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手をつなぐ

日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。

娘たち。

上の子がもう8つだ。
しっかり者で頑張り屋さん。真面目で落ち着いていて、何より優しい。

どんなお菓子でも妹と分け合って食べようとするし、綺麗に二等分できないときには必ず大きい方、多い方を妹にわたしてあげられる。
妹が叱られてシュンとしていたら、「さっき見せてくれた絵、すごい上手だったよね」なんて言って妹の良いところをさりげなく褒めて元気づけようとする。

私は自分が三姉妹の長女に生まれ、幼少時、姉として妹たちに譲ることを半ば当然のように強いられてきた経験から、上の子には一切「お姉ちゃんなのだから」というような台詞を言わないようにしてきた。でも彼女はちゃんと姉として妹を慈しみ、助け、支えてくれている。
すごいなぁと思う。



下の子は自由奔放で天真爛漫な5歳児だ。誰にでもニコニコと話しかけていき、どこでもすぐに馴染む。天性の社交性を持ち、甘え上手。

でも、あまりのマイペースさについ叱ってしまうことも多い。今日もそうだった。しまじろうの幼児用学習教材をさせるのに、全然真面目に取り組もうとせず、ついに「もうそんなんやったら何もしなくていいわ!」となかなかの剣幕で言い放ってしまった。

それからしばらくして少しほとぼりが冷めた頃、彼女がニコニコしながらやってきた。「オンマ、にらめっこしよう?」。睨めっこしましょ、笑ったら負けよ、あっぷっぷ!と言い切る前に、自分が既に笑いだしてしまっていて勝負にならない。何がそんなに面白いのか、とにかくゲラゲラ笑っている。それを見てるこちらもつられて笑ってしまった。

ひとしきり笑った後、お風呂に入ることにした。私が「着替えを持ってくるわ」と言うと、「あ、オンマは待ってて!」と急いで私の分の着替えまで取りに行ってくれる。お風呂の中では背中を洗ってくれるサービスまで。お互いに洗い合いっこをして一緒にくっついて湯船に浸かった。

いつもこんなふうに叱ってしまった後は、あちらから上手に仲直りをしにきてくれるのだ。ごめんねとは言わないけれど、そんな気持ちがあることを伝えてくれる。本当はちゃんとしたかったの、と。



去年の今頃のこと。鶴見緑地公園にコスモスを見に出かけた。二人とも大はしゃぎで跳び回り、いつものごっこ遊びを始めた。

「まぁ見て!素敵な花がいっぱいよ!コスモスというのよ!」「素敵ねぇ、いろんな色があるわ!」。どこのマダムかと思うような口調で盛り上がる幼女二人。
そのあと、少し離れたところで見ていたら、枯れたり萎れたりしている花の前で二人ずっと佇んでいる。どうしたのかと近づくと、こんな会話が聞こえてきた。
「枯れてしまって可哀想なお花…!」「この子も枯れてしまっているわ!なんて可哀想なの!」。咲いてる花よりも枯れた花が哀れだと嘆く会話を繰り返していた。その後も萎れた花を探しては「この子も可哀想…!」と。綺麗に咲いてるお花も見なよと言いつつ、思わず笑ってしまった出来事だった。



親バカだけど、二人とも本当にいい子だなと思う。私は子どもに支えられて今を生きてるようなものだ。
最近、つらい気持ちになることが多かったけど、二人のことを考えてしっかり生きようと思う。

忘れっぽい私はすぐに忘れてしまうから少し書いてみた。

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小さな犠牲者たち

コロナがまた猛威をふるってきて、病院の中が落ち着かない。
みんなが疑心暗鬼になって、誰それの家族が罹患したらしいとかそんなヒソヒソ話ばかり聞こえてくる。
本当に、なんて世の中だ…!と思ってしまう。

先週末から下の子が風邪をひいている。
鼻詰まりと咳と。
熱はときどき。
微熱。
保育所の先生たちが頻回に熱を測っては、ちょっと長引いてますよねと言う。
その話を私にする際、園長は私の斜め前方3メートル先にいた。
医療従事者である私は完全にコロナ罹患を疑われてしまっている。
なんとしても濃厚接触するまいという気概がひしひしと伝わってきて、心の中で苦笑いしてしまった。

早生まれで産まれた下の子は身体が小さくて、風邪をひいたら大体一週間はグズグズと引きずる。
うちの子に限らず子どもというものは本来、そんなふうに何度も風邪をひいては病原体に打ち勝つ過程を経て強く成長するものだと思うのだけど、今は"三日以内に治らないといけない"圧を感じる。
長引くのがコロナの特徴でもあるから。

個人的にコロナの一番の犠牲者は、瞬く間に過ぎ去る幼少期を今まさに生きる子どもたちだと思う。



最寄駅着がもうすぐ。
何はともあれ今日も自分のできることを粛々とやるのみ。
頑張ろう。

土曜日のこと

今日は晴天。
昨日、一昨日と雨だった。

一昨日、外に出たくてウズウズしていた下の子を連れて雨の中を少し歩いた。
お気に入りのカエルの絵がついた緑のカッパを着て、手には小さな青い傘。
長靴を履かせたかったけど、まだ大きくて。
足元はそのままいつもの靴で。

小雨だから大丈夫だろうと思っていたら少し降り出してきて、もう帰ろうと促すも、雨の中を小躍りしている小さな子には届かない。
水溜りの中をジャポン!ジャポン!!
波をたててジャバジャバジャバ…
何往復も何往復も、飛び跳ねては転んで。
そんなのお構い無しで雨を満喫する緑色の小人さん。
青い傘はかろうじて手に持ってたけどほとんど用をなしてなかった。

絞れるくらい靴もズボンもびしょ濡れで、帰ってからはすべて洗濯。
泥だらけの靴もゴシゴシ洗った。

そんなこんなをしていたら夕方になっていて、お腹を空かせた子どもたちにカレーを差し出し食べさせて、急いでお風呂に入れたらもう夜だった。

そうして気づけば私も眠ってしまっていた。




そんななにげないいつもの土曜日のはなし。





今思っていたこと。

新年度だからというでもないのだけど、少し考えていた。
これからは誰に忖度するでもなく、そのときの自分の気持ちの赴くまま、本当に自分が好きで心安らかにいられるものにだけ触れていようと。
まぁ普通はこんなの言うまでもなく、本来そうあるべきことなんやと思うのだけど。


ツイキャスとかも好きなものだけ、SNSやブログ系も然り。
自然体でゆるりといられたらなぁと思っている。

(そういえば某ツイキャスと某ブログで書かれてた"痛い"話、笑った。)


人って、年齢や性別や社会的な地位や所属する団体諸々、ホントたくさんの属性を重ね合わせながら存在してると思うのだけど。
人が亡くなる時ってね、それが一つ一つ無くなっていくというか、薄れていくというか。
生まれたばかりの人が、ただ"赤ちゃん"とだけ呼ばれていたときに戻っていくような、そんな感じがあって。
私はそういう、人生の終末期の人のそばにいて思うのだけど、すごくピュアな姿になっていくというか。
言葉は無くとも、触れたときの触感や温もりや、眼差しや、そんなものでちゃんとわかりあえていた頃に戻っていくような感じがしていて。

もちろんそれはある意味、"喪失"ともいえるのだけど、なんか、"戻る"とか"帰る"みたいな感じがよりしっくり来る気がしている。

うん。

そんなことをなんか今ふと思ったから書いてみた。



子どもたちが最近よく喧嘩するようになっていて、二人ともよく喋るからてんやわんわで。

少し音楽でも聴いて早めに今日は寝ようかな。



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