手をつなぐ
日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。
明るい陽射し
- 2017/02/19 (Sun)
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やっと一段落…。
夫の風邪が実はインフルで、それがそのまま娘にもうつってて。
生きた心地がしなかった。
夫も娘も回復してホッと一息。
次は私…?と内心ヒヤヒヤしつつ、気を強く持って、なんとか滑り落ちないように。
・・・
新しいことを始めることにした。
いつから、とか、どれくらいの頻度で、とか、そういう詳細は決めきれてないけれど。
出産を機にそれまでしていた仕事を休んで、働くということから遠ざかっていて。
でも、声を掛けてくれる人がいて。
いわゆる"重度"の身体障害のある子どもたち、というのがいる。
見学だけでも来てみてといわれて行った先は小さな民家やった。
そこには呼吸器を装着した子や両手の無い子、身体を起こすとぐにゃっと折れ曲がる子なんかがいて…
周りの大人たちは何らかの医療関係の資格を持つ人。
けどみんな普段着で、ケアしているというよりは和気あいあいと、みんなで寄り添っている、そんな感じがした。
ああいいなぁと素直に思って、それからものすごく悩んだ。
仕事として私は高齢者をみることしかしてこなかったから…。
単純に、できるのかな、と。
ここで求められている役割をはたして果たせるのかな、とか。
もやもや色々ゴチャゴチャ考えて、やってみよう!と思ったり、やっぱり無理だ断ろうと思ったり。
いろんな意味で落ち着かないここ数週間やった。
学生の頃、私は障害のある人たちや子どもたちと日常的に一緒にいた。
学童保育で子どもたちともみくちゃになって遊んで、いつも身体のどこかに傷があったような。
障害のある人たちの暮らしの場に一緒に入って過ごしたり。
今思い出したけど、マサ子さん。
私の身体の2倍くらいある大きな女の人。
ある人に頼まれて、私はその人と一緒に一晩を過ごすことになったんやけど、あれは大変やった。
私とマサ子さんは初対面で、マサ子さんは私とは違う言葉で話した。
あー、とか、うー、とか。
ドスのきいたひくーい声。
歳は私より一回り以上は上やったと思うけど、本人に確認できたわけじゃないからこれは推測。
ご飯を作って一緒に食べたら、ものすごい勢いで平らげるのでびっくり。
あとから聞いたところでは、その昔、ヤカンいっぱいのお茶を一気に飲み干してしまったこともあったとかなんとか…。
ご飯の後はお風呂に一緒に入った。
そこで身体の大きなマサ子さんを洗うのに四苦八苦。
湯船に浸かりましょうと言ってもなかなか伝わらなくて、身体をうまく誘導することもできなくて。
そしたらマサ子さん、急にお風呂場の壁に頭をドン!ドン!と強く打ち付けだした。
止めなきゃ!と全力で身体を壁から引き離したら、マサ子さん泣いてて。
それを見て私も猛烈に悲しくなり、二人で号泣。
お風呂場で。裸で。
振り返ってみて、よくもまあ私に任せたなと思うし、私もよく引き受けたなとも思うし。
若かった、というのもあるけれど…。
こういうことってずっと覚えているんやなぁ。
そしてなんだか、あれっきり会っていないマサ子さんのことが、じんわりと今、愛おしい。
高木さんがアップしていた竹富島の動画を観て、竹富島の人たちが、かつての圧政のなかで、歌をうたって、うたって生きてきたことを知った。
私も竹富島に行ったことがあるけど、あんまり何もよく知らずに行ったから…。
こういうこと、知ってたら良かったな。
小さな人たちの小さな営みの結晶があの島に伝わる歌の数々なのかな、と思った。
https://www.youtube.com/watch?v=qf2So5LL6ow
私もまた小さな存在で、これから有名になるとか…そういうのもまぁ、まずない。
小さなままで、誰かと一緒に寄り添って生きれたのなら。
何もできないけど、私の僅かばかりの力を必要としてくれる人がいるのなら、その人たちの役に立ちたい。
一緒に生きたいなぁと…
これは今も昔も変わらない思いとしてある気がする。
できるかできないかより、やってみるかやらないかかなぁと。
…
マサ子さんとはお風呂を出た後、疲れてお互い朝までぐっすり眠って、起きてからは何事もなかったかのようにまた二人で朝ご飯を食べた。
私は私の言葉で喋って、マサ子さんはマサ子さんの言葉で喋って。
相変わらずよくわからなかったけど、少しだけ近づいたような気がしたんやった。
あの日も窓から陽が差し込む今日みたいに明るい朝で。
ホッとして、嬉しかった。
何でも少しずつ。
希望を捨てずに。
そこにある木の存在を慈しむような。
ぴんに木あよーの歌みたいに。
夫の風邪が実はインフルで、それがそのまま娘にもうつってて。
生きた心地がしなかった。
夫も娘も回復してホッと一息。
次は私…?と内心ヒヤヒヤしつつ、気を強く持って、なんとか滑り落ちないように。
・・・
新しいことを始めることにした。
いつから、とか、どれくらいの頻度で、とか、そういう詳細は決めきれてないけれど。
出産を機にそれまでしていた仕事を休んで、働くということから遠ざかっていて。
でも、声を掛けてくれる人がいて。
いわゆる"重度"の身体障害のある子どもたち、というのがいる。
見学だけでも来てみてといわれて行った先は小さな民家やった。
そこには呼吸器を装着した子や両手の無い子、身体を起こすとぐにゃっと折れ曲がる子なんかがいて…
周りの大人たちは何らかの医療関係の資格を持つ人。
けどみんな普段着で、ケアしているというよりは和気あいあいと、みんなで寄り添っている、そんな感じがした。
ああいいなぁと素直に思って、それからものすごく悩んだ。
仕事として私は高齢者をみることしかしてこなかったから…。
単純に、できるのかな、と。
ここで求められている役割をはたして果たせるのかな、とか。
もやもや色々ゴチャゴチャ考えて、やってみよう!と思ったり、やっぱり無理だ断ろうと思ったり。
いろんな意味で落ち着かないここ数週間やった。
学生の頃、私は障害のある人たちや子どもたちと日常的に一緒にいた。
学童保育で子どもたちともみくちゃになって遊んで、いつも身体のどこかに傷があったような。
障害のある人たちの暮らしの場に一緒に入って過ごしたり。
今思い出したけど、マサ子さん。
私の身体の2倍くらいある大きな女の人。
ある人に頼まれて、私はその人と一緒に一晩を過ごすことになったんやけど、あれは大変やった。
私とマサ子さんは初対面で、マサ子さんは私とは違う言葉で話した。
あー、とか、うー、とか。
ドスのきいたひくーい声。
歳は私より一回り以上は上やったと思うけど、本人に確認できたわけじゃないからこれは推測。
ご飯を作って一緒に食べたら、ものすごい勢いで平らげるのでびっくり。
あとから聞いたところでは、その昔、ヤカンいっぱいのお茶を一気に飲み干してしまったこともあったとかなんとか…。
ご飯の後はお風呂に一緒に入った。
そこで身体の大きなマサ子さんを洗うのに四苦八苦。
湯船に浸かりましょうと言ってもなかなか伝わらなくて、身体をうまく誘導することもできなくて。
そしたらマサ子さん、急にお風呂場の壁に頭をドン!ドン!と強く打ち付けだした。
止めなきゃ!と全力で身体を壁から引き離したら、マサ子さん泣いてて。
それを見て私も猛烈に悲しくなり、二人で号泣。
お風呂場で。裸で。
振り返ってみて、よくもまあ私に任せたなと思うし、私もよく引き受けたなとも思うし。
若かった、というのもあるけれど…。
こういうことってずっと覚えているんやなぁ。
そしてなんだか、あれっきり会っていないマサ子さんのことが、じんわりと今、愛おしい。
高木さんがアップしていた竹富島の動画を観て、竹富島の人たちが、かつての圧政のなかで、歌をうたって、うたって生きてきたことを知った。
私も竹富島に行ったことがあるけど、あんまり何もよく知らずに行ったから…。
こういうこと、知ってたら良かったな。
小さな人たちの小さな営みの結晶があの島に伝わる歌の数々なのかな、と思った。
https://www.youtube.com/watch?v=qf2So5LL6ow
私もまた小さな存在で、これから有名になるとか…そういうのもまぁ、まずない。
小さなままで、誰かと一緒に寄り添って生きれたのなら。
何もできないけど、私の僅かばかりの力を必要としてくれる人がいるのなら、その人たちの役に立ちたい。
一緒に生きたいなぁと…
これは今も昔も変わらない思いとしてある気がする。
できるかできないかより、やってみるかやらないかかなぁと。
…
マサ子さんとはお風呂を出た後、疲れてお互い朝までぐっすり眠って、起きてからは何事もなかったかのようにまた二人で朝ご飯を食べた。
私は私の言葉で喋って、マサ子さんはマサ子さんの言葉で喋って。
相変わらずよくわからなかったけど、少しだけ近づいたような気がしたんやった。
あの日も窓から陽が差し込む今日みたいに明るい朝で。
ホッとして、嬉しかった。
何でも少しずつ。
希望を捨てずに。
そこにある木の存在を慈しむような。
ぴんに木あよーの歌みたいに。
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