手をつなぐ
日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。
不安への処方箋
「不安なのはわかる。でもその不安を覗き込んではダメよ」
かつて言われたことば。
自分は今不安なんだな、と素直な感情に向き合うことはとても大切。
でもその不安の渦に飲みこまれてはいけない。
抜け出すのが難しくなってしまうから。
不安は不安で置いておく。
不安と共存、静観。
…
不安を覗き込まないために思いついたことをしてみた。
楽器を弾く、散歩、おにぎりを食べる、ソリティア、楽しい動画を見る…
おにぎりは天かすと青ネギをめんつゆで味付けてご飯を混ぜて握る。
三角なような丸いような…。
料理をしてる時は無心になれる。
お腹いっぱいになると少し落ち着くし。
ソリティアも久しぶりにやってみた。
昔よくやっていた、ザ・現実逃避ツール。
数年ぶりかな?
相変わらず延々とできる。
かつては気づけば1万回くらいやってて、何を極めようとしてんの⁈と言われてやめた。
不毛。
不安は覗き込まないで済むけど不毛の渦にはどっぷりハマる。
それとも不安よりは不毛のがまだマシかな?
楽しい動画は確実に笑えるものを選んで見てみた。
昔話をもとにしたお芝居の動画。
笑った。
笑ったら少しスッキリして、うすく前向きな気持ちに。
笑いの力って偉大やな。
そして笑える自分に少し安堵。
…
今実は本当にちょっと困った状況にあるのだけど…
とにかく。
不安でもなんでも明日は来るはずだから
どうしたらいいか、何をすべきか考えてみる。
頭の中を整理して、この状況にも意味があるはずだと…前向きに。
焦らずできることを一つずつ。
それしかないなぁ…
と、思っている。
悩んで、笑って、楽しんで、
また悩んで
笑って
なんでもないことを面白がって、慈しんで
不安を覗き込まないために
バスキアの映画のこと
- 2020/04/21 (Tue)
- 映画 |
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今のコロナの波でこういう小さな映画館の今後がどうなってしまうかと勝手ながら少し心配している。
なにかの足しになるとも思えないけど…ただ、こういう映画を観る機会がもしも無くなるなんてことがあったらそれはとても悲しいことなので。(そうならないと祈ってるけど)
「'88年に27歳の若さで他界し、今年が生誕50周年にあたる画家ジャン=ミシェル・バスキアにまつわるドキュメンタリー。バスキアの友人だったタムラ・デイヴィス監督が20年以上も封印していた未公開インタビュー映像と、彼を支えた友人たちへの取材映像で構成。80年代のアート・シーンを駆け抜けた伝説的な芸術家の素顔を明らかにしていく。(中略)
まだ10代後半だった70年代のNYで、スプレー・ペインティングによる落書きからアーティストとしてのキャリアをスタートさせたバスキア。時代の寵児として脚光を浴びる一方、人種差別に苦しんでいた彼の光と影が、貴重なインタビューで浮き彫りになる。」
…
バスキアは、若き黒人の画家。
彼の絵はいつも黒人であるということと一緒に評価の対象になってきた。
彼はそのことを強烈に意識しながら、そういう社会の理不尽に抗うかのような反逆的作品を残した。
一方で、かの有名な“白人”の巨匠、アンディ・ウォーホルに寄り添い、合作を作ったりもした。
社会への苛立ちと、成功への渇望と。
彼は人種差別に苦しんだというよりは、自身の相反する感情の板挟みに苦しんだのだと思う。
差別には抵抗したい、でも、成功したい。
どうしても、成功したい。
認められたい。
彼は”実力”で画壇に認められようと、短い画家人生で2000点を超える作品を残した。
その結果、彼は”成功”した。
生前、いわゆる権威ある画壇で認められることはついぞ叶わなかったものの、若い彼には手に負えないほどのお金と名声を手にした。
そしてそれは実際、彼の手には負えなかった。
その代償として、かつての仲間は彼の周りから去り、彼は孤独になった。
アンディが死に、最愛の父からも冷たくあしらわれ、行き詰った末に手にしたのはドラッグ。
ヘロインに溺れた彼は、一人ひっそりと、27歳の若さで死んだ。
もし今も生きてたとしたら50歳なのだそうだ。
なんとも切ない映画だった。
バスキアはものすごくモテたのだという。
食っていけない時代の彼を、たくさんの女たちが救った。
そしてたくさんの女が泣いたのだと。
実際、フィルムから映し出される彼はなんとも言えない魅力に溢れていた。
少年のような曇りのない瞳。
はにかむように笑い、ふいに歯がのぞく瞬間のあどけなさ。
そこには作為的なものが一切感じられなくて、同時に何とも儚い。
ずっと手をつないでおかないと、どこかに消えてなくなりそうで不安になるような、
そんな危うい魅力。
・・
元町の映画館を出て、帰り道。
一緒に観に行ったみどりんと人通りの少ない元町商店街を歩きながら、ポツポツと映画の感想を話した。
お金と名声、そして孤独。
常に隣り合わせのものたち。
孤独の淵で死んでいったバスキア。
映画には、駆け出しの時代のバスキアを経済的にも精神的にも支え続けてきた女性が出てくる。
バスキアは金と名声を手にした後、彼女を捨てた。
「あの女の人をずっと大事にしてたら、今もバスキア、生きてたかな」。
そうつぶやいたら、みどりんは、「生きてたんじゃない?」と言った。
あり得ない話やけど、あり得たかも。
映画を観る限り、彼女は間違いなく、彼の最大の理解者だった。
彼女はまるで、母親が自分の子どものことを語るかのように彼のことを語った。
彼女が彼に向けていた眼差しはきっと、いつも温かく、とても信頼できるものやったんやろう。
なんとなくそんな気がした。
・・
何が大事で何を死守すべきか。
バスキアにとっては、それがいつも、どこまでも”自分”だったのかな。
そう思うと、彼の心の孤独に、私は少しゾッとする。
美しく魅力的なバスキア。
天才画家、バスキア。
孤独な・・・
孤独な、バスキア。
今も少し胸が痛む。
そんな映画。
宵っ張り
でもたぶん5月からは働いているはず…
一応、コロナ最前戦…。
大丈夫かな?まぁ…大丈夫でしょぅ。笑
…
こんなときなので、色々元気の出そうなものを見たり聴いたりしてみている。
いくつかお気に入りがあって…
今は特に、ホッと優しい気持ちになれたり、なんとなく笑えたり和むものに惹かれる。
でもふいにちょっとなんか突き抜けたものに触れたくなって、でも刹那的な感じじゃなくて…と思っていたら、ジョンレノンとオノヨーコのあれこれに行き着いた。
ジョンとヨーコ、間違いなく突き抜けてる。笑
私、ジョンレノンのアルバムはThe Very Best Of John Lennonや、ジョンの魂とかすごく好きで何回も聴いたけど、これらソロ以降の創作にあたってヨーコさんがこれほどまでに深く関わってるとはわかってなくて。
いや、これまでも知らなかったわけではなく、womanとかstarting overとかの映像にヨーコさん出てくるし、もちろん関わってたのは知ってたけど、あくまでジョンがいてそれを支えるヨーコさんと思ってたのが、むしろ"ヨーコさんがいてジョンもいた"なんやなぁと。
ジョンレノンが天才だったのは間違いないとしても、単に影響を与えたでは済まないレベルでヨーコさんの意識や志向がジョンの作品には投影されてるんやね。
有名かもしれないけど、延々と二人で叫んだり呻いたりしてる曲(正確にはほかの音も入ってるけど)があって、そのジャケット写真は二人して全裸!一糸纏わぬ!
なんでこうなったー⁈って戸惑うほどに本当に突き抜けてる…。(少なくとも私は初めて見たとき戸惑った。笑)
でもここまでやれちゃうのがすごいし、自分が良いと信じたものはそれが誰かを悲しませたり傷つけるものでなければ何であれ貫いていいと改めて気づかせてくれるというか。
仮にそれが後世で駄作だとか言われたとしても。
そんなの関係ねぇ!的な。(そういえばこの人もほぼ裸やったね。笑)
でも正直、作品としては…
さっき書いたことと矛盾するかもやけど、こちらが置いてけぼりになるくらい突き抜けたものよりも、ホワッと寄り添ってくれるものがいいなとは思う。今は。
大衆意識に迎合してオリジナリティを封印するのではなく、あくまで"寄り添う"。
心細さを和らげてくれて気持ちの余白を作ってくれるような。
特に今はそういうのを欲してる人、多い気がするな。
ジョンレノンの作品はそのどちらもあって、それがまたすごいけど。
何はともあれ、私はもう少しのびのび楽しい気持ちでやっていこうと思います。
こう思える今はジョンとヨーコに感謝。
(てかその前に夜更かし癖をやめないとね)
とても好きな曲の一つ
(just like)starting over
https://youtu.be/GGl8tHar-Ko
大きな木のように
気軽に出歩くことを躊躇するこの頃だけど、身体を全く動かさないとストレスがたまるしむしろ不健康かなとも思い…。
子どもたちを連れて、人通りの少ない開けた道を通っての散歩だけはとりあえずの日課。
その途中にあるクスノキ。
大きな木を見てホッとするのは、その木が自分よりもはるか昔を見てきてここにあると信じられるからかな。
太い分厚い幹に、枝に、ザラザラとした木肌。
去年やおととしの酷い台風でも、繰り返し起こる地震にも倒れなかったのだ。
木肌に手のひらをそっとあてて、どうかこのままでいてくださいと祈った。
変わらないものはないけれど、できるだけ元気でありますように。
私も、あなたも。