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手をつなぐ

日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。

少しのこと

娘の、寝入りそうでなかなか寝ないとき、というのがあって。
その瞬間がとても好きだ。
夜、娘を寝かしつけるとき、私は抱っこでゆらゆらしたりしない。
添い乳(寝ながら授乳すること)も数えられる程しかしたことがない。
ほとんど添い寝だ。
消灯し、シンとした中で娘の布団のそばに並んで横になり眼を閉じる。
娘があーあーと声を出したらすかさず娘の額に顔を引っ付けてお腹をさすり、「おるよ、おるよ」と言う。
娘の顔がパァっと明るくなって思わず笑ってしまう。
その後、娘が声を出したらそれに応えてしばらくお話をしたりする。
あーうー、「あーうー」
うーうー、「うーうー」
娘が笑う、私も笑う。
少しして、また側で横になり眼を閉じる。
薄眼を開けて隣を伺うと、娘がまどろみつつある。
まどろみながら眠くて仕方がない声で、あーあーと私を呼ぶ。
再び娘の額に顔を引っ付けて、お腹をさする。
娘が眼を閉じたまま微笑む、私も微笑む。
こんなのを大体三回くらいしたらスイッとあるとき寝てしまう。
時間にして30分くらいかな。
途中、眠いのに必死に瞼を開けようとする様が可愛くて、もうねんねせんでもええよ、と言ったりもする。
それでも最後は寝てしまう。
寝かしつけるときはいつもとても幸福で少しばかり切ない。

毎日、この子はどんな子で、今何を思っているのかを考えるのが楽しい。
おもしろい。
子どもといると、何かをしなくてはという焦燥感みたいなのがなくなっている気がする。
必要な日々の営みというのはもちろんあるんやけど、今はそれを抜きにしたら、娘の側で時間を過ごしていること以上に有意義な時の流れはないのではとすら感じる。
この子の中に閃きがあって、考察があって、不思議が山盛り詰まっている。
目が離せないとはこのことだと思う。

人間はたった70年から90年くらいしか生きなくて、宇宙の時間軸から考えたら一人の人間の生きる時間なんてあって無いようなもの。
20年で死んでも80年で死んでもきっと大差が無いのだ。
そのわずかなときをどういきるかということを最近また考えている。

毎日が少しずつ幸せであるように。
季節の美味しいものを少しずつ、肌に合った気持ちのいい服を少しずつ、過ごしやすい部屋で少しずつ。
昨日は丹波の黒枝豆を食べた。
枝付きのものが手に入ったのでハサミでちょきんちょきんとして良い塩梅で茹で上げて。
シシャモを焼き、小松菜と人参のお味噌汁に、下味をつけておいた鶏肉をカラッと揚げた。
水菜とトマトを切り自家製リンゴドレッシングを掛けたら、思いの外、食卓が賑やかになった。
夫がおかわりをして私もおかわりをした。
余ったおかずは今日のお弁当に。

最近、ベランダで小さなプランター菜園を始めようかと思っている。

少しずつ、少しずつ。



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