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手をつなぐ

日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。

雑感のような

集中するときのBGM、Zimermanの弾くショパンの舟歌をリピートでずっと聴いている。
毎日、レポートを作成して、今は報告書も執筆していて
ひたすらパソコンの前に座りこんでいる。
こんなときいつも、あの住み慣れた部屋の机でこの作業をできたら、と思う。
改めて、居住環境は大事だ。
今のこの部屋では、あまり言葉も出てこなかったりする。

いつものあの部屋は机のすぐ右手が窓だ。
ベランダに出られる窓。
小さくて狭い部屋やけど、すべてが私の落ち着くように設置されている。
オレンジ色の間接照明に、優しい音楽・・・。

ホームシック。
あの部屋が、恋しい。
たくさん、話したい言葉があるのに、なんでだか上手く言えない。

私は今、生と死の現場にいる。
私を含めて、人は皆、確実にやってくる死に向かっているわけやけど、
私が今いる場所は、その「死」というのが何だかとても身近だ。
遠い・・・何か他人事のように思われた「死」。
それを目前に控えた人たちが たくさんいる。
私を含め、同じくらいの年頃の友人たちは、自分がいつか死ぬなんてことを
たぶんあまり考えないと思う。
出産や、新しい仕事への挑戦や、「始まり」を意識することはたくさんあっても。
死は「終わり」のイメージやから。
でも、私たちはいずれ老いて、そして、死ぬのだ。

こんなことを言うと、まるで絶望しているみたいに思われるかもしれないけれど、
そうじゃない。
ここに来て私は、それを、怖いものとしてはあまり思わなくなった。
たとえば、人間は、死を目前にしていても、冗談を言って笑ったり、
動かなくなっていく体を嘆きながら、それでもやっぱり笑ってたりするのだ。
私はここで、大阪にいたときよりもむしろ、たくさん笑っている気がする。
患者さんと悲しい話をすることはあまり無い。
悲しみも、楽しさも一直線上にあって、生と死もしっかりと結ばれた線の上にある。
絶望し、悲嘆にくれても、その波を過ぎたら
すべてを受け入れ、やがてくる終わりのときまで、また同じ自分を生きていく。
死を目前にしても、その人はその人のまま変わらない。
だって人間は死ぬその瞬間まで、とりあえず生きるしかないのだから。
さりげなく生きて、さりげなく死んでいく。
それを劇的に盛り上げて語るのは残された人間であって、
死んでいく人の方ではない。
そんなふうに、思う。


結局、あまりまとまらないけど。

もう少ししたら、もっとちゃんとした言葉に変わるかもしれない。
 
 
どんなときも私を集中させてくれる救世主みたいな音楽。
Zimerman plays Chopin Barcarolle Op. 60
http://www.youtube.com/watch?v=KU-5u2dmXdM



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