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手をつなぐ

日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。

カテゴリー「日々のこと」の記事一覧

よく見る夢の景色

とてもとても疲れていて。
ソファで寝てしまっていて、起きなくてはと一旦キッチンのテーブルの椅子に移って切り替えようとしたのだけど、結局そこでも寝落ちしていた。

また同じ夢を見た。

私の夢によく出てくる男の人がいるのだけど。
私より年上の実在の人物。
その人と会っている。
場所はいつも同じで、小さな小道の中。
四方に平屋建ての家が並んでいる。
時代は少し昔のようで、道が舗装されていない。
土ぼこりが立つようなそんな道。
沖縄の離島に今もあるような感じの。
そんな景色。

そこで男の人は私に何かを告げて去っていくのだけど、なぜだか無性に心許なく、このままもう会えないような、今すぐ追いかけないといけないようなそんな気持ちになって。

追いかけないのだけど。

でもしばらくして、
どうしよう、行ってしまった、
探さないとと思って。
でもどこに行けばいいのやろう。
どこに行ってしまったの?と。

そんなところで夢はいつも終わる。



これ何かな?
本当によく見る夢で、なんとも不安でたまらない気持ちで目が覚めるのだけど。
かと言って何もしないし、仮に何かの暗示だか啓示だとしても何のそれなのかがわからなくて。

そんな今もなんとも心許ない気持ちなので思わず書いてみてしまった。

もう一度ちゃんと寝ます。




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徒然

前回書いた内容にあんまり深い意味はなく、こんな人いましたっていう報告でした。
(これ自体なんの報告?やけど。笑)



実は今プライベートでなかなかストレスフルな状況にあり。苦笑
詳細はここでは書きにくいのだけど、自分以外の身近な人の生きることに向き合う態度にちょっと疲れてきている。
それでも頑張って付き合っていくしかないのだけど。
そんな今日この頃は子どものピュアな姿を描いた絵なんかに癒されている。
ホッとする。
癒し。笑


変な時間に目が覚めてしまった。
もう少し寝ます。


すべては自由なのだけど

寝る前、下の子が私に甘えてくる。
お腹の上によじ登ってきたりゴロゴロ転がったり。
猫みたいな動き。
上の子の同時期に比べて言葉もゆっくりでだいぶとおバカさん。笑
まぁこの子のペースがあるのだろうと特別なことは何もせずただ可愛がっている。



私には母という側面が今あって、それ以外に、仕事をしている時はその道の専門職としての側面があり。
でもなんか、私という人間の根幹はどんな属性や側面を得てもあまり変わらないのかなと最近感じている。
昔、友人からよく、あんたはずーっとそのまんまいきそうなんて言われたけど、本当にそうなのかも。

三つ子の魂百までという言葉が今頭によぎった。笑



失いたくないものって何かな。
家族、友人、仕事、お金、地位、名誉、それとも…?
もしもそれがね、自分自身っていう人がいたとして。
自分の世界が何よりもどこまでも果てしなく大事だと、そんな人がいたとして。
まぁ…合わないよね。笑
そういう人を素敵だなと思う瞬間もあるのだけど。
でも、人の気持ちに心を寄せて自分の時間や労力をそこに割くことのできない人って、自分の生きる時間の価値を過大評価しすぎやと思うな。

人はみんな死ぬから。
今この瞬間もそこに近づいていっている。
自分の時間がどれだけ大事でも、いつかそれには終わりが来るから。
死ぬとき、自分は自分のためだけに精一杯生きましたって総括、なんかつらいよね。


でもそんな人もいるしそれは否定できるものではなく、そんな人生もまた尊いのだとも思うけど。



久しぶりの高木さん。
https://youtu.be/NNcoQRqRKGQ


雨の季節に

6月、7月が苦手なのは、梅雨の最中であるというのもあるのだけど、大切な友人が亡くなってしまった季節だからというのも大きい気がする。
何年経ってもなんとなく苦手で、薄く悲しい気持ちになる季節。
だから大切な人にはいつ死んでも構わないなんて思わないでほしいと思ってる。
少しでも長生きして同じ時を生きてて欲しいから。

当時の心情を書いた文が過去のブログにあったのでここに転記。



ミキちゃんの四十九日の法要に行ってきた。
山の上の静かなお寺で。
参列者を載せたバスは何度もカーブを繰り返しながらどんどん山を登って、
最後は細い急な坂道を、脱輪しそうなギリギリのラインで登りきった。

お堂はさらさらと山の風が吹き抜けて涼しかった。
奥には仏像が置かれてあって、その周りに施された装飾は
金色でキラキラしてて、荘厳で美しい雰囲気を醸し出していた
お坊さんの読経が「オン バサラ ダルマ キリ ソワカ」と始まったように聴こえて、
ああ、三十三間堂と一緒やと思った。
千手観音で有名な三十三間堂にもこのことばが書かれてあって。
朗々と、歌っているような読経。
時折鳴らされるシンバルのような楽器(「にょうはち」という楽器らしい)の音色も
うんと遠くまで響きわたるような・・・。
山の澄んだ空気に調和して溶け込んでいくような音だった。

7月15日はミキちゃんの四十九日であり、弥生ちゃんの5周忌でもあった。
偶然にも、同じ日。
だから今日は弥生ちゃんのこともたくさん思い出した。

・・

四十九日の法要には私とミキちゃんの共通の友人がたくさん来ていた。
再会を抱擁で出迎えてくれた友人や、
今度また姫路から大阪まで出てくるから会いましょう!と言ってくれた友人、
私の部屋でたこ焼きパーティーをしようと楽しい計画をしてくれる友人や、
一年ぶりの再会なのに、変わらぬ信頼でつながってることを感じさせる友人・・・。
今日、私は自分が本当に友達に恵まれているということを改めて実感した。

学校の友達もみんな優しい。
「今日まだ一回も喋ってないから寂しくて」なんて言い、席まで話しに来てくれる友人や、
疲れてるときにそっとお菓子を置いていってくれる友人、
今度ごはん行くメンバーに入ってるから予定しててね!と笑顔で言ってくれる友人や、
私の送った変な画像を笑いながら携帯の待ち受け画面にしてくれる友人・・・。
日々、たくさんの愛を感じる。
どれもこれも無償の愛だ。
すごいな、と思う。

・・

今日みたいな日にそれをしみじみ実感するのは、自分がそれを、
ミキちゃんや弥生ちゃんに提示できなかったことへの懺悔から来ているのかもしれない。
何年経っても、もっとあんなこと言えたら良かったとか、
あのときああしてたら良かったとか、やっぱり思う。

弥生ちゃんが死んでしまった日の夜、私は泣きながら弥生ちゃんへの懺悔の手紙を
無我夢中で書いた。ぐにゃぐにゃの字で、何枚も。
書きあがった手紙は厳重に封をし、ご両親に託した。
棺に入れて燃やしてくださいと言って。
でも、燃やされるはずのそれは、弥生ちゃんのご両親によって封切られ、
思いがけず、彼女の実家の仏壇に飾られることになった。
お母さんから何度も何度も「ありがとう」と感謝された。
あなたの手紙を家族みんなで読んで泣いたのよ、と。
その言葉は私を少し救ってくれた気がするけど、同じくらい、罪悪感も上乗せされた。
私は自分を本当に偽善者だと思った。
生きてるときにどうして同じことができなかったのかと。
一番近くにいながら、私は、彼女が絶望していることにすら気づいていなかったのだ。

弥生ちゃんの死から私は多少なりとも変わったのかな。
わからない。
ただ、何か見返りを求めて打算的に人と付き合うということへの嫌悪と、
そういう部分を超えたつながりを求める気持ちは強くなった気がする。
人を一面的に見たくない。
できるだけ、いいところを信じたい。
そうやって馬鹿みたいに信じて裏切られることもあるけど、
でも、そういう傷はこの際、もういい。
好きな人とはやっぱり一緒に生きたいから。
だから。

自分本位な願望を込めて。

2012年7月15日にこんなことを想った。


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