ってなったら、音楽を創り出すその人のことも好き!!ってなって、
でもその人と自分は直接出会っているわけではないから、音楽を介した虚像がどんどん膨らんでいく。
その虚像は自分の理想とする何かをふんだんに含んだ姿だから、あるとき自分の作り上げたイメージにそぐわない何か、許容できない何かが生じてきたときに、ふいにパリン!と壊れてしまったりする。
そうなってしまったら、それほど大事だった音楽を聴くことに今度は痛みが伴うようになる。
酷いときには聴けなくなってしまう。
…と、思う。
でもたぶん、高木さんの場合は大丈夫。
高木さんの音楽って、ご本人の内的世界の反映って感じがあんまりしないというか。
自分を知ってほしいみたいなのがあまり感じられない。
むしろそういうのほとんど無い気がする。
音楽の方が高木さんを引っ張っている感じというか。
この感覚は内田光子さんのモーツァルトを聴いてるときの感じに似ている。
いい意味で、少し音楽とご本人の間に距離があるというか。
距離?…いや、一体やな。うーん…何といえばいいのか。
脚色がない、という方が正しいのかな。
内田光子さんもやけど、あの方の場合、モーツァルトの音楽が身体に憑依しているみたいな印象を受けるんやけど、高木さんも、高木さんに降りてきた音楽が憑依しているみたいな感じがする。
何やらエラそうに色々書いてしまっているけど、
私は楽器やってるけど、音楽のことそんな知らないです。
すいません。
ただ、感覚的にそう感じるという話。
心が動いたので書いてしまった。
・・
Tai Rei Tei Rioコンサートの音楽、繰り返し聴いてたら段々気持ち良くなってきた。
これはきっと救済の音楽やなぁ。
今はもう安心して浸れる。
委ねて大丈夫な音楽。
唯一無二の本当に綺麗で美しい音。
ただ感じるだけでいい音楽。
当時の私に聴かせてあげたいわ。
(そしてこのDVDを入手してほしい!)
高木正勝 Takagi Masakatsu - 'Tai Rei Tei Rio' 2008
https://www.youtube.com/watch?v=qa8VX0uXfjA
あの頃。
私はとても元気が無くて、毎日朝の来るのが苦痛でしょうがなかった。
淀んだ空気が常にまとわりついて、綺麗な空気を吸おうもんなら過呼吸になるみたいな。
気づいたら涙がこぼれていたりもして。
高木さんが2008年にしたというコンサートの映像を観て、このコンサートを当時の私がリアルタイムで目撃していたらすごく良かった気がした。
正直、最初観たとき、ザワッと…ちょっとした恐怖を感じた。
ちょっとした?いや、かなり。
怖い、と思った。
なんやろう。響くものが大きすぎたときに感じる恐ろしさというか。
ものすごく響くのでびっくりした。
これを当時の私が聴いて目撃していたら、きっとどっぷり浸かってハマリこんでいたに違いない。
高木さんの音源、全部聴いたやろうな。
あと、神話も調べて、民族音楽とかもどんどん聴いてってかなりやってたと思われる。
私、そういうことしちゃうので。笑
抑えられない衝動というか。
音楽って癒しである一方で特定のものにハマりこむことには恐さも同時にある気がする。
それが創作曲であるとき、特に。
その音楽を好き!!ってなったら、音楽を創り出すその人のことも好き!!ってなって、
でもその人と自分は直接出会っているわけではないから、音楽を介した虚像がどんどん膨らんでいく。
その虚像は自分の理想とする何かをふんだんに含んだ姿だから、あるとき自分の作り上げたイメージにそぐわない何か、許容できない何かが生じてきたときに、ふいにパリン!と壊れてしまったりする。
そうなってしまったら、それほど大事だった音楽を聴くことに今度は痛みが伴うようになる。
酷いときには聴けなくなってしまう。
…と、思う。
でもたぶん、高木さんの場合は大丈夫。
高木さんの音楽って、ご本人の内的世界の反映って感じがあんまりしないというか。
自分を知ってほしいみたいなのがあまり感じられない。
むしろそういうのほとんど無い気がする。
音楽の方が高木さんを引っ張っている感じというか。
この感覚は内田光子さんのモーツァルトを聴いてるときの感じに似ている。
いい意味で、少し音楽とご本人の間に距離があるというか。
距離?…いや、一体やな。うーん…何といえばいいのか。
脚色がない、という方が正しいのかな。
内田光子さんもやけど、あの方の場合、モーツァルトの音楽が身体に憑依しているみたいな印象を受けるんやけど、高木さんも、高木さんに降りてきた音楽が憑依しているみたいな感じがする。
何やらエラそうに色々書いてしまっているけど、
私は楽器やってるけど、音楽のことそんな知らないです。
すいません。
ただ、感覚的にそう感じるという話。
心が動いたので書いてしまった。
・・
Tai Rei Tei Rioコンサートの音楽、繰り返し聴いてたら段々気持ち良くなってきた。
これはきっと救済の音楽やなぁ。
今はもう安心して浸れる。
委ねて大丈夫な音楽。
唯一無二の本当に綺麗で美しい音。
ただ感じるだけでいい音楽。
当時の私に聴かせてあげたいわ。
(そしてこのDVDを入手してほしい!)
高木正勝 Takagi Masakatsu - 'Tai Rei Tei Rio' 2008
https://www.youtube.com/watch?v=qa8VX0uXfjA
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