手をつなぐ
日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。
長い独り言
誕生日の今日。
いつもと同じように仕事をして、金曜日だからクタクタで。
でも今日は特別な日だった。
パーキンソン病は身体の筋肉がどんどん固くなっていく病気なのだけど、病状が進み、声帯の周りの筋肉が固くなって声が出なくなってきた患者さんがいる。
歌を歌うのが大好きでいつも私と歌うのを楽しんでくれていた人。
でも最近は思うように声が出せなくて目の奥に生気が無くなってきたような。
今日もその患者さんのところへ行き、やっぱり声は出なくて、でも。
「今日私、誕生日なんです」と言ったら笑ってくれた。
一生懸命唇を横に引っ張り、ニィィと。
喜んでくれるんですね!嬉しい!と言ったら目の奥も笑った。
本当に嬉しかった。
それとかね、何も言ってないのに、私の手をギュッと握って、「冷たい手。温めてあげたい」と言ってずっと握りしめてくれる患者さんとか。
なんて優しいんやろうとわけもなく涙がこぼれそうになったりもした。
いつも、なんでみんなこんな優しいんやろう?と思う。
今までそれなりにたくさん患者さんと出会ってきたけど、本当に私の患者さんは優しい人が多い。
患者さんたちの優しさにいつも癒され、心洗われている。
あと、今日はいろんな友人がおめでとうLINEもしてくれて。
みんな忙しいはずなのにね。
毎年必ず誕生日におめでとうを言ってくれる幼なじみの友人(♂)がいる。
「なんか欲しいもんあったら買ったるでー」と来たので、くまのがっこうのジャッキーというキャラクターのマスキングテープが欲しいと言ってみたら、次の返信が「買ったから今度渡すー」だった。笑
本当に買ってくれると思わなかった。
でも、嬉しい。
いい歳して恥ずかしいけど、ジャッキー、好きなのだ。
アザラシのキャラクターのしろたんと同じ系統なんだけど。
こんなの。
これはぬいぐるみだけど実際は二次元のキャラクターね。
ちなみに好きになったきっかけは、娘がジャッキーのぬいぐるみを手に入れた日の夜、ジッと抱えて見てたら…え、なんかこれ可愛くないか⁈と思って。
そんな様子を察してか、最近は娘が「ほら、オンマ、ジャッキー持ってきたよ。好きやろ」とわざわざ私の手に持たせてくれるようにもなっている。
こんなアラフォーでいいのか、こんな母でいいのかはわからないけど。笑
…
子どもの話って、話す相手を選ぶ話題の一つだなぁと感じている。
相手から聞かれたり、自然とその話題になれば話すけど、普段はあまり話さない。
みんながみんな聞きたいことかはわからないし…(そこまで気にしなくてもいいのかもだけど、なんとなく。)
あと、どうしても子どもの話をすると、母親フィルターが掛かって見られてしまう気もしていて。
母としての私がすべてみたいな。
たとえばジャッキーの話をしても、母親のくせに子どものぬいぐるみを愛好するなんて…とか思われちゃいそうで。(まぁ実際そう思われて然るべきではあるんだろうけど)
母親らしさの文脈の中でしか私という存在を見てもらえないような気がして嫌なのかもしれない。
嫌というか…寂しいというか。
自分としては役割が一つ増えて、大切な存在が増えて、責任も増えたけど、でも変わっていないところもたくさんあって。
何より、私は私なのになぁって。
実際、子どもたちは私の中に母性を感じているとは思うけど(もちろん彼女たちのお世話をしているという事実はあるから)、でも、自分の母という人は、ジャッキーが好きで音楽が好きで本をよく読んでて、なんかそんなんだなぁと当たり前に受け入れているような気がする。
ホントに全然別の人間だから。お互いに。
自分の子なんだけど、すごく別の、なんというか良い意味で、その違いや、別ものであるということがおもしろくて尊いなぁと感じている。
だから娘には「なんでも自分のやりたいなと思ったことをしたらいいよ」と伝えていて、何かを始め出したらとりあえず最初は見守るようにしている。
どうするのかなぁ?どうなるのかなぁ?と、時にはハラハラもしながら。
なんか、長くなっちゃった。
独り言。
いつもと同じように仕事をして、金曜日だからクタクタで。
でも今日は特別な日だった。
パーキンソン病は身体の筋肉がどんどん固くなっていく病気なのだけど、病状が進み、声帯の周りの筋肉が固くなって声が出なくなってきた患者さんがいる。
歌を歌うのが大好きでいつも私と歌うのを楽しんでくれていた人。
でも最近は思うように声が出せなくて目の奥に生気が無くなってきたような。
今日もその患者さんのところへ行き、やっぱり声は出なくて、でも。
「今日私、誕生日なんです」と言ったら笑ってくれた。
一生懸命唇を横に引っ張り、ニィィと。
喜んでくれるんですね!嬉しい!と言ったら目の奥も笑った。
本当に嬉しかった。
それとかね、何も言ってないのに、私の手をギュッと握って、「冷たい手。温めてあげたい」と言ってずっと握りしめてくれる患者さんとか。
なんて優しいんやろうとわけもなく涙がこぼれそうになったりもした。
いつも、なんでみんなこんな優しいんやろう?と思う。
今までそれなりにたくさん患者さんと出会ってきたけど、本当に私の患者さんは優しい人が多い。
患者さんたちの優しさにいつも癒され、心洗われている。
あと、今日はいろんな友人がおめでとうLINEもしてくれて。
みんな忙しいはずなのにね。
毎年必ず誕生日におめでとうを言ってくれる幼なじみの友人(♂)がいる。
「なんか欲しいもんあったら買ったるでー」と来たので、くまのがっこうのジャッキーというキャラクターのマスキングテープが欲しいと言ってみたら、次の返信が「買ったから今度渡すー」だった。笑
本当に買ってくれると思わなかった。
でも、嬉しい。
いい歳して恥ずかしいけど、ジャッキー、好きなのだ。
アザラシのキャラクターのしろたんと同じ系統なんだけど。
こんなの。
これはぬいぐるみだけど実際は二次元のキャラクターね。
ちなみに好きになったきっかけは、娘がジャッキーのぬいぐるみを手に入れた日の夜、ジッと抱えて見てたら…え、なんかこれ可愛くないか⁈と思って。
そんな様子を察してか、最近は娘が「ほら、オンマ、ジャッキー持ってきたよ。好きやろ」とわざわざ私の手に持たせてくれるようにもなっている。
こんなアラフォーでいいのか、こんな母でいいのかはわからないけど。笑
…
子どもの話って、話す相手を選ぶ話題の一つだなぁと感じている。
相手から聞かれたり、自然とその話題になれば話すけど、普段はあまり話さない。
みんながみんな聞きたいことかはわからないし…(そこまで気にしなくてもいいのかもだけど、なんとなく。)
あと、どうしても子どもの話をすると、母親フィルターが掛かって見られてしまう気もしていて。
母としての私がすべてみたいな。
たとえばジャッキーの話をしても、母親のくせに子どものぬいぐるみを愛好するなんて…とか思われちゃいそうで。(まぁ実際そう思われて然るべきではあるんだろうけど)
母親らしさの文脈の中でしか私という存在を見てもらえないような気がして嫌なのかもしれない。
嫌というか…寂しいというか。
自分としては役割が一つ増えて、大切な存在が増えて、責任も増えたけど、でも変わっていないところもたくさんあって。
何より、私は私なのになぁって。
実際、子どもたちは私の中に母性を感じているとは思うけど(もちろん彼女たちのお世話をしているという事実はあるから)、でも、自分の母という人は、ジャッキーが好きで音楽が好きで本をよく読んでて、なんかそんなんだなぁと当たり前に受け入れているような気がする。
ホントに全然別の人間だから。お互いに。
自分の子なんだけど、すごく別の、なんというか良い意味で、その違いや、別ものであるということがおもしろくて尊いなぁと感じている。
だから娘には「なんでも自分のやりたいなと思ったことをしたらいいよ」と伝えていて、何かを始め出したらとりあえず最初は見守るようにしている。
どうするのかなぁ?どうなるのかなぁ?と、時にはハラハラもしながら。
なんか、長くなっちゃった。
独り言。
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