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手をつなぐ

日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。

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月あかりの下で

時々、ブログを読んでくれてる人から「よく書けるね」と言われる。
あなたみたいに自分の心の内を語るなんて、私にはとても恥ずかしくてできないと。
これ、一人二人からじゃなくて、結構よく言われる。
私もたぶん始める前はそうやったんやけど、
なんかその部分はもういいやって。最近は。
ここに書いている言葉が私のすべてでは無いし、
それに、言葉の受け止められ方も色々なはずで、
その部分がむしろ自由でいいなぁって思ったりもしている。
なんか・・・適当じゃないですか。笑
そこが好き。
絶対こう思って欲しいとか、誤解されたくないって思わないから。
いや、誤解だらけで読まれたとして、それはさすがにちょっと残念やけども(笑)、
でもまぁいっか~って。基本は。

私は言葉を書くことが好きなんやけど、
でも一方で、言葉を連ねて、それで伝わるものなんてたかが知れてるなーと、
そう思ってもいる。
あれもこれもあって、ブログもある。
何も話さなくてもただ傍にいるだけで感じるものってあるじゃないですか?
正直、私はそっちの方がよっぽど信用できるとすら思っていて・・・。
じゃあなんでブログなんか書いてんだって、やっぱり楽しいからです。
でも楽しさを超えて、ブログが唯一の居場所みたいになっちゃったら大変そうやな。
あれもこれもそれもどれもあって、ブログ。
そんな感じです。

・・

昨日はまたまた十三のナナゲイで映画を観てきた。
映画の始まる前に10分くらい予告が流れるじゃないですか。
あれを見て、それで気になりすぎてまた観に行っちゃうっていう・・・
完全に映画業界の罠にハマってますね、私。笑

昨日は、『月あかりの下で』という映画を観た。
以下、サイトの中の映画紹介文。

「夜間定時制高校―そこはいま働く若者たちの学びの場、そして小・中学校で不登校、高校を中退した若者たちの再出発の場となっています。
映画の舞台は、1学年1クラス、全校生徒120人足らずの埼玉県立浦和商業高校定時制のあるクラス。
派手なメイクで身を固め教師に暴言を吐く生徒、家庭内暴力が原因で登校できなくなった生徒、明るい笑顔が魅力のある生徒は自傷行為を繰り返し・・・
彼らのやわらかな心は、家庭や社会の歪みに傷ついていました。
そんな若者たちが、大家族のような〈学校=居場所〉の中で悩み、ぶつかり、支えあい過ごした日々と、その先に見えた希望。2002年の入学から2006年の卒業までの4年間、そしてその後へと、生徒一人ひとりに寄り添った貴重な映像が、テレビ放映を経て、ここにドキュメンタリー映画として誕生しました。
人との絆が、人を育てる。いまを悩み、懸命に生きるすべての人へ、この作品を捧げます。」


カメラはよくぶれて動くし、映像として見たら見にくいところも多々ある映画。
でも、この映画を撮った太田直子さんに私は本当に感謝します。
そしてこれを上映した十三第七芸術劇場もまたすごい。

夜間定時制高校といえば、行政の財政難から、もうどんどん統廃合されていっている。
この映画の舞台となった埼玉県立浦和商業高校(通称、「浦商」)も、
2008年に統廃合され、今は存在しない学校。
でもその場所を必要としている人は確実にいる。
映画の中でも、卒業生たちが集まって、行政の人たちを前に、
統廃合の撤回を求めて訴える場面が出てきた。
そこには、本気の怒り、悲しみの叫びがあった。
「俺は少年院2回行ったんだ、でもこの学校だけは俺を見捨てなかった」って、
涙流しながら訴える卒業生のお兄さん。
それも一人じゃない、何人も。
悔しい!悔しい!!って。
「僕は小学校3年生までしか学校に行けなかった。
でもここはそんな僕に学びの機会を与えてくれた」って言う60代のおっちゃんもいた。

伝わらない、もどかしい気持ち。
いつだって、大きなものは小さなものからいとも簡単にむしり取る。
奪い去る。
弱肉強食は人間だっておんなじだ。

小さな小さな学校、浦和商業高等学校。
そこではみんながみんなを支え合って生きていた。
このままでは進級が危ぶまれる生徒たちに向かって、
茨木のり子の『自分の感受性くらい』を大声で読み上げながら
みんな一緒に進級しようって、心から、一人間としてぶつかっていく先生がいた。
保健室の先生も数学の先生も担任も、給食のおばちゃんも、みんなでみんなのことを考える。
生徒たちもみんなでみんなを考える。
リストカットで傷んだ腕を消毒する友達を見て、泣きながら傍に寄り添い、
自分の腕に残ったタバコの根性焼きの傷跡を見せる女の子。
ツライ気持ちも楽しさも、孤独でさえも、みんなで少しずつ分け合う。

そんなかけがえのない人間的営みは、いとも簡単に大きな力でもって奪い去られてしまった。



綺麗ごとじゃない、リアルな現実。
美化してないし、嘘ついてない。
顔を見せたくない生徒にはモザイクが掛かっていた。
これは嘘じゃない、本当の話だ。

・・

最初のブログの話ともつながることなんやけど、この映画の定時制高校ね、
何がいいかって、一人じゃないところ。
恋愛関係みたいに、一対一でずごーんと付き合ってくのも大切で
かけがえのないことやと思うんやけど、
みんなでみんなを少しずつ支えるってのも絶対に必要やと私は思う。
浦商にはそれがあった。

昨日、映画を観たあと、自分を支えてくれている人たちのことを
たくさん思い出してみた。
色んな顔が浮かんできて、すごく幸せな気持ちになった。
仲間を作る過程には、誤解も衝突も疑心暗鬼も色々あるけれど、
それやからこそ、乗り越えたときの絆ってすごいもんね。
そこに飛び込んでいく勇気を忘れたらいけないな、と思ったりもした。



あれもこれもそれもどれもあって、ブログ。

読んでくれてるみんなに感謝です。改めて。



63ce3210.jpeg



 













斉藤和義/月影
http://www.youtube.com/watch?v=u0uWdNagLvc







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無題

ブログの受け取り方が読者によって違い、そこが自由でいいっていうのを読んで、
おれは俳句のことを思い出した。

57577の短歌が身分の高い人の文化であったのに対し、
最後の「77」の部分が抜け落ちた俳句は
一般庶民のあいだに広がったらしい。
短歌が完成した表現形態であるのに対し、
「77」が足りない俳句は未完成の表現形態である。
不完全な部分は、読み手のイマジネーションにゆだねられているらしい。
こんなことを俳句をやってるある人から聞いたことがある。
ひすんさんのブログ、あるいはひすんさんがブログを書く姿勢は、
俳句もしくは俳句作りのようであるといってよいんだろうな。
この世の芸術ってものはすべてそういう性質を持っていると思う。


浦和商業高校を舞台とした映画おもしろそうだ。
おれは10代から20代にかけて埼玉に暮らしたんだけど、
中学時代に思いを寄せた同級生が進学したのがこの学校だ。
定時制ではなかったんだけど、
この学校にはおれの10代の頃のせつない思いがつまってる。

ひすんさんのこの映画に関する文章を読んで、
今おれが働いている職場のことを思い出した。
おれがは働いているこの職場に集う人たちも
みなそれぞれ悩みを抱えて生きている。

そして悩みを抱えている者どおしが(おれも含めてだけど)
けっこうしょっちゅう衝突したり、いがみあったり、
時には足をひっぱりあってる。
浦商の物語はそんな人たちに、きっと勇気を与えてくれるに違いない。














  • from spy1 :
  • 2010/12/05 (01:09) :
  • Edit :
  • Res

わわわ

コメントの長さに度肝抜かれた今朝です。^^;
私のブログ、俳句みたいですか・・・。
アホな私にはぶっちゃけその辺全然わかりませんが(笑)、そうなんですね!?

みんなそれぞれ色々ですが、明るくいきたいですね!

みなさーん、この映画はオススメですよ~☆ (改めて!)
  • from fisun :
  • 2010/12/05 (07:19) :
  • Edit :
  • Res

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