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手をつなぐ

日々のこと、好きなもののことなどツラツラ書きます。

幸せなこと

もうすぐ実習が始まる。
1か月の長期実習だ。

実習を控えて、実技テストや実践に向けたグループワークやらが
てんこもりで、テストが終わった今も相変わらず忙しい。
そんなとき、油断すると心や体を少し壊しそうになる瞬間がある。
私も溜りに溜まったいろんなものが年末年始で吐き出されて
そこから復活するのに少し時間がかかってしまった。
私の親しい友人らもしかり。

・・

サキちゃんという友達がいて。
私より6つも年下とは思えないくらい落ち着いてて、よく気がついて、真面目で。
本当にいい子だ。
お互い、普段一緒にいるグループは違うけど、私は彼女のことがとても好きなので
しょっちゅう席まで話しにいったりしている。
笑顔が本当に素敵なのだ。
キレイとかかわいいとか、それはもちろんそうなんやけど、
なんというか、邪気のない笑顔で。
漫画に出てくるヒロインのような、キュンとなる笑顔。
傍にいて癒される何かを持っているというか・・・。
それでいて、変なことや理不尽なことにはノーを言える強さもあり、
話すと意外なまでにシュールな笑いで笑わせてもくれて。
彼女のような感性豊かな人がリハビリの現場にいたら、患者さん、
さぞかしモチベーション上がるやろうなぁって、そんなふうに思ったりする。

そんな彼女の様子が今日はなんとなくいつもと違うのに気付いて・・・。
帰り際に声をかけたら、その場で溢れ出るしんどさを打ち明けてくれた。
しばらく話を聞き、もはや何を言ったかも忘れたけど、自分なりの言葉で
彼女の元気が出そうなことをいくつか言ってみた。
そしたら、今にも泣きだしそうやった表情がみるみる元気になっていって・・・。
いつもの天使のような笑顔が戻ったのを見たとき、本当にホッとした。

サキちゃんは、私には人を癒す力があると言ってくれる。
いつも救われている、傍にいてくれてありがとう、出会えて本当に良かった、と。
私がいるから頑張れるとまで言ってくれる。
その言葉に嘘っぽさが全く感じられなくて、なんだかこそばい気持ちになりながら、
でも、すごく嬉しい。
誰かの力になっていると感じられるとき。
自分の存在で救える何かがあったとき。
これ以上に幸せで自分の存在が肯定されるときって無い気がする。
誰かを助けることはそのまま自分を救うことなのだ。
この感覚がある限り、私は頑張っていける気がする。

帰りにタカハラさんとも少しお茶をして帰ってきた。
彼女も12月ごろすごくしんどそうで、
もしかしたらこのままやめちゃうんじゃないかというときがあった。
そのとき、メールと、ちょっとした手紙をゆーみんと書いて渡したんやけど、
いまだにそのときのことを感謝してくれる。
あの手紙があったから頑張れた。
そう、何度も何度も言ってくれる。
本当にほんの些細な手紙だ。
私がしろたんの絵を描き、ゆーみんがカエルのイラストを描いて
その横にちょっとしたメッセージを添えた。
ただそれだけのもの。
でも、なんかあのとき、そういうのがすごく必要な気がして。
内容がどうとかじゃなく、今ここで何かしなかったら絶対に後悔する。
そう思って書いた即席の手紙だった。

何にもできなくても、支え合って生きていけたのなら。
お互いの存在が無くてはならないもので、
あなたが笑うから私も笑っていられる。
そういうの、できるだけいつも感じていきたい。
時折何もかもに嫌気が差して、生きることの必然性なんてないと思うときもあるけれど。
でも、私がいることで笑ってくれる人がいるのなら。

・・

When you're down and troubled
and you need a helping hand
and nothing, whoa nothing is going right.
Close your eyes and think of me
and soon I will be there
to brighten up even your darkest nights.
君が落ち込み困っていて
誰かの助けを必要とするとき
すべてうまくいかないと思うとき
目を閉じて、僕を思い出して
すぐに君のところへ行くから
君の暗闇を明るくするよ

Carole King/You've Got A Friend
http://www.youtube.com/watch?v=rJPgxEi2BM8


大好きな曲。



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つぶやき。

テストが終わった。
一年間に実施されたペーパーテストの数、合計40科目。
前期に19科目、後期に21科目。
こんなにも大量のテストを受けるなんてことは、
後にも先にもたぶん、もうないと思う。

・・

ときどき、自分は男に生まれた方が良かったのかなと思うことがある。
もしくは自分に兄がいたら良かったのに、と。
最近、少し家庭の中で不穏な問題が起こっていて・・・。
そんなときいつも思う。
私は娘でしかなくて、どだい頑張っても息子の役割は担えないということ。
無理なのだ。
息子にはなれないし、息子にはかなわない。
それはたしかな事実だ。

幼いころ、私たち三姉妹を見て、「女の子3人ですか、残念でしたね」と、
父や母に声をかける人たちがいた。
そのとき、女の子というのは残念な存在なのだと知った。
昔の価値観だろ、と言われたらそれはそうで、
そもそも、女の子であることをアカの他人から同情される筋合いもないはずで。
でも、このとき投げかけられた”残念”という言葉は、ずっとその後もことあるごとに私の
心に響いては、反芻され続けている。

私の中で、”息子”も”娘”も関係無いと思っていても、
たとえば父や、たとえば母が、強固に”息子”と”娘”の役割の違いを意識していたら。
それをくつがえすのは無理だ。
長年をかけて蓄積され、構築された考えを変えるなんてことは
並大抵のことではないし、そんなことをしようとも思わない。
でも、だからこそときどき、父や母が不憫に思える。
父は二番目の妹が生まれたとき、三人目の子どもは必ず男の子がいいと言ったそうだ。
産み分けにも行こうとしていたらしい。
でも、生まれてきたのはまた妹で。
息子じゃなくてごめんなさい。
小さいころに感じた周りからの同情の眼差しを思い出しながら、時折そう思う。

私には反抗期が無かった。
親に反抗しなかった子どもは成長してからとんでもない反逆を起こすことがあるとかも
聞くけれど、今のところその気配もなく、もはやそんなことは起こらない気もする。
母はいつも、あんたはホンマに育てやすい子やった、と言う。
小さいころ、妹たちが親を奪い合っているとき、私は一人、部屋の片隅で本を読んでいた。
叱られたら同じことを繰り返さないように注意した。
どうしたらうまく要求が通るのか、言い回しを工夫したり、頃合いを見計らったりもした。
場が丸く収まるように、棘が立たないように、そうやってやってきた。

妹たちは思いっきり反抗期を迎えて、特に真ん中の子は大暴れして大変だった。
それを見ながら、内心は少し羨ましかった。
妹が家を出たときも羨ましくて仕方がなかった。
でもそんなことは言えず、意識しないようにした。
そうやってやってきた。
でも今は、その妹が一番冷静に事態を把握していて、
私は問題に目を向けるのがしんどくて、逃避気味だ。
もう少し自由にさせてほしい。
そう思ってしまっている。
もしかしたらこれは、遅れてきた反抗期の始まりなのかもしれない。

このところ、毎日夢をみる。
昔住んでた古い家の夢。
昔の家の夢を見るときは、少し気持ちが下がっているとき。
あまり良くないときだ。

・・

やめた。
こんなこと書いても何にもならないし。
それに、どんな人でもいろんな問題を少なからず抱えながら
それでも生きてるんやから。
私だけじゃない。
でも・・・書いたら少しすっきりした。


寝よう。



Billy Joel/Piano Man 
http://www.youtube.com/watch?v=gxEPV4kolz0


新年

あけましておめでとうございます。
今年は、というか、今年も、新年は親戚へのあいさつ回りから始まった。
親戚で集まってみんなで畳に手をつき深々と頭を下げ、
新年のあいさつを交わす。
そんなのがうちの母方の実家では今も続いているのだ。

・・

父方の祖父母が亡くなって、もう随分と時が過ぎた。
祖父が存命だった頃は、祖父宅に大晦日の2、3日前から泊まり込み、
そこでそのまま新年を迎えるというのが慣わしだった。
祖父宅は立派な庭付きの一軒家で、新年の始まりは大勢の親戚たちで
夜遅くまでにぎわい、親戚らにはそれぞれ宿泊用の客間が割り当てられ、
まるで小さな旅館のようだった。
食卓には伝統的な韓国料理の数々と、お取り寄せのおせち料理がずらっと並び、
それは豪華なものだった。

客人が一人増えるたびに両手を畳については頭を下げ、挨拶を交わした。
野心家だった祖父は、一流で品の良いものを好み、粗野でみすぼらしい物を嫌悪した。
だから私たち姉妹には毎年、元旦のための新品の洋服が与えられた。
一度も袖を通したことのない、その日のための服。
新しい年の始まりはいつも少し緊張した。
1月1日は特別な日だった。ずっと。

・・

今年の元旦は自分の部屋で迎えた。
ホットカルピスを飲みながら。
大晦日のギリギリの時間まで実家にいて、寝るために自分の部屋に帰ってきて、
それで。

その昔、紅白歌合戦が終わり、ゆく年くる年が始まる瞬間の
ゴーンという鐘の音が苦手だった。
なんだかとても寂しい気持ちがして。
きらびやかなフィナーレの後の、静かな鐘の音。
もうすぐ年が変わるんだ、という思いとともに、押し寄せてくる寂しさ。
変わらないでお願い、とすら思うような。
今思い返してもどうしてそんなふうに感じたのかはわからない。
でも、今でも、ゆく年くる年の始まりの瞬間は少し苦手だ。
今回もなんだか得体の知れない寂しさに襲われそうになって、
借りてきていたチャーリーとチョコレート工場の好きな場面を
急いで再生したりしてみた。
工場の選別室で大勢のリスたちがクルミの殻を割って中身を取り出す場面。
あの場面のリスたちの動きも、その直後に出てくる黄色いつなぎを着た
小人のおじさんたち(みんな顔同じ!)のコーラスも大好きだ。
悪趣味やと笑われそうやけども。

もしかしたら、きらびやかなショーの世界と現実を知らせる鐘の音の
ギャップが苦手なのかもしれない。
私はきっと夢を見ていたいんやな。
クレヨン王国が大好きで不思議の国のアリスの世界に没入していた子どもの頃。
あの頃と本質的に変わっていないのだ、たぶん。

そしてそんな今も現実逃避。
もうすぐある、残りのテスト2科目の勉強をしたくなくて逃げてる。
レポートもあるのに!
はぁ・・・(新年初ため息)。
すぅ・・・はぁぁぁぁあ(新年初深呼吸)
よし!(新年初掛け声)
頑張る!(新年初気合入れ)

楽しいことがたくさん見つかりますように。

この辺にしときます。笑




しろたん。鏡餅バージョン。w
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LOVE SONG

アバター、インセプション、チャーリーとチョコレート工場、コクリコ坂から、
バットマンビギンズ、コープスブライド・・・。
今まで観れなかった分の映画をまとめて観た。

一年が終わろうとしている。

・・

昨日の夜、とても優しい夢を見た。
優しい人が優しい笑顔で私に何かを教えてくれている。
その学びの場面には光が差していて
私は、学ぶことは希望だと感じる。
心を埋め尽くしていた否定的な考えは少しずつ取り払われて
これでいいのだ、と思う。

・・

歳を負うごとに人は強くなっていくのだと思っていたけれど、
そんなことはないのだと気づいた。
そんな一年だった。
自分のやりたい道をやりたいように進んでみたら、
その先にあったのは、思い描いていた強い自分ではなくて、
本当に弱い、小さな自分だった。
私は初めて、自分の本当の大きさを知った気がする。

高校生のとき、いつだってその気になれば空にも飛べそうな気持ちでいた。
大学生のとき、自分は何か大きなことをできる気がした。
社会人になって、こんな自分は嘘だと思った。
もっともっとできる。
そう思った。

でも今は。
何かをするには地道で地味な作業を繰り返すこと、
それ以外のすべてを差し置いて取り組んで、それでも足りないということ。
わからないと言って簡単に投げ出してはいけない、
わからないじゃない、わかるまで考えて、なんとかするのだということ。
なぜするのか?なぜ取り組むのか?そんなことを考えているうちは
それは本気じゃないのだということ。
走り出すとは、そういうことなのだと。
自分は、これまできっと、何にもなってはいなくて、何者でもなかったのだ。
そう、思い知った。

勉強をはじめてみてわかった。
何かを追求するとはどういうことなのか、自分の身を投じるとはどういうことなのか。
そんなふうにできる人に憧れて、自分もそうなりたいと思ってきたけど、
その渦中は自分が思い描いていたような楽しい、希望に満ちた、気軽な感じじゃなかった。
これは体験してみないとわからないことのような気がする。
大変なんやろうなぁ、でも充実してるんやろうなぁって、
なんかそんなんじゃない。
どこまで行けばゴールなのか、果てのないものを探して、信じて、とにかく進む。
砂漠のどこかにオアシスがあるよと聞かされて、その言葉を信じて荒涼とした砂の大地を歩くような。
その過程は苦しさが9割だ。

でも、そうしているとき、周りと比べてどうだとか、それまで自分を縛ってきた、
「適齢期」とか「安定」とかそういうのの類が一切どうでもよくなる。
今はこれをしないといけないの!と強い力で蹴散らせる。
自由な時間は無くなり、人と会う時間も減り、何か新しいものを買えなくても、
そんなことは大した問題ではなくなる。
その意味では今は、もしかしたら以前よりももっと自由なのかもしれない。
好きなようにするって、旅をしたり、遊んだりするのもそうなんやけど、
ほかのこととのバランスを無視して一つのことばかりに取り組むというのもそうなんやなぁって。
私は今、すごく自分本位だ。
勝手に生きてる。本当に。

でも、そんな自分勝手のもつ力はたかが知れている。
いったいどれだけ進んでいるのか、砂に足をとられながらなんとか進む毎日だ。
でもそれが自分。
今の私。
私は広大な砂漠に飲まれそうな一つの点でしかない。
でも、そんな自分を生きるしかない。
砂漠を歩く意味を問うても、きっとそれは誰にもわからない。
でも、私は今、そこにいる。
埋もれそうな大地の上を、夜は冷たい風にさらされながら、
昼間は灼熱に燃やされながら、とにかく、まだ生きている。

私は本当に弱い小さな人間だ。
なんでもない、ただの。

2013年はそこから始まる気がする。

・・

SF映画を観た影響が文面に表れているような気がしなくもないけど、
ちょっと振り返ってみました。
2012年、あまり会いたい人に会えない毎日でしたが、
時折覗いては私の独り言を見守ってくださるみなさんのことが私は大好きです。
みなさまにとって2013年がどうか良い年となりますように☆


LOVE SONG
http://www.youtube.com/watch?v=tsi5-O3Qe6c


この曲ね、昨日ずっと聴いてたんやけど、なんか好きなんです。
最後のサビで一番感情を乗せていく感じも気持ちいいし。
非常に甘ったるい歌詞やけど、「キミが思うよりも僕はキミが好き」って
良くないですか。笑(なんとなく)。
この時代の気配も好きで。
今年のラストソング。



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