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手をつなぐ

日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。

カテゴリー「私のこと」の記事一覧

笑い話。

来春、歳の近い方の妹が結婚する。
今日は妹の旦那になる人とうちの家族とで食事をした。
食事をしながらいろんな話題が飛び出した。
私や妹の幼少時代の懐かしい話なんかも。

・・
 
幼少時代から今もやけど、
うちの父は一年の半分は国内外を飛び回っている。
超多忙人間。ほとんど家にいない。
母は父不在の間、それはそれは苦労しながら家を守り私たち3人を育て・・・
と言いたいところやけど、
そんなことは断じてない。
むしろあれだけ自由奔放に生きている人はいないというくらい
恐ろしく適当で自分勝手で・・・
なんというか、感情の赴くままに生きている。
それがうちの母だ。
(ある意味、憧れの生き方でもある。)

母の口癖は「私は私の人生、あんたはあんたの人生」。
自分用のアロエヨーグルトを子どもに食べられようもんなら
「誰っ!?私のアロエヨーグルト食べたんっっ」と本気で激怒し、
2時間ドラマの誰かが死ぬ場面では必ず号泣、
かと思えばその直後のお笑い番組の芸人のネタで抱腹絶倒・・・。
  
・・とまぁ、母がそんな感じだったこともあり、
私は幼少時代、全然泣かない子どもだった。
痛くてもしんどくても悲しくても絶対泣かなかった。
弱音も吐かなかったし、
わがままもほとんど言った覚えがない。
振り返ってみて、私はたぶんあのときが一番頑張っていた。
妹たちの手前、過剰なまでにしっかりしなくてはと
思っていたのかな。
自分のことは自分で責任取るんだ私は、みたいな。
そんな子どもらしからぬ子ども。
かわいくない子どもやった。笑
 
そんな私の当時の楽しみと言えば、
本を読むこととテレビ。
テレビは大相撲と高校野球がとりわけ好きで、
小学校高学年の頃、大相撲は番付表を覚えるくらいにハマっていたし、
高校野球は夏休みの一番の楽しみやった。
そしてこれだけは母や妹たちに絶対邪魔させないぞ!とも思っていた。
自分の世界。
自分の楽しみ。
これくらいいいじゃないか、と。
 

でも、そんな私のささやかな楽しみがある日突然奪われた。


夏休みのある日、テレビの見過ぎを注意する父に妹が逆らい、
怒った父は、あろうことかテレビの電源コードをハサミで切ってしまった。
ブチっと。一思いに。
そして父はテレビを改造。
父でなければテレビの電源をつけられなくしてしまった。
しかも非情なことに、その翌日、父は国外出張に旅立った。
出張は1ヶ月の予定で、
つまりは早くても1ヶ月先までテレビ無しの生活ということになった。
 
私の世界からテレビが消えた瞬間。
もちろん、大好きな高校野球も大相撲も観れない。
あのとき、私は10歳そこそこにして
人生の底辺を味わったような気がした。
 
 
でもそこで諦めきれない私は
なんとか自分でテレビを直せないか試みた。
ああでもない、こうでもないと3日3晩テレビと格闘。
そして忘れもしない4日目の朝、
私は導線と導線とをつないでテレビをつけることに成功した。
テレビがついた瞬間のあの喜びと感動・・!
 
 
そして、その日の夜。
「テレビついたやん!!」と喜び舞い上がった母は
「どうやってやったん?」といつもは見せない好奇心を見せ、
導線の配置を変な具合に動かした。
グイグイっと。
そして次の瞬間、
ドンッ!!
不穏な音。
 


テレビ爆発。


 
シーーーーーン。


あのときの沈黙の長さ。
口をあんぐり開けて茫然とする妹たちの姿も
なぜか半笑いを浮かべた母の顔も
すべてがスローモーションの再生映像みたいに見えた。


・・

 
気づけば私、泣いていた。
もう、声を上げてわんわん泣いた。
号泣。大号泣。
こんなことがあっていいものかと。
こんな理不尽なことがあっていいものかと。


人生の底辺の底辺の底辺を味わった瞬間。
本当に。
その日の日記が残ってるんやけど、
「今日テレビが壊れた。もう死ぬしかない」って書いてあるもん、私。w
 
 
・・

とまぁ、そんな話で今日は笑った。
父と母と妹と妹の旦那さんと。
みんなでお腹抱えて笑った。
みんながそれぞれおかしくて、それぞれのおかしさに笑った。


人生の底辺も通り過ぎればただの笑い話になったりするんやね。


生きるっておもしろい☆


 

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オタク的な。

調べ癖、というのがある。私には。

昔からやけど色んなことが気に掛かりそのことを調べてしまう。
大体夜の11時頃から始まり、
気づけば夜中の2時くらいになっていたりする。
時々、眠いのに気になりすぎて寝れないという事態が起こる。
続々と芋づる式に知りたいことが出てきて
そのことを今すぐ知りたくてどうしようもなくなる。
でもそのうち、眠気と好奇心とのせめぎ合いが起こり、
最終的には眠気に敗北するんやけども。
その瞬間はいつも悔しい。

そんなにまでなって 
一体何を調べているのかという疑問が沸きそうやけど
大体、人物に関することが多い。
私は人がすごく気になる。
人が自分をどう見てるのかが気になるのではなく、
“人”という存在自体が気になる。
その人が何に興味があり何をしていて何を思っているのか。
 
もちろん、すべての人のことが気になるわけではない。
私の“知りたいアンテナ”に引っ掛かる人というのがいて。
それは現存する人である場合もあるし、
歴史上の人物である場合もある。
 
どういうふうに調べるかやけど、
まず、ネットで関連したページがないかどんどん閲覧していく。
そしてその過程で引っ掛かったキーワードを
またどんどん調べていく。
この辺りは本当に脇目もふらずやる。
その人が愛聴していた音楽があればそれをyou tubeで聴き、
愛読していたとされる本があればそれを読み
(もちろんその作家のことも調べる)、
親交があったとされる人物のことも同様に調べる。
そしてその過程で更に心惹かれたら、
その人が生きた時代の映像や写真を見たり(文献を読んだり)、
ゆかりのある土地を訪ねたりもする。
延々と何日もやるときもあるし、
何ヶ月も何年も掛けて追い続けるケースもまれにある。

ちなみにこの癖は完全に父譲りだ。
父は同じように気になりだしたら止まらない人間で、
地震が起きたら確実に即死するであろう量の本を自室に所蔵し、
いち早く必要な情報を入手するためにネットワークは
常に最新のものに整備されている。
(父のPCの回線スピードはやたらと速い。)
世の中に携帯が出回る遥か前から携帯電話を所持しており、
Windows95は発売されたその年に導入された。
 
私は眠っていたはずの父が夜中に突如起き出し
書斎に飛び込んでは猛烈に何か調べだすのを何度も目撃しているし、
幼少時代から父に連れて行かれた場所といえば
電気やさんか図書館が真っ先に思い浮かぶ。
 
学者はオタクと同義だとどこぞで聞いたことがあるけれど
うちの父は完全なるオタクだ。
そしてその娘の私もたぶん、オタクだ。
ちなみにうちの母と妹たちは父と私のこういうところを
非常に冷めた目で見守っている。 

去年の秋頃か、あがた森魚というシンガーのことが気になり出して
この人のドキュメンタリー映画を一人で観に行った。
このことを妹に話したら
「ねーちゃん・・・そのことは絶対誰にも言ったらあかん」と
真顔で注意された。
以前、友人の結婚式に行く際、
妹に髪の毛をセットしてもらったときも
「今日は絶対にあがた森魚と宇宙の話だけはしたらあかんで!」と
深刻な顔で言われた。
ついでに母からは
「あんたは喋ったらそこで何かが終わるねん」と。
 

・・どう考えても言われすぎだ。
 
 
 
ちなみに、うちの父は私がこれまで見てきた男の人の中で
断トツに突出した変人なので
時たま、私ももしかしたら変人なのではないかという不安に襲われる。
オタクと変人は同義ではないと認識しているのだけれど、
これって正しいよね?
まぁでも・・・気にしない。
 


今日はPC消してもう寝よう。

なんとなく・・・。


  

波2

目が覚めてしまったので再び。

ときどき、「波」の日記のようなことを言ったり書いたりすると
優しい人たちからとても心配される。
でも私からするとそれって逆で。
落ち込んだりしたときほど暗い音楽を聴いたり
暗い言葉に埋もれたりする。
その方が心が落ち着くしマシになる。(と思っている。)
 
今日はJohn Fruscianteを聴いていた。
某アーティストがこの人の“Before The Beginning”という曲を
非常に宇宙的だと言っていて、
実際聴いたら本当にそうですごく好きになった。
部屋の電気を落として聴いていると自分が何か大きなものに
そっと包まれているような感覚になる。

・・

「波」の続き。
 
とある人との関わりの中で最近色々あった。
約8ヶ月ほどほぼ毎日交流があった人。
その人は私の暗黒時代を間接的に、いや、ある意味で
何よりも直接的に支えてくれた人だった。
本当に助けてもらったと思っている。
だから当然ものすごく信じていたし大好きだった。
 
でも今はもう何の関わりもない。
 
私はこの8ヶ月、その人との関わりの中で合計30回は
頭がおかしくなりそうになり、
そのたびに踏ん張って持ち直してきた。
信じたいという思いがその選択を後押しした。
助けられたという事実がそれを支持した。

その結果、これ以上やると本気で危ないところまでいってしまった。
8ヶ月間。結構頑張ったと思う。
自分の取り柄は根性と忍耐力だ。
 
・・

心が揺らぎそうになったときはいつも、
自分が今どこにいるのかを考える。
そしてそれはなぜなのか。
それをひたすら納得するまで分析する。
そうすることで自分を見失わずにいられる。大抵の場合は。

でもそれがうまくいかないときもたまにある。
今回のことでわかったこと。
私は好きなものに対して、とことんハマりこんでしまいがちだ。
なんというか、心酔してしまう。
恋人や友人やそういうのに対してではなく、
たぶんもっと抽象的な、私の感性にずごんとハマってくるもの。
たまにそういうのが現れ、
その物との間の距離感が薄紙一枚も入らないくらいに狭くなってしまう。
どうもそういう傾向がある。
今回の件もこの距離感の喪失によるところが大きい。

だから今、こうして何かものを定期的に書くというのは
すごくいい気がしている。
私自身がつたないながらも何か表現することで
適切な距離感を見失うことが減るのではないかという期待がある。 
 
・・なんか今、
言ってることの半分も伝わらないような気がしていますが。


まぁいっか☆

(もしわからなくてでもどうしても理解したいという奇特な方が
万が一いらっしゃれば連絡ください。笑)

とりあえずそんな感じです。



なんか今、すごく健やか。

音楽聴きながら寝よう。
John Frucianteは聴かない。
Annett Louisanを。
私の大好きなドイツ人シンガー。


Annett Louisan - "Das Alles wär nie passiert"
http://www.youtube.com/watch?v=QXs3GzsDb2U
 

 

  1b870b46.jpeg









  北海道行きたい!!



 ・・この写真、パリやけどね。w















暗黒時代というのがある。
たぶんどんな人にだって多かれ少なかれある。(と思う。)
私はそれが2007年の夏から2009年の春まであった。
 
もはやあまり詳細な記憶がないけれど、
とにかく落ち込んでいた。
落ち込んでいたとしか言いようがない。
それまでの価値観がパーーン!と弾け飛んでしまった。
それまでの経験なんかはまったく役に立たなかった。
 
もちろん、暗黒に沈むのにはそのきっかけとなる出来事があった。
でもそれは「きっかけ」であって「原因」ではなかった。
その出来事によって私は
もしかしたら自分の中に
ものすごく冷たいものが潜んでいるのではないかという恐怖に陥った。 
人でなし。悪魔。冷酷人間。人間失格!
その恐怖との闘いの日々だった。
今思えば。

ちなみに今その恐怖がすべて終わったかというと
決してそうではない。
ふとした瞬間に押し寄せてはグラグラっと揺さぶられるときがある。
とてつもない不安に陥ることもある。
そして何より、もしも再び同じことが起こったら・・・。
その想像が恐ろしくて仕方がない。
同じように乗り越えていけるのか正直自信がない。
だから絶対に起こってはいけない。絶対に。

 
今、斉藤和義の「幸福な朝食、退屈な夕食」の
“一生抱えて行くんだろうけど”というフレーズが頭をよぎった。


・・

 
実は最近その出来事を思い出すことがまたありまして。
でもそのたびに思う。
何度も思い出して反芻しよう。
忘れないように。
忘れないでいることが健全であるために必要だ。

 
そんなこんなで。
今読み返したら昨日の日記、だいぶ荒らんでます。
なんかたぶん八つ当たりみたいなの入ってるね。
さらっと読み流してください。笑
 

これから自分のことで気づいたことを
こんな感じで書いたりするのもいいかなぁと。
そんなこんなで「私のこと」っていうカテゴリー作っちゃいました。
 
たまに書こう。




 

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