手をつなぐ
日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。
棘
朝から韓国語の通訳をしてきた。
今度の態変に舞台に、韓国の20代の障害者の方が一人出演されることになり、
その方が稽古の合間に日本の障害者自立生活センターを訪問したいとのことで、
私が通訳として同行したのだ。
訪問先では、日本で自立生活を送る障害者と、韓国で自立生活を送る障害者とが
それぞれの現状について報告をした後、
両国の福祉制度のこと、生活上の困難についてや、これから何を目指すのか、
どんな運動を展開していくのかということまでかなり突っ込んだやりとりが続いた。
久しぶりに脳を全力で回転させた気がする。
そしてなんだかものすごく久しぶりの、とても懐かしい、血が沸き立つような時間でもあった。
思えば、大学時代はこんな会話ばかり聞いていた気がするし、
自分もこういう話ばかりしていたように思う。
車いすを押して大学に行き、四苦八苦しながらトイレ介助をし、
ダウン症や自閉症と呼ばれる人たちとカラオケに行ったり、
韓国語の語り部に挑戦したいという言語障害のある人の家に通い、練習に付き合ったりした。
障害児のデイサービスに出入りして子どもたちと遊び、
中学校で自閉症の子と漢字の勉強を一緒にしたりもした。
いろんなことが全部全部おもしろくて楽しくて、
でも腹が立つこともいっぱいあって。
駅員さんの理不尽な対応や、差別的な現場に直面するたび、
「またこんなことあったで!」と、研究室に飛び込んでは仲間に報告、議論していた。
報告や議論をしたところで何かが変わるでもないのに、
自分たちの気持ちだけはまっすぐでいようって、
あの頃はそういうのに必死やったし、今よりもっと敏感やった気もする。
今、その感覚が無くなってしまったのかというと、決してそうではないと思う。
けど、全く同じでもない。
あの頃よりも、よく言えばトゲが無くなり・・・色合いが少し薄くなったような、そんな感じ。
でもなんか今日は、あの頃のトゲトゲや濃い原色絵の具のような気持ちが
ずんっと心に戻ってくるみたいな感じがした。
今日話されたことの中でとりわけ印象的だったのは、韓国の障害者の置かれた
厳しい現状についての話だった。
韓国からやってきた彼の話によると、韓国の障害者の現状というのは、
1970年代の日本のそれとよく似ているらしい。
簡単に言うと、かなりわかりやすい形でひどいことが横行している状態。
韓国では国が障害者に支給するお金は本当に微々たるもので、
それだけではとても自立生活など維持できないらしい。
入所施設での暴力も珍しいことではなく、でもそれしか実質的に選択肢がない人も
多いということだった。
でも彼はその苦しい状況の中、自分の尊厳を守るために地域で自立生活をしているのだという。
そして自分は何があっても最後まで闘うんだと、そう、何度も口にしていた。
言語障害がきつくて、時々うまく聞き取れない言葉もあったけど、
身をよじらせながら語る言葉の中に、その姿そのものに、何かものすごく熱いものがあって、
言葉を超えたことばでちゃんと理解ができるみたいな、そんな感覚があった。
「今なんだよ!今!とにかく今を生きるということなんだ!」
こんな言葉を何の躊躇なくいえる人がどれだけいるやろう。
まっすぐな言葉にはまっすぐな言葉を返すしかない。
だからそこには、諦めも打算もない直球ストレートな言葉のやりとりだけがあって。
私はそのやりとりの媒介者として働けたことが今日はとにかく幸せだった。
原色絵の具でドロドロに塗られてそれでももっと色が欲しいと渇望するみたいな
そんな不思議な昂揚感。
一瞬も油断してはいけないような、張りつめた、でも心地いい緊張感と。
・・
今日は良い一日やったな。
あっちの人が通訳がわかりやすいと褒めてくれたりもしたし。
お世辞にせよ、そんなこと言ってもらえるとやっぱり嬉しくて。
いや、全然まだまだなんやけども。(たぶん、90%くらいお世辞)
でももっとしっかり勉強して、いつかネイティブくらい話せるようになりたいなぁと気持ちを新たにした。
コツコツ楽しみながら地道に勉強していこうと思う。
語学は日々の積み重ねあるのみって言うし。
頑張ろう。
今日はきっとまた何かが始まった日。


今度の態変に舞台に、韓国の20代の障害者の方が一人出演されることになり、
その方が稽古の合間に日本の障害者自立生活センターを訪問したいとのことで、
私が通訳として同行したのだ。
訪問先では、日本で自立生活を送る障害者と、韓国で自立生活を送る障害者とが
それぞれの現状について報告をした後、
両国の福祉制度のこと、生活上の困難についてや、これから何を目指すのか、
どんな運動を展開していくのかということまでかなり突っ込んだやりとりが続いた。
久しぶりに脳を全力で回転させた気がする。
そしてなんだかものすごく久しぶりの、とても懐かしい、血が沸き立つような時間でもあった。
思えば、大学時代はこんな会話ばかり聞いていた気がするし、
自分もこういう話ばかりしていたように思う。
車いすを押して大学に行き、四苦八苦しながらトイレ介助をし、
ダウン症や自閉症と呼ばれる人たちとカラオケに行ったり、
韓国語の語り部に挑戦したいという言語障害のある人の家に通い、練習に付き合ったりした。
障害児のデイサービスに出入りして子どもたちと遊び、
中学校で自閉症の子と漢字の勉強を一緒にしたりもした。
いろんなことが全部全部おもしろくて楽しくて、
でも腹が立つこともいっぱいあって。
駅員さんの理不尽な対応や、差別的な現場に直面するたび、
「またこんなことあったで!」と、研究室に飛び込んでは仲間に報告、議論していた。
報告や議論をしたところで何かが変わるでもないのに、
自分たちの気持ちだけはまっすぐでいようって、
あの頃はそういうのに必死やったし、今よりもっと敏感やった気もする。
今、その感覚が無くなってしまったのかというと、決してそうではないと思う。
けど、全く同じでもない。
あの頃よりも、よく言えばトゲが無くなり・・・色合いが少し薄くなったような、そんな感じ。
でもなんか今日は、あの頃のトゲトゲや濃い原色絵の具のような気持ちが
ずんっと心に戻ってくるみたいな感じがした。
今日話されたことの中でとりわけ印象的だったのは、韓国の障害者の置かれた
厳しい現状についての話だった。
韓国からやってきた彼の話によると、韓国の障害者の現状というのは、
1970年代の日本のそれとよく似ているらしい。
簡単に言うと、かなりわかりやすい形でひどいことが横行している状態。
韓国では国が障害者に支給するお金は本当に微々たるもので、
それだけではとても自立生活など維持できないらしい。
入所施設での暴力も珍しいことではなく、でもそれしか実質的に選択肢がない人も
多いということだった。
でも彼はその苦しい状況の中、自分の尊厳を守るために地域で自立生活をしているのだという。
そして自分は何があっても最後まで闘うんだと、そう、何度も口にしていた。
言語障害がきつくて、時々うまく聞き取れない言葉もあったけど、
身をよじらせながら語る言葉の中に、その姿そのものに、何かものすごく熱いものがあって、
言葉を超えたことばでちゃんと理解ができるみたいな、そんな感覚があった。
「今なんだよ!今!とにかく今を生きるということなんだ!」
こんな言葉を何の躊躇なくいえる人がどれだけいるやろう。
まっすぐな言葉にはまっすぐな言葉を返すしかない。
だからそこには、諦めも打算もない直球ストレートな言葉のやりとりだけがあって。
私はそのやりとりの媒介者として働けたことが今日はとにかく幸せだった。
原色絵の具でドロドロに塗られてそれでももっと色が欲しいと渇望するみたいな
そんな不思議な昂揚感。
一瞬も油断してはいけないような、張りつめた、でも心地いい緊張感と。
・・
今日は良い一日やったな。
あっちの人が通訳がわかりやすいと褒めてくれたりもしたし。
お世辞にせよ、そんなこと言ってもらえるとやっぱり嬉しくて。
いや、全然まだまだなんやけども。(たぶん、90%くらいお世辞)
でももっとしっかり勉強して、いつかネイティブくらい話せるようになりたいなぁと気持ちを新たにした。
コツコツ楽しみながら地道に勉強していこうと思う。
語学は日々の積み重ねあるのみって言うし。
頑張ろう。
今日はきっとまた何かが始まった日。
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この記事へのコメント
通訳すごいですね
ぴょんぴょんさん
でもありがとうございます。
自立生活センターについてはサイトがありますのでよろしければこちらをご参照ください。
http://www.j-il.jp/
見ました
無題
私が行ったのは大阪市内の某センターです。笑